大前研一:「尖閣問題」の歴史を知らない民主党の罪

 尖閣諸島沖で日本の海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突した事件が尾を引いている。

 日本はすでに魚船を中国に返還し、船長も9月24日に釈放した。日本政府はこれで決着をつけたつもりだったようだが、中国ではますます日本を非難する声が高まり、中国政府は日本に対して謝罪と賠償を要求してきた。

 しかし振り返ってみれば、尖閣諸島をめぐる問題はこれまでに何度も起きている。2004年3月には中国人活動家7人が尖閣諸島に上陸し、沖縄県警察本部が出入国管理法違反の疑いで現行犯逮捕している。だが、それでも今回ほど大騒動にはならなかった。

 では、過去の事件と今回の事件は何が違うのか。どんな要因があってここまでこじれることになったのか。歴史をひもときながら、それを考えてみたい。

ことの発端は1895年の下関条約にある

 まずは以下の年表を見てほしい。

 この年表からわかるように、問題の発端は1895年の下関条約にある。日清戦争に勝利した日本が、この条約によって中国から台湾を割譲し、尖閣諸島を沖縄県に編入したのである。日本は台湾県をつくったが、そこに尖閣諸島を組み入れることはしないで、沖縄県に含めていた。つまりそれ以前の尖閣諸島は台湾領だったわけで、これは非常に重要なポイントである。台湾領であったという事実が中国が領有権を主張する根拠になっているからだ。

 しかし外務省の見解はこれと異なり、尖閣諸島を沖縄に編入したのは同じ1895年であっても下関条約を締結した4月よりも3カ月前の1月であったから、両者は独立した事象である、という。日本政府は10年近く尖閣諸島を調査し、どこにも属さない領土だということを確認した上で(たまたま)1895年1月14日に閣議決定して沖縄県に編入した、という。しかしこれは非公開の閣議決定であり、国会での決定でもなければ諸外国が知りうるような形で公表もしていないわけで、鳥取県議会の竹島領有宣言よりも国際的な認知は得にくい。

 台湾側の一部にしてみれば、清国敗戦の色濃い当時の状況、そして4月には日本に併合された身としては、つべこべ言える環境ではなかったということになる。今の中国政府(共産党)は当時存在していなかったが、台湾は中国の領土だという立場であるから、この台湾の言い分を都合良く“冷凍・保存”している。中台統一が実現すれば北京がこの論理を持ち出す可能性が高いと認識しておくべきだ。尖閣問題では中台は意識が一致しやすいのはこのためである。

 その後、日本領となった尖閣諸島は一人の日本人・古賀辰四郎に30年リースされた。古賀家が有償で払い受けたことから、尖閣諸島は私有地になる。そこでは鰹節(かつおぶし)工場などが操業されていたが、1940年に工場が閉鎖された後は無人島と化していた。

第二次大戦の戦後処理で行われた重要なやりとり

 第二次大戦の戦後処理問題に関しては、日本は当事者ではなかったが、いくつかの重要なやりとりがあった。その一つが北方領土に関するもので、スターリンが北海道の分割を主張したのに対し、トルーマンはドイツの二の舞いを絶対に避けたいという思いから、樺太に加えて北方四島をソ連邦に与える提案をしている。

 その際、米軍が択捉の飛行場を使えるなら、という条件を付けているが、当時は天候などの理由で北太平洋のウェーク島以外にいつかの給油基地を確保する必要があったからだと思われる。逆に言えば、米国にとっては、千島列島の四島と北海道を天秤にかけてソ連に四島をくれてやった、ということである。

 無条件降伏を受け入れた日本には手の施しようがなかった時代である。前原誠司外務大臣が北方領土を見学したいというロシアのメドベージェフ大統領に「日本固有の領土であるから、思いとどまるように!」と言うのは“犬の遠吠(ぼ)え”であり、逆効果である。こうなればメドベージェフ大統領は意地でも行くだろう。

 同じころ、米国は戦勝国である中国(当時の国民党政府)に満州(東北三省)と台湾を返却している。このとき沖縄(琉球)とベトナム(越南)もいらないか、と蒋介石に打診したという情報もある。どういうわけか蒋介石は両者とも「不要」と答えている。「蒋介石日記」に出てくるこの辺りの経緯を見ると、カイロ会談前後の列強のやりとりの多くが今日の日本では全く知られていないし、ヤルタ会談およびその直後の米ソのやりとりが今日の日本周辺の領土問題につながっていることを考えると、「昔から日本領であることは疑いない事実」などの政府や学者の言い分に疑問符がつくのである。

 そういう言い分と教育をしてきたのは間違いなく自民党であるが、実は自民党は二枚舌で国民にはそう言いながら、諸外国とは実効支配の原則でかなり柔軟に対応してきている。今回の政権交代でその「いかさま二枚舌業務」の引き継ぎがうまくいっていなかったことが尖閣問題で中国と決定的な軋轢(あつれき)を生んだ、と私は見ている。

日本側が駒を一つ進めてきた、と中国側が硬化した

 前原外務大臣は外交問題に詳しい、という評判だが、松下政経塾で「日本外交」の第一章を読んだくらいでは自民党や外務省に長年こびりついた「本音と建て前」外交の裏道までは理解できないだろう。非核三原則や日米安保、北朝鮮・拉致問題、北方四島、竹島、そして尖閣諸島に至るまで、国内向けと外交相手との「阿吽(あうん)の理解」には大きな隔たりがある。

 米国に「核を持ち込むな」と言ったら、「それじゃ日本の防衛はできないよ」と答えるだろう。北朝鮮の核の脅威が高まっているときに、何のために高い金を出していつまでも米国の核の傘の下にいるのか、ということになる。自民党の手っ取り早い解決策は「その議論をしない」ことである。非核三原則から外れるときは協議の対象になる。しかし米国は日本に一度も協議を申し込んできていないので、三原則は守っています、という論理構造なのである。

 新たに政権を取った民主党が張り切って「持ち込んでいないことを検証する」と言ったり、「最低でも普天間代替地は県外に」と言ったり、メドベージェフに四島を訪問しないようにロシア駐日大使を呼びつけて警告したり、日中間で棚上(たなあ)げになっていた尖閣諸島を「国内法で粛々」とやられたら(実効支配までは認めていた)中国もビックリ、となるわけである。今回の問題はこれに尽きる。日本側が駒を一つ進めてきた、と中国側が硬化したのである。

 一般に領土問題というのは実効支配している者が強い。領土として他国に認めさせるためには軍隊による実効支配、国民の居住、徴税などが条件とされている。イスラエルもガザ地区やヨルダン川西岸地区などを占領したあと、積極的に入植を進め既成事実を作り上げようとしている。中国も南沙諸島(スプラトリー諸島)では空港を造るなどして「実効支配」の既成事実を作り上げているし、韓国も竹島では灯台や観光船の離発着桟橋などを設置している。また人を住まわせている。北方領土に関しては残念ながらロシアが実効支配しており、ロシア人の入植も進めている。世界の現実に照らし合わせて考えれば、領土は戦争で取り返すか、外交チャンネルで少しでも返還してもらうことを模索する以外にない。一方、尖閣は何といっても日本が実効支配しており、中国も米国も台湾も、これは認めている。

「次の世代の人間」はケ小平氏よりも賢くはなかった

 戦後、沖縄は米軍統治下に置かれたことから、尖閣諸島も米軍が管理していた。その間、国連のアジア極東経済委員会が尖閣諸島付近で調査を行い、海底油田を見つけた。その埋蔵量は1000億バレル以上とされ、イランの埋蔵量に匹敵するとされる。これをきっかけにして近隣諸国は尖閣諸島に注目するようになった。

 沖縄はご承知のように72年に日本に返還された。日本は尖閣諸島も日本の領土に組み込んだわけだが、このとき台湾も領有権を主張していたことは注目しておくべきだ。

 さて当時の中国はと言えば、尖閣諸島問題よりも日中平和友好条約を優先的に考えていた。78年、副首相であったケ小平氏は尖閣諸島の問題を棚上げにし、領土問題に対して白黒をつけることをしなかった。無理に決着しようとすれば両国の関係がこじれ、平和友好条約の調印が難しくなる。そこで彼は、「次の世代の人間は自分たちよりも知恵があるだろうから、彼らに任せよう」と言ったのである。

 日本政府もその棚上げ論を受け入れて平和友好条約を締結した。つまり、中国側の理解は尖閣諸島に関しては「棚上げ」「先送り」なのである。しかし、日本の実効支配を認めるという態度である。もちろん国民にはそのような主張はしていない。あくまで自国の「固有の領土」である。もめ事は政府間の外交チャンネルで解決、というのが今までの自民党と中国政府のやり方であった。自民党も尖閣諸島は「日本固有の領土」とは言いながら、積極的にそれを周辺諸国に認めさせることはしてこなかった。

 しかし現実には、次の世代の人間はケ小平氏よりも賢くはなかったようで、今回のような事件が起こってしまったわけである。

 結局は現在に至るまで日本政府は、尖閣諸島は「日本固有の領土だ」と主張し、中国政府も領有権を主張している。92年、中国は領海法を定め、尖閣諸島は南沙諸島などと共に中国領と明記した。これに対して当時の小泉純一郎首相は抗議したものの、具体的な行動には出なかった。つまり中国は国内法で尖閣諸島の領有を92年になって明記したのである。日本にはこれに匹敵する国内法は見当たらない。

 今回の事件をきっかけに、中国が尖閣諸島のある東シナ海を国家領土保全上「核心的利益」に属する地域とする方針を新たに定めた、との報道もある。台湾やチベットと同様に譲歩する可能性が全くない、ということを内外に公言したものととらえられている。

 05年には日米間で「2プラス2会議」が開かれた。両国の防衛大臣と外務大臣による会議で、「島嶼(しょ)防衛は日本の役割」と定めた。これによって、尖閣諸島で問題が発生した場合には米国ではなく日本が対応することになったのである。このとき米国は「尖閣諸島の問題にかかわりたくない」と主張したのだと私は考えている。

 つまり日本では、尖閣諸島も日米安保条約の対象と理解している人が多いが、尖閣諸島だけが攻撃されたときには自衛隊がやってください、という日米の役割分担なのである。もちろん沖縄が攻撃されれば安保の対象になることは最近のヒラリー・クリントン国務長官やオバマ大統領の発言でも明確であるが、米国は尖閣諸島を「日本固有の領土」だと積極的に言ったことはないし、尖閣諸島だけを取り出して安保の対象になっている、と明言したこともない。

 前述のように、04年には中国の活動家7人が尖閣諸島に上陸して強制送還されている。このときなぜ大騒動にならなかったかと言えば、自民党政権が二枚舌を使って、今回と同じように(国内法を使って)逮捕しておきながら、その後強制送還したからだ。

 二枚舌とはこういうことである。日本国内に対しては「尖閣諸島は日本固有の領土」と発言している。ところが中国との関係においては、棚上げされていることを知っているものだから、「尖閣諸島は日本の領土だから、国内法で裁く」とは中国に対して言わなかったのだ。中国もその処理に納得していた。尖閣諸島が日本に実効支配されていることは理解している。日本の領土とは認めてはいないが、実効支配されている現実を受け入れていた。だから強制送還されても大きな文句は言わなかった。

 08年、台湾の遊漁船「連合号」が海上保安庁の巡視船「こしき」と衝突し沈没した。このときは厄介だった。なにしろ尖閣諸島は、前述の通り、かつては台湾の一部だった、と認識している人々がかなりいたからだ。

 日本は当初、「日本の領海に入ってきたのだから、追い出そうとして当然」と主張したが、最終的には謝罪した。といっても、「日本の領海」という部分を取り下げたわけではない。あくまでも自動操舵していた遊漁船に衝突・沈没させたことに対する謝罪であった。台湾も、実効支配は日本であることを受け入れているので、それ以上の追及はしなかった。

民主党は「二枚舌」を理解していなかった

 さて、今回の中国漁船の衝突事件である。海上保安庁の巡視船と衝突して、船長を公務執行妨害容疑で逮捕したが、結局は釈放した。ところが今回に限っては、中国は振り上げた拳を下ろそうとしない。これまでと何が違うのかと言えば、ボタンの掛け違いが起こっていたのである。

 前述のように自民党時代は、国内向けには「固有の領土」、中国向けには「領土問題は棚上げしているが、実効支配は日本」という二枚舌を使っていた。ちょうど非核三原則と似たような態度である。あれも国内向けには「米軍の核は国内には持ち込ませない」と言いつつ、米軍には「黙認する」としていたのだから。

 ところが、民主党はこの二枚舌を理解していなかった。前原外務大臣は「尖閣諸島は日本固有の領土」「中国との間に領土問題は存在しない」と中国に対して平然と発言する。蓮舫・民主党議員が「領土問題」などと発言したときは、たしなめて訂正させたりもした。松下政経塾の優等生が学ぶ日本外交の建前とはこんなものなのだろう。

 前原外務大臣はメドベージェフ大統領の北方四島訪問にも異論を唱え、あろうことかわざわざロシア駐日大使を呼んで「日ロ関係に重大な支障が生じる」から中止するように警告している。天候が悪くて訪問を断念したロシア大統領はこれを聞いてカチンときたらしく、「近い将来必ず訪れる」とロシア国営放送局のRTRのテレビカメラに向かって発言。完全に逆効果となった。

 ロシアは北方四島に関しては日本との交渉に前向きであったが、今回の前原発言でその交渉は完全に遠のいたと思われる。来月のソウルで行われるG20、およびその後の横浜のアジア太平洋経済協力会議(APEC)の行きか帰りにメドベージェフ大統領は北方四島を訪問する予定だと言われている。

歴史を知らないで行動した民主党の責任は大きい

 尖閣問題に話を戻すと、今回の事件で「棚上げ」という約束を反故(ほご)にされては中国は黙っていない。中国政府は「棚上げ状態を止めて、日本が一歩踏み込んだ」と解釈したのである。ましてや日本政府が「国内法で粛々」などと言うものだから、中国から見れば「密約違反」以外の何ものでもない。今の民主党政権が自民党よりもかなり右寄りで、この際一気に領土問題を既成事実化しようとしている、と映ったに違いない。中国も「国内法で粛々」とフジタの社員を拘束してしまった。

 「国内法で粛々」がなぜ問題なのかと言うと、02年に中華人民共和国領海法を制定してしまった今となっては、中国も尖閣諸島は「国内法で粛々」とやらないといけない、という建て前になってしまったからだ。法律ができた後に日本が猛抗議をしていたら話は別だが、そのまま通してしまった。だから「国内法」同士が正面衝突する状況になるのである。

 自民党時代のように二枚舌を使ってくれたほうが、中国政府も国民をなだめやすかっただろう。「国内法で粛々」と言われたから中国政府も国民も怒ったのだ。それで船長が釈放された後も、謝罪と賠償を要求している。さらには日本製品のボイコット、レアアース(希土類)の輸出停止などの反日的な動きが高まった。ネットでは極端な意見が出ており、「中国には余剰資金があるのだから、円を買いまくって、今以上の円高にして日本経済を破滅させてやれ」という声も聞かれるほどである。

 歴史を知らないで行動した民主党の責任は大きい。自民党から業務を引き継いでいないのは仕方がないとしても、少し勉強すればいかに自民党政府が国民を騙(だま)していたかがわかるはずである。外交においてはこうした問題の多くが「ニュアンス」の領域のもので、「日米中正三角形論」を突如展開した鳩山由起夫前首相が米国からも中国からも無視されたのは記憶に新しい。菅首相をはじめ民主党幹部には、自分たちが原因をつくったという認識がない。それがまた状況を悪化させている。

 こういうときに継続性を担保するのが官僚の役割である。外務省が役に立てばいいのだが、彼ら官僚にその気はないようだ。外務省に協力する気がないのは、丹羽宇一郎駐中国大使の起用がある。外務省にはアメリカンスクール系とチャイナスクール系があり、チャイナスクール系のトップが中国大使である。外務官僚たちは「いずれは中国大使に」と夢を持っているのだが、民主党政府は民間から中国大使を起用してしまった。だから外務省は、丹羽大使に協力する気などさらさらないのである。

外交の裏チャンネルを使わなければ解決できない

 丹羽大使を3回も唐突に呼び出したりする非礼な中国政府も外務省とは連絡をとっているらしく、フジタの社員との面会も領事には許している。しかし、大使が面会を要求しても断っている。外務省職員の民主党への陰湿な意趣返しを読みとることができる。

 もはや民主党は、中国に対して有効なチャンネルを持ってはいない。強いて「使える」チャンネルを挙げてみると、小沢一郎元幹事長、鳩山由紀夫前首相、池田大作氏くらいだろうか。また、丹羽大使を更迭し、チャイナスクールのトップスターを起用する案もある。丹羽さんは立派な経営者だし中国にも多くの友人がいる。しかし外務省という役所の体質からすれば今回のような修羅場には向いていなかったのかもしれない。

 チャイナスクールで出世するにはせっせと中国政府に都合のよいことをたくさんしてあげて、最後に大使になったときにアグレマン(認証)をもらえるようにするのである。決して日本のためになるとも思えないが、それが過去半世紀の自民党の作り上げてきた、あるいは許容してきたシステムと割り切るしかない。田中角栄の築き上げた中国利権はかろうじて小沢一郎氏に引き継がれている、という見方もできる。

 小沢氏は日中平和友好条約の立役者である田中角栄の愛弟子だ。しかし彼の手法と言えば、裏技、朝貢、土下座、屈辱の甘受くらいで、とても現在の問題解決に力を発揮してくれそうにない。また小沢氏の強制起訴の決まった今の段階では、菅首相は小沢氏に協力を要請することはないだろう。

 鳩山氏は「私だったら事件直後に、この問題をどうすべきか中国の温家宝首相と腹を割って話し合えた」と述べたが、これまでの実績を鑑(かんが)みるに、せいぜい「伝書鳩」の役割しか期待できないだろう。池田大作氏はなぜか中国のトップに人気が高いが、この問題の解決に動いてくれるかというと、果てしなく「?」である。

 この問題を解決するには、正面切って議論していても無理である。外交の裏チャンネルを使わなくてはいけない。テレビカメラなどを入れて、国民に議論の内容が伝わるようにしていたら、まとまる話もまとまらなくなる。もともとは「棚上げ」という密約の上でバランスを取っていた問題なのだから。

尖閣問題で米国に過度な期待を持たないほうがよい

 尖閣問題について米国の動きがはっきりしないのは、元大統領補佐官のキッシンジャー氏の影響がある。

 ちょうど沖縄が日本に返還される時期のことである。72年、ニクソン大統領が訪中したときに、キッシンジャー氏は尖閣諸島の問題を出されるのを憂慮していた。米国は中国と良好な関係を築くことを優先し、それ以外の問題を排除しようとしたのだ。そこで尖閣諸島については曖昧(あいまい)な態度を通したのである。話題にもしなければ直接関与することもしない。これが米国の原則となった。

 現在も米国の態度に変化はない。今の米国にとって重要なのは、日中問題ではなく、東南アジア諸国連合(ASEAN)との連携である。特にASEANの多くの国が領有権を主張している南沙諸島問題には注意を払っている。そうであれば米国には、今の段階で尖閣諸島問題の積極的な関与は期待できない。

 「そうはいっても日米安保があるのだから、尖閣諸島問題については米国も無縁ではないだろう」と思う読者もいるだろう。確かにクリントン国務長官は「日米安保条約第5条の適用対象範囲内」と述べた。しかし、それは「日本の領土だ」と明言したわけではない。

 仮に尖閣諸島を越えて沖縄が中国軍の攻撃を受けたら、間違いなく米軍は動いてくれるだろう。しかし、中国が尖閣諸島にだけ軍を進めて占領したらどうなるか? 米軍はまず動くことはないだろう。占領された段階で実効支配しているのは中国となるので、そうなれば安保条約の対象ではなくなる、というのが米国の解釈だからだ。それに「2プラス2会議」の役割分担合意で「島嶼問題」は日本が対応することになっている。米軍が動く理由がない。米国政府の幹部も、これについては極めて慎重に発言しており、不用意なことは口にしていない。

 ここで過去の例を挙げてみたい。1982年にイギリスとアルゼンチンの間でフォークランド諸島の領有権をめぐって紛争が起きた。イギリスは米国にとって最高の同盟国である。にもかかわらず、米国はこの紛争に介入しなかった。これが米国の対応である。米国はイスラエルとパレスチナの問題でもガザ地区やヨルダン川西岸地区がイスラエル領と認める発言をしたことはないし、エルサレムの帰属に関しても采配(さいはい)を振るっていない。お互いの話し合いを仲介するだけである。尖閣諸島についても過度な期待はしないほうがいい。

来年度予算どころではなくなる可能性もある

 民主党はどう対応すればいいのか。外務省も米国も頼るに足らず、となれば、もはや妙手はない。このままでは、私は政権崩壊の可能性も高いと見ている。なにしろ民主党の対応は非常にお粗末で、日本国民からも怒りを買っている。「国内法で粛々」と言いながら、途中で船長を釈放してしまった。その釈放も民主党の政治的な判断ではなく、仙谷由人官房長官は24日、「検察の判断を了とした」と責任を沖縄地検に押しつけている。

 仮に検察が高度な政治判断をして釈放を決めたとする。だが、それは脱法行為そのものではないか。ましてや今は検察不信が頂点に達している時期だ。大阪地検特捜部検事による捜査資料改竄(ざん)事件で、揺れに揺れている。そんな検察に外交判断を任せられるはずもない。政治主導をマニフェストで標榜(ひょうぼう)しておきながら、都合が悪くなると官僚に任せて「外交的、政治的判断」をさせた、と逃げ口上を言うのだから開いた口がふさがらない。民主党の主体性の欠如は許されるものではない。

 事件が進んでから、「タラレバ」を言っても仕方ないが、本来であれば魚船と船長を中国に返すとき、衝突する様子を収めたビデオ映像を世界に向けて公開するべきであった。そのうえで「彼らの行為は犯罪に値するが、政治的な配慮によって釈放する」と明言すればよかったのである。あるいは漁船を押さえ船長を拘束したまま起訴したうえで、政治的な配慮から釈放してもよかった。そうすれば中国側もその配慮をありがたく受け止め、無茶な要求を抑えることができただろう。

 こうした対応をとったうえで、「二度と尖閣諸島に近寄らないでほしい。今度入ってきたら国内法で厳正に対処するよ」とちらつかせればいいのだ。領土問題をたくさん抱える中国もこの問題を必要もなく大きくしたいわけではなかろう。そうしていれば、今ごろは収束に向かっていたに違いない。

 ところが、今回のように曖昧な状態で船長を釈放したら、拘置期限を延長した理由が不明確だ。世界からも国内からも納得が得られない。しかも中国漁船の行動が不当であったこともアピールできていない。海外メディアは日本と中国の「覇権のぶつかり」というとらえ方で流している。

 中国漁船との衝突事件一つで日本と中国は大騒ぎになっているが、実は同じような事件は韓国でも起こっている。「週刊ポスト」によると、韓国では領海に入ってきた中国人を年間5000人も拘束しているそうである。それに比べれば日本で起こった今回の事件など些細(ささい)なものである。冷たく言えば「民主党の対処が下手なだけだ」ということになる。

 国民は、中国の圧力に屈したと受け止めており、地検に責任を転嫁した民主党には怒りが収まらない、という状態だ。野党の追及次第では政局に影響するし、今の三羽ガラス(菅、仙谷、前原)が特に外交音痴ということもあって、来年度予算どころではなくなる可能性が出てきた。

nikkeibp.co.jp(2010-10-06)