唱歌「スキー」 原風景のふるさと利尻

雪原を「風切るはやさ」で滑走するスキーヤー=北海道占冠村のアルファリゾート・トマムスキー場

 日本の最北部に浮かぶ北海道・利尻島への空路は、新千歳空港とを結ぶ1日1往復だけです。2月の利尻は、百名山の利尻山にも登れず、名物のウニもありません。客の少ない冬の間、機体はひと回り小さなプロペラ機になります。左の窓から利尻山(1721m)の険しい尾根筋が見えます。北海道土産の定番「白い恋人」の包装に描かれている白い峰々のモデルです。「山はしろがね 朝日を浴びて」という歌詞にふさわしいものです。この歌い出しで知られる文部省唱歌「スキー」の作詞者、時雨音羽(1898〜1980)の出身地が、まさしくここ利尻島でした。

 時雨音羽は幼名・池野音吉。利尻・沓形村の5人きょうだいの末っ子に生まれました。村役場に勤めた後、19歳で上京、検定で合格した日大法科から大蔵省に入りました。詩を発表するようになって筆名を時雨音羽とし、後に改名して本名としました。28年にビクター入社。大蔵省時代に作詞した「出船の港」のほか、戦後にフランク永井のカバーがレコード大賞を受賞した「君恋し」などが代表作です。

 東京を空襲で焼け出された音羽は、戦後の一時期、利尻の見える稚内で過ごしました。利尻町立博物館の西谷栄治学芸課長(56)は「音羽の心の中には、常にふるさと利尻の原風景『海・山・空』があった」と指摘します。「作詞した母校・新湊小の校歌が典型的。1、2、3番の最後がそれぞれ『強く静かな大海に学べ』『清く気高い名山に学べ』『広く涯てない大空に学べ』なんです」

 島西部にある天望山スキー場へ出かけてみました。簡易リフトが三つだけの、地元のためのスキー場です。島に五つある小学校の一つ、仙法志小学校の児童が、今冬最後のスキー授業の真っ最中でした。

 この近くに、かつて、チョンマゲを結った腕の立つ鍛冶屋がいたといいます。音羽は著書『「出船の港」と利尻島』(76年)に、子供の頃、隣村にいたチョンマゲ鍛冶屋に軽便スケートを注文した思い出を書いています。そして「小学唱歌『スキー』は、このチョンマゲ鍛冶屋から発想したものだ」と。

 名曲「スキー」は、スケートからの発想だった、というのでしょうか。

<<追伸>>   時雨音羽作詞・平井康三郎作曲
     山は白銀(しろがね) 朝日を浴びて、
     すべるスキーの風切る速さ。
     飛ぶは粉雪(こゆき)か 舞い立つ霧か。
     お お お この身もかけるよ かける。
       (2番以下の歌詞は省略)

asahi.com.(2011-03-24)