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 はじめに

  自動車の生産システムは、自動車そのものがその構造において殆ど同じになり、メーカー間の違いがなくなるにつれて、あまり大きく変わることはないと考えられる様になって久しい。
 そんな中から次世代の生産システムの構築が続けられ、団子状態から抜け出したいと努力を重ねているが、試行錯誤は避けられない。
 ありたい姿はと言えば、「今や非常に重厚長大になっている生産システムを軽小にし、少数精鋭で運営する」ということになるだろうが、システムを重厚長大から軽薄短小にすることは自動車そのものが変わって行くことが条件となり世の中の価値観とも連動するため、思ったより時間が必要だと考えざるを得ない。
 その一方で既存の生産システムは更なる改善を続けなければ生き残って行けないということも明白であり、攻め所はつまるところ少人化と汎用化ということになろう。
 そこで少人化であるが、日本ではバブルの崩壊まではかなり積極的に進めて来た。
 しかし、それは対象が肉体労働であり、かなりのレベルまでは達しているものの大規模な生産システムの割合が増すに従って、それの面倒を見る人(いわゆるオペレーター)及びレベルの高いメンテナンス要員が新たに必要になってきて、直接要員が準直接要員に変っていくだけ(これも非常に意味のあること)という傾向が強くなり、真に少数精鋭としていくためには、まだ何かやらなければならないのではないか、このままではだめなのではないかとの感を強くするわけである。
 日本では、工場で働く人々に対する一般的概念が定着していて、それに係わる人々も(例えば、生産システムを計画したり設計したりする人も)この概念から逃れられないでいる。
 即ち工場の人は概ね肉体労働者であると考え、機械とのMIX.で生産活動をしているが人を無人格の工数として扱ってしまう。そうしないと計画や管理が出来ないと言うのだろう。
 一方、企業は人なり、とか人間尊重、という言葉も折々に使われホンダの企業哲学の一つになっている。
 しかし、この哲学を工場の実態に照らしてみるならばいまのままでは、これから先この言葉を使うのには抵抗を禁じ得ない。
 企業の活力は第一線で働く人達の、意欲、やりがいに依存している事は言うまでもない。自動車会社が魅力的な職場でなくなりつつある昨今、又、生産システムとして大規模化、少人数化していく中で、生産システムを扱う第一線の人を大切にし、活力の源泉にしなければならない。
 それには発想の転換が必要である。
 * 工場の労働は肉体労働ではなく肉体労働を一部含むが、知的労働である。
 * 特に大きなシステムを扱える人は偉いのである。(尊敬されるべき存在)
 * 第一線の人は、人の部下はいないが、機械という部下が沢山いる。
 * 〃 、生産マネージャーであると同時に生産技術者である。
 * 生産の単位もその様に機能単位にしていく。

 本研究は、こうした背景を踏まえ少数精鋭での工場運営は人間尊重の工場運営を必要条件とするという考え方に立脚して、次世代の生産システムとそれを使う人の関係はどの様にあるべきかを考え、提案しようというものである。

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