伊東ホンダ社長「尖った発想生かす体制に」ホンダが苦境に立っている。東日本大震災とタイの洪水の打撃は大きかったが、それらだけが理由ではない。拡大する新興国市場には出遅れ、強みだった北米市場ではシェアが低下している。商品にはホンダらしさが薄れたとの声も聞かれる。クルマづくりをどう変え、競争力を取り戻すのか。「尖った商品を開発できる体制作りを進めてきた」という伊東孝紳社長に巻き返し策を聞いた。 ――ホンダらしさが薄れたと指摘される。
「就任後2年は開発陣を横目で見ていたが、2011年4月に私が四輪事業本部長に就き、高級車、中型車、軽・小型車の3分野に事業統括として3人の執行役員を置いた。全権を委任するから、もっと競争力のあるクルマを世界を視野に仕込んでくれ、商品企画や各地域との調整のスピードを速めてくれと」 ――尖った商品のイメージは。 「環境、安全性能をしっかりと持たせた上で、エッジが効いた車だ。象徴としてスポーティーな車を強く押し出す考えで、現在、開発を進めている。そうした車を手がけることは市場だけでなく社内も活性化する」 ――新車開発の権限が子会社の本田技術研究所(栃木県芳賀町)から本社に移ることになる。
「一貫して責任を持つ体制でないと成果は出ない。いちはやく動いたのが軽・小型車だ。小型車『フィット』の次期モデルでは商品企画から開発、生産、部材の調達先の体制を含め事業性を前提にすべてを見直す。そうしないと『良いクルマ=収益の上がるクルマ』という構図にならない。今はフィットで十分利益を上げているわけではない。米国には日本から輸出しているが、(円高傾向が定着している状況では)それでは駄目だ。だから、メキシコに新工場を建設することにした。フィット以外もどんどん攻める」 ――世界の事情とは。 「かつては為替は今のように日本に不利ではなく、欧州は世界経済の重荷ではなかった。新興国もまだ台頭したところだった。そういう時代は先進国で成功した商品を新興国に持ち込めば業績が伸びた。だがリーマン・ショックを機に状況が一変した。台頭する新興国では自分たちのクルマが欲しいという自我が芽生え、先進国でも本当に求められる商品しか残らなくなった。成功モデルに甘んじ、それぞれの変化に対する備えが足りなかったと反省している」 ――特に中国市場での不振が目立つ。どうテコ入れするのか。
「これも北米で成功した商品を持ち込めば喜んでくれるというリーマン前の名残だ。中国人がどんな性能や装備、価格を欲しがっているのか。中国に食い込んでいく真摯な姿勢、チャレンジ精神が足りなかった。日産自動車の方が先に行っていた」 ――トヨタ自動車が独BMWからディーゼルエンジンを調達する。ホンダは自前主義にこだわっている。
「何が何でも独自で、ということではない。かつては欧州でディーゼルエンジンを他社から調達したこともあるし、他社に供給したこともある。その時々の経営的な視点で経営資源を融通してもいい。ただ、何というか、資金が回る限り、自分たちが売る商品は自分たちで姿を決めたいという思いが基本にある。効率は大事だが、そろばんが前面に出すぎるとホンダらしさを失わせる。難しいところだ」 ――ハイブリッド車(HV)、電気自動車(EV)など開発案件が増え、独自路線では限界が来ないか。
「開発そのものは技術を応用、発展させるだけだからそれほど大したことではない。時代の変化に対応する技術は何だと血へどを吐くまで自分で考え抜くことが技術者の役割だ。大変なのは新たな技術を事業化することなんだよ。設備に投資し、販売網をつくるといったことを順序立てて計画的に取り組まなければならない」 ――独フォルクスワーゲンなどが主要部品を組み合わせる「レゴブロック」方式でクルマづくりを刷新している。 「今では一般的だが、エンジンルーム、ルーフなど各部品を工場内の別々の場所でつくり、1カ所に集めて組み上げる方式は当社がいち早く始めた。さらに昨年末発売した新型軽自動車『N BOX』では改良を加え、内骨格を追加した。それにより強度が増し、10%軽量化した。今後はすべての車種で取り入れ、10%以上の軽量化効果を見込んでいる。燃費効率を高めるため、エンジンの性能をもちろん高めていくが、それだけに頼らず、ものづくりを一段と強化したい」 ――ダイハツ工業の軽「ミライース」が燃費性能やクルマづくりで注目されている。 「合理性を徹底したダイハツの取り組みには脱帽する。だが、ホンダは同じようなことはしない。N BOXでは燃料タンクを車体中央下に配置した。合理的に考えれば給油口に近い車体後部にタンクがある方が簡単でコストがかからない。あえて車体中央にしたのは広い室内空間を実現するためだ。それがホンダらしさだと思う」 ――洪水で浸水したタイの工場の状況は。 「金型や塗装設備、機械加工設備が長期間、水に漬かるとどういう影響が出るかは想定していた。水が引く少し前の昨年11月下旬にタイを訪れたが、被害の状況は想定の範囲内だった。現場には4月1日から元の生産ペースを取り戻すように指示した。4月1日に再開するのではなく、何事もなかったかのように通常通りに活動しているようにと、ねじを巻いているところだ」 nikkei.com(2012-01-01) |