歌う速さで曲を書いた 「北国の春」



 真っ青な空を背に、真っ白な幹が陽光を受けて輝いていました。100万本の白樺が林立する北八ケ岳山麓、標高1500メートルの八千穂高原。地元の長野県佐久穂町は、この白樺林を「東洋一美しい」と誇ります。

 この白樺林からすぐ近く、同県南牧村の湊神社の境内には辛夷(コブシ)の大木があります。例年4月、真っ白な花をつけます。今年も4月下旬、花が開き始めました。「北国の春」に歌われたのは北海道でも東北でもなく、この中部地方、長野県は佐久地方の風景でした。

 この村に生まれ育った作詞家のいではくさん(68)は1977年正月、東京の自宅のコタツで新曲の歌詞を考えていました。レコード会社からの依頼で歌手の千昌夫さん(63)が吹き込むレコード用でした。

 発売が4月と聞き、テーマは春に決めました。「北国の春」という題名を思いつきました。子どものころ見た湊神社の辛夷の花を思い出したそうです。

 春が来たのを初めて感じるのは八ケ岳から吹き下ろす冷たい北風が突然、南風に変わる日だといいます。どんよりした空が一気に青空になり、芽吹きで山が茶色から薄緑色に変わるそうです。まず咲くのが辛夷の花。あとは桜も梅もいっせいに咲きます。「私にとって春の花は辛夷なんです」と、いでさんは言います。わき出る思い出を「映画のフラッシュバックのように」、名詞だけで並べました。

 そうして出来たのが「北国の春」の詞でした。

 いでさんは、都内の作曲家遠藤実さん(1932〜2008)宅に歌詞を持参し、手渡しました。遠藤さんは廊下で立ち読みしたあと、「ちょっと水割りでも飲んでてくれ」と言って2階に上がったと思ったら、5分もしないうちに「できたぞ」と声を上げたそうです。

 その5分を遠藤さんは著書『しあわせの源流』に書きます。「脳裏には、故郷といっていい新潟の春の情景が鮮やかに浮かび上がっていた」と。貧しかった少年時代、夜中に雪が枕元に吹き込む小屋に住みました。雪の深さ、冷たさに泣いた分、春になって雪が解け林の上に青空が広がると、晴れやかな顔で笑ったものでした。そうした思いが一気にほとばしり、歌う速さで曲を書いたそうです。

 その場で遠藤さんがピアノ伴奏し、呼ばれていた千 昌夫さんが歌いました。歌いながら千さんの頭に浮かんだのは、ヨレヨレのコートで町を歩く故郷岩手県の人々の姿だったと言います。

asahi.com.(2010-04-29)