(ホンダ再出発)(中)「軽」を国内販売の4割に
自社生産で立て直し

 三重県鈴鹿市にあるホンダの主力拠点、鈴鹿製作所。部外者の立ち入りを禁止し、軽自動車を生産する準備が進む。軽の生産は2007年6月以来。生産から撤退していた4年間で、ホンダの軽事業は危機的な状況に陥っていた。

就任後すぐ決意

 縮む国内市場で低価格・低燃費の軽はその3割強を占め、需要は底堅い。だがホンダの10年の販売台数は16万台と4年間で半減した。北米などに経営資源を集中する一方で利幅の小さい軽の開発は手薄になり、生産は子会社の八千代工業に任せきりだった。

 「いずれ市場の半分を占めようという軽を自分でやらないでどうするんだ」。伊東孝紳社長は09年に就任すると、すぐに腹を固めた。10年7月には八千代が三重県四日市市で計画していた新工場建設を白紙撤回し、八千代と並行して鈴鹿製作所でも自社生産する方針を表明。軽への需要シフトは今後も進むとの判断で朝令暮改すらいとわない。

 自社生産の第1弾となる背高ワゴンタイプの新型軽は今年12月に発売する。「早く、安く」と訴える伊東社長の声に背中を押されるように、当初計画を3カ月ほど前倒しした。12年にも2車種を矢継ぎ早に投入し、軽の販売台数を5年後に30万台まで戻すことを狙う。国内販売に占める軽の比率は4割強となり、市場構成比に近づける。

 クルマ造りも変える。開発拠点の本田技術研究所(栃木県芳賀町)に閉じこもりがちだった技術者を鈴鹿製作所に派遣。生産工程で無駄な作業をどう減らすか。現場の作業員の声に耳を傾け、その場で設計図面に微修正を加えている。

 「造りやすさ」はコスト削減に直結するが、開発と製造の現場の間には壁があり、その意識が十分に浸透していなかった。変化のきっかけは東日本大震災。被災した研究所の技術者を工場に一時異動したことで意思疎通が深まったという。

 小型車事業を担当する松本宜之執行役員は「抜本的にコストを下げないと日本に残る工場はなくなる」と危機感を募らせる。低価格の軽でも利益を出せるノウハウを蓄積できれば、全社で共有できる。

 今年1月には軽や小型車中心に展示し、女性が入りやすい雰囲気にした店舗を熊本市に開設。国内営業担当の峯川尚常務執行役員は「軽のお客に合った販売体制にしていく必要がある」と話す。開発から生産、販売まですべてを見直す。

燃費競争激しく

 「北米や二輪車に頼ろうと思うなよ。日本で造ったものは日本で売り切れ」。伊東社長は営業部門に念を押す。年100万台の国内生産維持を掲げるホンダ。円高で輸出は増やせず、国内生産を国内販売で支える構造が欠かせない。

 国内で人気が高いハイブリッド車(HV)もスピード勝負だ。マツダの「デミオ」はガソリン車ながら、ホンダの「フィットハイブリッド」と同等の燃費を達成。HVだから売れる時代は終わった。トヨタ自動車は来年1月発売予定の小型HVでさらなる低燃費競争を仕掛けてくる。

 ホンダは10月に主力ミニバンにHVを設定し、専用車「インサイト」には排気量の大きいエンジン搭載車を追加する。さらにエンジンとモーターを効率的に切り替えて走行する新型システムを搭載したHVを13年に発売、トヨタが先行する中型車市場にも挑む。

 伊東社長もかつては車体設計の技術者。じっくりと作り込みたがる技術者の気持ちはよく分かる。ただ市場変化のスピードは従来の比ではない。「それ以上の速さで変わらなければ」と伊東社長。そこに国内事業自立のカギがある。

nikkei.com(2011-09-09)