於茂登岳(おもとだけ)岩崎元郎さんが提唱した「新・百名山」について、ご本人は決して「深田・百名山」に対抗するつもりはなく、ただただ「中高年が安心して楽しめる山」を願って各都道府県からも最低一つを選んだそうで、大変結構なことである。 「百名山」を昨年の「岩手山」と今年の「早池峰山」で無事終了してから、「花の百名山」巡りをしながら、「岩崎百名山」にも足を伸ばしている。年初に訪れた「沼津アルプス」は小さな山がポツンポツンと4つ、上り下りを繰り返しながら眺めた早春の太平洋と富士山の雄大な景色に魅了された。その小さな山の桜はまだであったが、これが彩りを添える頃にも訪れたい山であった。他に「唐松岳」は別格として「烏場山・千葉」「奥久慈男体山・茨城」「弥山・宮島」「鳳来寺山・静岡」が印象に残っている。今年はフィナーレを飾るに相応しい石垣島の「於茂登岳」を紹介したい。 故郷・秋田の中学校を卒業してから40数年の年月が経ってしまった。母校、秋田大学学芸学部付属中学校は一学年3クラスと大変まとまった、優秀な先生も集まった実験校であった。勉学だけでなく在学中に野球やバスケットボールなどの全県優勝もしている文武両道にたけた正真正銘の名門校であった。その同期会がたまに秋田と東京で開催されている。一昨年の10月に東京駅の近くで開催された時の出席の回答が一番早かったとのことでその後の幹事を引き受けることになった。
地図で「於茂登岳」を調べながら、すぐ近くに見つけた「ぶざま岳」に思わず吹きだしてしまった。この“ぶざま”については野村さんが教育委員会の方に尋ねたところ、全く違った意味であることが分かったが、この山にも登ることになった。
「花の百名山」や「岩崎百名山」を加えて40余りの山を楽しむことができた今年だが、11月の中頃になると各地に雪が降り、登れる山も限られることになる。
出発は12月18日、早朝のため前日は羽田に泊まった。那覇経由でほぼ予定通りの午前11時過ぎに石垣空港に着いた。レンタカーはいつも乗り慣れたフィットであった。ちょうど手続きが終わった頃に野村さんご夫妻が到着、近くのレストランで昼食をご馳走になった。その後「於茂登岳」の登山口へ。
その日は石垣島としては真冬の寒さで、時折、小雨がぱらついたが往復2時間余りの道のりであった。頂上からの展望はきかず辛うじて海が眺めた。
翌日は予め登山口を下見していた「ぶざま岳」であった。往復1時間半位と地元の人の話であったが、登山道が整備されてなく、途中目印をつけながら1時間20分ほど進み、これ以上は無理と判断して止むなく引き返した。
最後の「野底岳」(ヌスクマーペー)は道路脇から10分程の道のりで、頂上からは360°の展望が望めた。休憩中の晴さんご一家に記念の写真をとってもらい、さらにお茶やお菓子をいただいた。今年の夏から移り住んだとのことであった。
秋田の中学校の同期会が縁で同期生との何十年ぶりの音信がかない、念願の「於茂登岳」にまで登れた幸運な年に感謝したい。 ホンダを退職して早いもので2年半が経ってしまった。まだ毎日が日曜日ではないが、来年は「花の百名山」「岩崎百名山」に加えて、40年前に訪れた北海道の山(大雪・羅臼・利尻)にもう一度登ってみたいものである。
記:木田橋 義之(2005-12-29) |