ヤマハ発がスポーツを続ける理由

「普通の会社になりたくない」経営不振でも歯を食いしばる


 2輪車世界2位、船外機は世界最大手のヤマハ発動機はかつてない経営危機に陥った。2009年12月期には2161億円の最終赤字を計上。国内では12工場を5工場に集約し、800人規模の希望退職を募るなど、大規模なリストラに踏み切る。2輪車と船外機の部品の共通化といった従来の事業の枠組みを越えた取り組みにも着手する。

 自動車業界の勝ち組――。
 2008年秋以降、世界経済が変調を来す中で、業績の堅調さが際立つホンダにはそんなイメージが強い。いち早く世界最高峰の自動車レース「フォーミュラ・ワン(F1)」から撤退し、生産調整にも踏み切る一方、2009年2月にはハイブリッド車の「インサイト」を投入、トヨタ自動車の「プリウス」への対抗馬として名乗りを上げた。攻守に機敏な舵取りが高く評価された。

 ところが同社はラグビーやサッカー、モータースポーツからは撤退しなかった。独自の企業文化を守るために、企業スポーツが欠かせないと判断したためだ。

 「はい、ヤマハ発動機・五郎丸です」

 ヤマハ発動機のとある部署に電話をかけると、低く太い声が返ってくる。五郎丸 歩――。3年前までフルバックとして、常勝軍団・早稲田大学ラグビー部を牽引した、学生ラグビー界のスーパースターだった人物である。ちょっとしたラグビー好きなら、まず知らない人はいないだろう。

「すべての選手を社員とします」

 2008年春に早大を卒業した五郎丸さんは、トップリーグの実業団クラブ「ヤマハ発動機ジュビロ」に入団した。もちろん、当初はプロ契約。得意のキックなどを生かし、現在は24歳の若さでチームの副主将を務める。ところが今年4月、事態は一変する。「すべての選手を社員とします」。業績不振によるコスト削減のため、会社側が正式に通達したのだ。

 「正直、大変は大変ですけどね」。こう話す五郎丸さんたち選手は、朝8時から午後3時まで社員として会社で働き、その後にラグビーの練習に繰り出す。ここ2〜3年、トップリーグでの成績は決して芳しくないジュビロ。秋に開幕する今シーズンは、こうした“お家事情”から、今までとは違った厳しさに立ち向かわなくてはいけない。

 それにしても、ヤマハ発はなぜこうまでしてラグビーチームを存続させたのか。

 2008年秋のリーマンショック以降、自動車業界だけを見ても、業績悪化を受けてホンダとトヨタ自動車がF1から撤退。日産自動車も名門の社会人野球チームの活動を休止した。企業規模から考えたヤマハ発の経営不振の度合いは、こうした大手メーカーの比ではない。それでも同社はいまだにラグビーチームのほか、サッカーJリーグの「ジュビロ」、2輪車ロードレースの世界最高峰「モトGP」と、いずれも多額の費用がかかる企業スポーツを継続している。

共通の軸を設ける必要がある

 1つの理由は社員のモチベーション。ヤマハ発は経営の立て直しのため、大規模なリストラを伴う構造改革を進めている。「社員の意識はシュリンクしがちになるが、それは仕方ない。だからこそ共通の軸を設ける必要がある」と柳弘之社長は話す。

 月曜日の朝ともなると、ヤマハ発の社員の間では結果が良かろうが悪かろうが、ラグビーやサッカーの話で持ちきりになる。いわば社員の共通言語のようなものだ。トップによる経営方針とは全く別なアプローチで、企業スポーツで社員の目線も1つに定まる。経営危機を乗り越えなければならない今だからこそ、むしろその重要性も高まっている。

 もう1点は顧客とのつながり、つまりブランド戦略上の必要不可欠なツールとしての機能だ。その一端を、インドネシアで体感した。

 6月下旬の日曜日。インドネシアの首都ジャカルタの中心街から少し外れた一角は異様な熱気に包まれていた。屋外の広大な敷地には、企業が設置したブースが無数に立ち並ぶ。バイクやクルマだけでなく、家電から日用品まで業種も様々だ。

 「ジャカルタフェア」と呼ばれるこのイベントには1日に最大10万人規模の一般客が押し寄せる。最初はクルマで向かったが、同様に会場を目指すクルマのための交通渋滞が発生し、途中で下車して道端の「バイクタクシー」を利用したほどだ。

1カ月間、ヤマハブースで売れるバイクは3000台

 早速、ヤマハブースを訪れると、ブースの入り口に黒山の人だかり。特設の大型ディスプレーではモトGPのレースが中継放送されている。「フィアット・ヤマハ」チームのエースにして、世界最高のライダーであるヴァレンティーノ・ロッシの走りに聴衆が一喜一憂する。

 モータースポーツへの関心が低い日本ではなじみの薄いロッシだが、インドネシアでは“神様”である。ある現地人がこう言っていた。「(幼少時代を同国で過ごした米大統領の)オバマなんかよりずっと有名だよ」。ロッシがインドネシアを訪れればジャカルタの空港付近は詰めかけたファンでパニックになるのだという。

 ロッシはYAMAHAの選手、そのイメージが実際の製品にも重なる。今や世界第3の二輪車市場であるインドネシアで、ロッシを使ったブランド戦略は見事に功を奏している。

 ヤマハブース内に足を踏み入れると、まず驚かされるのは人の多さ。唯一、肩を並べるのはインドネシアでも二輪車最大手のホンダくらいで、ほかのメーカー、異業種を含めても明らかに群を抜いている。来場客も単に最新の製品を眺めるだけでなく、その場で頭金を渡し、購入契約を交わしていくのだ。ジャカルタフェアが開催される1カ月間、ヤマハブースで売れるバイクは実に3000台、土日ともなれば1日に200台に上る。

 こうした“現象”は、ジャカルタフェアに限ったものではない点が驚きだ。ジャカルタのヤマハ発のディーラーを訪れれば、壁にはロッシや、チームメイトでやはりトップライダーのホルヘ・ロレンソの大きな写真が張り出されている。

 レースを軸に据えたマーケティング戦略は店作りに限らない。現地の販売統括会社が企画した草レースや1000台規模のツーリングの開催などを通じて、スポーツブランドを醸成する。「ヤマハの製品は、価格は他社に比べれば割高で値引きもしない。それでも顧客に密着した戦略で販売は市場の成長を上回っている」と販売会社のディオニシウス・ベティ社長は言う。

 フィアット・ヤマハチームは2008年、2009年にモトGPでは2年連続で3冠(ライダー・チーム・コンストラクター)を達成しており、今年もその勢いは衰えていない。ロッシに至っては2カ月前の右足の開放骨折をものともせず、既にレース復帰して上位入賞を果たしている。

 同社のインドネシアでの2輪車販売は今年1〜6月に前年同期比42%増の164万台。通年では300万台を超え、400億円以上の営業利益を稼ぎ出す見通しだ。まさにモトGPの好調が映し出された格好となっている。

 結局のところ、ヤマハ発が企業スポーツをやめない理由は柳社長の一言に集約されている。

 「うちはね、普通の会社になりたくないんですよ」

企業スポーツはブランドの体現

 大型バイクにマリンボート、四輪バギーと同社がこれまで主力としてきた製品は趣味性が強いレジャー品ばかり。企業スポーツのイメージとも合致しやすい。しかし、リーマンショックを契機にした世界不況でこれらの商品の需要は瞬く間に蒸発した。

 むしろ世界で求められるのは、低燃費、低価格といった趣味よりも実益を反映した製品だ。「内部統制も厳しくなり、普通の会社にならなければというジレンマもある」(柳社長)。企業スポーツの継続を巡る議論も、社内では噴出したという。

 それでもヤマハ発は諦めなかった。スポーツを軸にしたブランド戦略はファッション性や技術的な革新性も醸すことができる。「企業スポーツはブランドの体現、ブランドを理解するには続けなくてはいけない」(同)と腹をくくったのだ。

 ラグビーチームは仕事との両立を余儀なくされ、ヴァレンティーノ・ロッシも来シーズンにはライバルのドゥカティへの移籍が決まった。ヤマハ発の企業スポーツもさらなる正念場を迎えることになる。

 企業に対する社会の視線は年々厳しくなり、ややもすればその個性は失われる。ヤマハ発がスポーツを諦めない背景には、こうした没個性化する日本企業社会への反骨があるのかもしれない。 <<北爪 匡(日経ビジネス記者)>>

business.nikkeibp.co.jp(2010-08-18)