ホンダが挑むCIGS太陽電池【4】
「山ごもり」で工程全体の最適化へ

永井隆(ジャーナリスト)

 ワイガヤでは全員が平等

 船川和彦は、20人の部下とともに熊本のホンダソルテック(以下ソルテック)から、ホンダエンジニアリングがある栃木県芳賀町に引き上げた。1週間の時間をもらったが、このうちの3日間を“山ごもり”に使った。山ごもりとは合宿を意味する。船川たちは町内にある会議室を借りた。

 「発想を変えよう。上から言われることは気にしなくていい。日頃、自分が思っていること、感じていることを、じゃんじゃん話してくれ」。船川は、最初にこう訴えた。メンバーの本音の話し合いを求めたのだ。

 20人を10人ずつ2グループに分けた。社内ではなく、社外の会議室を借りたのは、集中してワイガヤに没頭するためだ。

 役職や年齢などには関係なしに参加者が考えていることを率直に話すことが、ワイガヤでは何より重要だ。本音を出し合い、問題の解決を成し遂げる。参加者はみな、互いを「さん」付けで呼び合う。開発を目指している量産技術においては、みな平等なのである。

 ホンダでは、新車開発の最初の段階などにもよく山ごもりを実施する。「技術者個人が、まずは自分が理想とする車について、山ごもりのワイガヤで主張する。自分の理想がなければならない」(新車開発のラージプロジェクトリーダー経験者)のである。

 生産技術の開発でも、山ごもりやワイガヤを活用する。もっとも、船川がプロジェクトリーダー(PL)として山ごもりを実施したのは、これが初めてだった。「以前は、チームが潰れるまで走り続けました。でも、CIGS太陽電池は、潰れるわけにはいかなかったのです」と、船川はPLとして初めて、山ごもりを実行した理由を説明する。実際、新工場が建設され、新たに社員も採用されていた。もう、後戻りはできなかったのである。

 昼は会議室だが、夜は町内の居酒屋に繰り出した。ビールを飲みながらの、本音トークとなる。20人は芳賀町とその周辺に自宅があり、家族がいる。夜遅くまで話し合っても家に帰れる安心感があった。

 ビールから日本酒に代えた船川は、米国サンパワー社で見た職人のオヤジさんの話を披露する。

 「最後は人の目で判断していたんだ。測定器の数値じゃなかった。科学的ではないと思われるかもしれない。しかし、最後は人だった。我々の量産も、従来の自動車の量産とは、かなり性質は違う」

 ワイガヤと話し合ううちにわかってきたのは、「自分たちが根底に置いてきたロジックがどうも弱い」(船川)ことだった。このため、各担当は自分たちの工程の部門最適を、自分たちの想像に基づいて、追求してしまっていた。

 工程全体を横断する、情報共有も乏しかった。各工程では、それぞれが全力投球で歩留まり向上を目指していた。が、量産する工程全体をトータルで見た場合、「何かがずれていた」と船川。

 合宿のワイガヤにより、トータルとしてのズレの発生をリーダーの船川も、20人のメンバーも確認できたのである。その上で、みんながアイディアを出した。それぞれのアイディアが具体的な解決につながるというよりも、アイディアの出し合いによって、みんなが一つにまとまっていった。船川は言う。

 「実力も経験もある技術者が集まっていたのに結果が出ませんでした。もどかしい限りでしたが、原因はそれぞれの意識がバラバラだったためでした。山ごもりを機に、歩留まりは上がっていきました」

 個々に優れていても、実力を統合できないとチームとしての成果は上がらない。リーダーには、インテグレーター(統合者)のセンスは求められる。

 甲子園球場での採用で期待が膨らむ

 熊本県大津町のソルテックでは、管理課の松永和明が若い社員の相談相手になっていた。

 「大丈夫なのでしょうか…」。会社設立に伴い入社した社員は、不安を抱いていた。歩留まりが思うように上がらないのに加え、船川をリーダーとするホンダエンジニアリングのメンバーが栃木にいきなり戻ったからだ。

 「なあに心配はいらない。船川さんたちは、しばらくしたら帰ってくるよ」。人事・総務系を一手に担っていた松永は、技術の専門性があるわけではない。しかし、面接にも立ち会っただけに、ソルテックに入社した若手たちにとっての精神的な支柱だった。希望を持ち、高い倍率を突破してせっかく入社したのに、生産がうまくいかず、社内の雰囲気は悪かった。若手が不安になるのは当然だったが、余分な心配を排除するのは松永の役割であった。

 主力製品の一つをモデルとして、歩留まり向上を船川をはじめ、みんなが目指していた。ホンダグループであるため、太陽電池であろうと特別扱いされず自動車並みの歩留まりを求められていた。つまりは、ほぼ100%である。これに対し、2008年当時の実際の歩留まりは6割程度だったと見られる。

 船川たちは、1週間で熊本に帰ってきた。

 山ごもりをきっかけに問題の整理がつき、チームの状況は好転していく。それぞれ孤立していたホンダエンジニアリングの担当者たちが、横のつながりをもてるようになったためだ。その後、2011年春の段階までには、自動車並みの歩留まりを達成している。

 芳賀町の山ごもりから1年後の2009年10月。嬉しい知らせが舞い込む。阪神電気鉄道が、改装をしていた兵庫県西宮市の阪神甲子園球場にホンダ製CIGS太陽電池を設置することを決めたのだ。

 内野席を覆う銀傘の上に、最大出力125Wの公共・産業向け太陽電池モジュール「HEM125PSA」を約1600枚設置する運びとなる。2010年3月に稼働を始め、翌2011年1月には年間計画発電量の19万3000kWhを達成した。52日前倒しでの達成である。

 この発電量は、甲子園球場全体の年間電力使用の約4%に当たる。また、1年間に行われるナイター54試合分を賄う量にも相当する。「有名な甲子園への導入であり、社員の励みになった」と、松永はしみじみと話す。

 設備投資戦略が難しい装置産業

 太陽電池業界は、「毎年世界トップが入れ替わる、競争が激しい業界」(船川)であり、自動車産業とは規模も性格も違う。なんといっても半導体などと同じく、大規模な設備投資が必要な装置産業である。

 半導体にはシリコンサイクルと呼ばれる需要の波があり、価格は激しく変動する。このため、設備投資の戦略は難しい。

 我が国は1990年代前半までは、DRAMをはじめとする半導体分野で世界のトップを走っていた。しかし、設備投資戦略で大きくつまずいた。大型の設備投資をした工場が完成したときにはDRAMの価格が下落してしまっている、ということを繰り返えしたのだ。しかも、工場が完成して設備を稼働させるときには償却が始まり、採算がさらに悪化してしまう。

 この点、米国のインテルや韓国のサムスン電子は、日本メーカーを横目に設備投資を平準化して活路を見いだしてきた。半導体不況期でも投資を続ける一方、好況期でさえ無理な工場建設などはしなかった。しかも、利益を生んでいる時代には加速償却を実行して、設備投資に弾力性を持たせるなど成果を上げてきた。

 太陽電池でも同じく、設備投資がポイントになる。

 化学系太陽電池でライバルの昭和シェル石油は、約1000億円を投じて宮崎県に第3工場を建設し、2011年に入り本格的に稼働させている。第3工場の生産能力は、単独の工場としては世界最大の年間900メガワット。第1、第2と合わせると昭和シェルの生産能力は、年間980メガワットとシャープに肉薄する国内2位となる。

 昭和シェルの狙いは、世界的に勃興しているメガソーラー市場への攻勢だろう。家庭向けを中心とするシャープやパナソニック(三洋電機)などとは異なる戦略である。東日本大震災後の福島第1原発の事故により、世界的に脱原発の動きも起きていて、メガソーラーへの期待は大きくなっている。

 対する、ホンダの設備投資は累計でも約70億円。「規模ではなく、技術で世界最高を目指している。たとえ瞬間風速でも、世界最高、世界初をとるのが大切」(船川)という、一貫したスタンスだ。

 現在は、2011年中の発売を目指し、モジュール変換効率で世界最高レベルとなる13.0%以上の製品の開発を進めている(モジュール変換効率とは、モジュール1uに当たる太陽光エネルギーを電気エネルギーに変える効率)。開発できれば、より小型軽量、高性能で、様々な形状の屋根に敷設できる新製品となる。

 結婚して家を建て、パネルを設置する

 設備投資に関しては、出動できる資金の問題は大きいが、それだけではない。船川は言う。

 「CIGS太陽電池は、技術革新がこれからも続いていきます。このため、大規模な設備を導入してしまうと、製品の技術レベルを現状のままで固定化してしまう。ホンダとしては、イノベーションを続けていく方針なので、大がかりな設備投資は当分は考えられません」

 大がかりな設備投資で勝負に打って出た昭和シェルと、イノベーションに挑むホンダという構図で、化学系太陽電池の大手2社の行動が分かれた形だ。なお、2011年中の発売を目指す新製品が加わり工場がフル稼働した段階で、ソルテックの年間売上規模は60億〜80億円になる見通しだ。

 化学系太陽電池は装置産業ではあるが、半導体のDRAMや液晶などと異なる点がある。船川たちが四苦八苦してきたように、量産技術の確立が難しいのだ。職人のカンに頼る部分もある。設備を導入しても、工場の量産はままならない。したがって、「後発のメーカーに簡単にはまねされないでしょう」と船川は言う。半導体や液晶のように、韓国や中国メーカーに追い越されていく可能性は低い分野といえよう。

 ホンダとしては、発電した電気エネルギーを電気分解により水素に換え、燃料電池車に活用したり、住宅の給湯などにも使ったりする構想がある。ソルテック社長の数佐明男は「エネルギーの家産家消という発想は、ずっと以前からありました。自動車やバイクは化石燃料を使うので二酸化炭素を排出します。自然エネルギーである太陽電池を展開することで、いくいくは双方をオフセットしていきたい」と話す。

 温暖化防止、脱原発の動きのなかで、CIGS太陽電池は求められる技術であることは間違いない。ホンダは日本を代表する「ものづくり企業」ではある。だが、この10年間、四輪分野でフィット以降に大きなヒットがない。驚嘆できる新技術もいまはなりを潜めている。それだけに、新事業であるCIGS太陽電池では革新性が期待される。

 ソルテックには、現在約200人が働いている。期間社員や出向者などを除くと、プロパーは約80人いる。松永たちが和室などで面接をして入れた社員のなかには、地元の人と結婚して家庭を持っている社員も少なくない。たいていは、結婚後は家を建てCIGS太陽電池を屋根に設置しているが、休み時間には自分たちの太陽電池について自慢そうに話すのだそうだ。

 松永は、「若い人たちが地元の大津町に根を張り、成長している姿を見るのは何より嬉しい。無から有が生まれ、いまは育っているのですから」と話す。

 2011年4月1日、ソルテックは初めて定期採用者を迎えた。全員理系でトータル6人(うち女性が2人)。院卒、学卒、そして専門学校卒で、6人は関東と関西、熊本の出身者だ。入社式と同じ日、船川はホンダエンジニアリングからソルテックに異動して、新設された開発センターのセンター長に就いた。新入社員の6人はみな開発センターの所属となった。

 ソルテックは生産・販売会社だが、開発機能を持ってはいなかった。「生産のラインサイド、すなわち工場現場での開発となります。生産と開発が両輪となり、最高を目指していきたい」と船川。ものづくりとは、人づくりでもある。 (この項おわり)

nikkeibp.co.jp(2011-07-04)