なぜハイチの地震被害はひどいのか

カリブ海のハイチで1月12日(日本時間13日)、マグニチュード7.0の強い地震が発生した。首都ポルトープランスは壊滅的な被害を受けた。死者は11万人、負傷者は20万人を超えた。最終的に死者は20万人を大きく上回り、20世紀以降最大の犠牲者を出した76年の中国・唐山地震(死者約25万人)や20年の甘粛省地震(約20万人)に並ぶ可能性もある。首都が壊滅したのは、1923年の関東大震災(約10万5000人)以来である。


 ■最悪の条件で起きた地震

 国連平和維持活動(PKO)部隊の国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)のミュレ代表代行は、記者会見でこの地震を「知りうる限りで史上最悪の条件がそろった災害」と表現した。貧しいうえに政治が混乱していて政府が機能していない。衛生施設などのインフラが整備されず、森林破壊、土壌侵食など環境破壊も深刻をきわめるからだ。

 1960年に370万人だった人口は現在ほぼ1000万人に達している。1km2あたりの人口密度は356人で中南米では小さな島国のバルバドスについで2番目に高い。首都ポルトープランスには巨大なスラム街が点在する。1人あたりの国民総所得は700ドル。国民の7割以上が1日2ドル未満、半数以上が1ドル未満で暮らす西半球の最貧国だ。

 国民の4人に1人が重度の栄養不足で、食料消費の約半分を援助に頼っている。毎年マラリアで3万人が死亡する。今回の地震による死者の半数はエイズ感染が背景にあると、世界保健機関(WHO)はみている。ハイチのエイズ罹患率は成人人口の5%で、中南米で最高だ。エイズによって免疫が極度に低下し、災害後の不衛生な環境で呼吸器や消化器の感染がはびこる。

 政治的な腐敗が進みNGOの政治腐敗度の世界ランキングでは180カ国中177番目。国の開発の程度を示す国連の「人間開発指数」では177カ国中154位である。電気、上下水道、医療、教育など社会資本も大きく立ち後れている。100万人を超えるハイチ人が現在、海外、とくにアメリカに住んで母国へ仕送りをして、経済を支えている。

 ■崩壊した環境

 長年にわたる砂糖プランテーションなどによる破壊に加えて、エネルギーの7割を薪炭に頼っているため、世界でもっとも森林破壊が進行した国である。国連食糧農業機関(FAO)の2005年版森林白書によると、ハイチの森林はわずか3.4%しか残されていない。スペイン人の入植以前には国土の75%が森林だったと推定される。同じイスパニョーラ島を分かつドミニカ共和国の28.4%と比べてもはるかに少ない。

 現在、自然林といえるものは、険しい山岳地帯にわずかに残されているだけだ。世界銀行などの援助で何回か植林が計画されたが、ほとんど機能しなかった。国民は深刻なエネルギー危機に直面している。77種の固有動物種のうち74種までが絶滅かその寸前だ。

 ほぼ全土で森林を失ったために、雨期の雨は急流となって斜面を押し流していく。丸裸になった急斜面に密集するスラムでは、大雨のたびに洪水や地滑りで大きな被害が出る。土壌の侵食で農地が埋まり、ダムへの土砂の大量流入で発電ができなくなるなど、さまざまな環境問題を抱えている。国連環境計画(UNEP)は、世界でももっとも生態系が危機的状況にある国としてハイチを挙げる。

 こうした斜面に地震の振動が加わると土はさらに崩れやすくなる。ただ、不幸中の幸いだったのは、山岳地帯の多いハイチで今回の地震が比較的平坦なポルトープランスで発生し、しかも乾期だったことだ。これが、雨期に起きていたら土は雨水を吸って最悪の土砂災害になった可能性も指摘されている。ただ、首都周辺の斜面にできたスラムはそうではなかった。

 ハイチに最初にやってきたヨーロッパ人は、イタリア出身のクリストファー・コロンブスである。「新世界の発見者」という評価こそ色あせたものになったが、発展途上地域を収奪した先駆者としての地位は変わらない。

 1492年に、最後までアジアの一部と信じていたカリブ海に到達したものの、目的の香料はなく、金銀はあっても限られていた。彼はイスパニョーラ島にスペイン初の植民地を建設した。

 まったく荒らされていなかったカリブ海は、美しい島々が連なっていた。彼の航海日誌には「まことに美しい浜辺がつづいていた。そして千様もの樹木が林立していたが、どの木にも実が一杯なっていた」とある。彼は旧約聖書の「エデンの園」がこの地にあったと信じたのもうなずける。

 島に39人の水夫を残して帰路についた。だが、カリブ海の島々も無人島ではなく、先住民が狩猟や食物採集や原始的な農業で暮らしていた。ほぼ1年後にコロンブスが島に戻ってみると、入植地は破壊され残した全員が殺されていた。スペイン人は先住民を奴隷にし、抵抗する者を殺し、女性を強姦し、子どもをも殺した。たまりかねた先住民が反乱を起こしたのだ。

 ■だれがハイチを追い詰めたのか

 コロンブスは計4回にわたってカリブ海から中南米にかけて航海した。総督の地位に就いたコロンブスは、サント・ドミンゴ(現在のドミニカの首都)に総督府を設けた。犯罪者の鼻や耳を切り落とすなどの残忍な統治を行ない、先住民を奴隷にして金を採掘し、開墾させた。1504年に4度目の航海からスペインに戻ったが、人望を失って人が寄りつかずスポンサーにも見放されて、その2年後にこの世を去った。

 植民地にされたイスパニョーラ島は、その後不幸な歴史をたどった。1520年ごろ、スペイン人はイスパニョーラ島がサトウキビ栽培に適していることを発見して、プランテーションを建設した。そこにアフリカから奴隷を送り込んだ。コロンブスの到達後わずかの間に、先住民の人口が急減して労働者が不足したからだ。

 コロンブス以前には、イスパニョーラ島には少なくても50万人(10万〜200万人まで諸説ある)のタイノ族が住んでいた。しかし、植民地にされてから27年後には、1万1000人にまで減った。その後、スペイン人が持ち込んだ天然痘の流行などにより絶滅したとされる。

 やがてスペイン本国が衰退した後、代わってフランスがイスパニョーラ島の西側、つまり現在のハイチ側を植民地にして奴隷を送り込んだ。そこに、サトウキビの大規模プランテーションを建設した。サトウキビ栽培は広大な森林を焼き払って農園をつくり、しぼった砂糖の原液を煮詰めるために膨大な薪を消費した。また、サトウキビは養分の吸い上げが激しいために土壌を消耗させ、土壌侵食がひどくなった。

 1789年にフランス本国で革命が起きた知らせを聞いた黒人奴隷らは、反乱を起こして白人を追放し、1803年に独立を宣言して世界初の黒人による共和国で、中南米で最初の独立国になった。山が多いという意味の現地語から「ハイチ」と命名された。

 19世紀後半には、森林の乱伐がさらに加速した。コロンブスが絶賛した美しい自然はもはや島のどこにもなかった。追い打ちをかけるように20世紀初頭には鉄道線路の枕木用や都市化のために木材需要が高まった。人口の増大とともに薪の需要が増えて森林伐採の速度は上がり、河岸での開墾が進んで川や海への土砂の流入が激しくなった。

 その後も、ハイチでは内戦や分裂、政治腐敗などの不安定な時代が今日まで続いている。1957年以後は独裁政権によって混乱が強まり、相次ぐクーデターや武力衝突で政情不安が居座り、経済はますます縮小している。1990年に初の民主選挙が実施された後も政権は安定せず、2004年からは国連ハイチ安定化派遣団が常駐している。

 ■貧困と環境破壊が災害を増やす

 荒廃した大地、大きく立ち遅れたインフラは、もはや自然災害を受け止める力が残されていない。2004年のハリケーン「ジーン」では、約30万人が被災し3000人以上が死亡した。2008年には「フェイ」「グスタフ」「ハンナ」「アイク」の計4回のハリケーンが4週間の間につづけて上陸し、計1000人以上が犠牲になり約80万人が被災した。各地で洪水が発生し、食料や燃料代が高騰した。そこに追い打ちをかけたのが今回の大地震である。

 世界の気象統計を調べると、干ばつ、洪水、暴風雨、地震といった異常現象の発生件数が以前よりも増えたという事実は出てこない。災害を引き起こす異常気象は「災害原因事象」と呼ばれ、その発生頻度は地表面積1万km2あたり年間0.27件前後で、過去数十年ほとんど変わっていない。

 「災害原因事象」が自然災害として扱われるかどうかは、一定以上の人的・経済的な被害によって決まる。南極でいくら大地震があっても災害にはならないが、ポルトープランスのような過密都市で発生すれば小さな地震でも大災害になる。

 災害研究の拠点になっているベルギーのルーベン大学の研究グループによれば、70年代に発生した地震のうち、人間の居住地域に影響を及ぼしたものはわずか11%しかなかった。ところが、1993〜2003年には31%にまで増加した。地震の発生件数が増えたのではなく、地震の発生地帯に住む人が増えたことを物語っている。

 環境破壊が地球規模で進行していることが、災害件数を増やしている。傷めつけられた自然が災害を招き、脆くなった自然が被害を拡大させる。発展途上地域では森林や土壌の破壊が急速に進み、保水や土壌の機能が低下して、以前なら小さな被害で収まったはずの災害でも多くの犠牲者を出すようになった。

 さらに、貧困人口の急増から、洪水や高潮に襲われやすい川岸や海岸の低湿地、土砂災害の起きやすい急斜面、降雨の不安定な半乾燥地帯など、危険な場所にまで住まざるを得なくなってきたことが、被害を加速度的に拡大している。「天災」とされて、半ばあきらめられてきた災害は、いつしか「人災」の色が濃くなっていたのである。
<<石 弘之:「地球危機」発 人類の未来」より>>

nikkeibp.co.jp(2010-02-08)