複雑化という“魔物”に苦しむ
トヨタ自動車の大失態、その奥底にあるもの

電子化・電動化などクルマの複雑化がリコールの背景にある。
開発負荷増大に、設計・生産が苦悩するのはトヨタだけでない。
モノ作り研究の第一人者が、課題と進むべき方向性を説く。


 今回の一連のリコール(回収・無償修理)問題は、結果的にトヨタ自動車の大失態というほかありません。

 しかしその原因は安易に単純化できない「複合的」なものです。まずトヨタ自身の判断ミス、組織風土の緩み、強みが裏目に出た部分があります。同時にトヨタの組織能力を超える製品・市場・生産の複雑化、グローバル化といった要因が絡み合っている。トヨタ特有の問題と、産業全体に関わる問題の両方があります。

 総じて、自動車産業における製品・事業の「複雑化」が、根本的な原因の1つだと考えています。トヨタの開発・設計部門は、米国向け高級車の高度な電子化やハイブリッド車に代表される電動化に必死に対応してきましたが、今回はその複雑さに負けた形です。「開発能力の低下」というよりも「開発負荷が大きくなりすぎた」のでしょう。

 根本的な問題が先鋭的に現れた

 最近のクルマの複雑化がもたらす負荷の急増が、現場の能力構築のスピードを上回っていた可能性がある。

 「組織能力と複雑化問題の相克」という、21世紀前半の自動車産業全体が抱える最も根本的な問題が、先頭を走るトヨタにおいて先鋭的に現れた。つまり、複雑化という“魔物”が、今回の問題の背景にはあります。

 恐らくは機能要件など基本設計の条件を部品メーカーに提示する承認図方式で、米部品メーカーのCTSにアクセルペダルの詳細設計を任せたのでしょう。それでもあくまで実車の部品評価を行うのは完成車メーカーです。トヨタ側の品質評価能力が不足していた可能性があります。

 安全・品質など日本のモノ作りの根幹が揺らいでいるという報道も目立ちますが、こういう時こそ、モノ作り現場の実態を注意深く見たうえで評価すべきです。私の見る限り、日本メーカーの設計部門や生産現場の組織能力が崩壊した兆候はありません。

 モノ作りの信頼性は、現場の能力と現場にかかる負荷の相対的なバランスで決まります。そのバランスが崩れたのが、今回の問題の一因です。

 複雑化が同時かつ多元的に起きた

 電子化が進んだ高級車では、極めて複雑な製品設計が要求されます。さらにハイブリッド車などエコカーも非常に複雑な制御が必要になる。新興国市場の急成長、海外工場の急増、世界的なクルマの品揃え拡大も課題でした。

 2000年代は、これらの複雑化が同時かつ多元的に起きました。トヨタは複雑化への対応レースで先頭を走ったものの、その後まさにこの複雑化への対処でつまずいた。米国市場を牽引役とするトヨタの躍進を引っ張った統合型の組織能力が、今回は裏目に出ました。

 日本企業のモノ作り能力が崩壊したという単純な話ではありません。今回、トヨタは複雑化という魔物に負けたが、日本メーカーの複雑化に対応する能力は、今でも世界最高の水準にあります。反省と修正を重ねながら、さらなる挑戦を続けるしかありません。

 ではトヨタを含めた自動車メーカーは、どのような対策を急ぐべきなのか。

 少なくとも先進国のクルマは、安全、環境、燃費、基本性能、楽しさ、美しいデザインなど、あらゆる意味で、さらに厳しい制約条件と機能要件の下で設計をする必要があります。 それは「公共空間を高速移動する高額な重量物」である自動車の宿命です。パソコンや家電と同列には論じることはできません。

 企業も、設計の合理化、デジタルエンジニアリング、制御システムの洗練化、品質管理など、あらゆる手段を総動員して、この複雑化問題に立ち向かわなければなりません。

 「正規軍」と「ゲリラ部隊」が必要

 ただし、シンプルな構造の低価格車を作って、新興国で所得が増している中間層を押さえる戦略も、日本勢が世界市場で存在感を保つには必要です。その点、米国向けの複雑な設計のクルマが最大の収益源だった日本勢、とりわけトヨタは、複雑化と単純化の両面戦略への修正が必要です。

 すなわち、高級車やエコカーといった「複雑設計で勝負」という路線は堅持するが、同時に、新興国などの50万円前後の価格帯では、シンプルな低価格車の領域に打って出る必要がある。

 顧客の上位車種への移行を高価格帯で待っていては、30年前の米国の自動車メーカーと同じ過ちを繰り返します。複雑化路線の「正規軍」と、低価格車の設計・生産に対応できる「ゲリラ部隊」の双方を、自動車メーカーはグループ企業内に持つべきです。

 2月4日の決算発表でトヨタの伊地知隆彦専務は、「品質とコスト削減は両立できる」と語ったと報じられました。これは設計品質と製造品質の2つに分けて考える必要があります。

 伊地知専務が発言したように、製造品質の向上と原価低減は完全に両立し、それこそがトヨタの生産システムと品質管理の神髄です。

 過度の部品共通化が問題を招く

 一方で、設計品質の向上は、原価の上昇につながりやすい。これに対して必要な機能をより簡素な構造設計で実現するのが「バリューエンジニアリング(VE)」です。1990年代半ば以降の10年間に、トヨタが1兆円以上の原価低減を実現した原動力は、まさにVEでした。この間、トヨタ車のボルトの数などは削減され、新型モデルでは共通部品比率も一時高まりました。

 しかし、部品の共通化も過度になれば、製品全体の設計品質に問題を生じることがあるのは周知の事実です。つまり、設計品質と原価低減の関係は、自明ではありません。

 「品質とコスト削減は両立できる」というのは、製造品質に関してはその通りで、トヨタ的な模範解答です。

 だが、設計品質に関しては、必ずしもそうではない。例えば、原価低減のための部品共通化は、場合によっては製品の設計品質にマイナスの影響を与えます。「リコールの主因の1つは部品共通化だ」という国土交通省の調査結果が出たこともあります。

 今回のリコール問題において、トヨタ本社の一部に見られた組織風土の緩みは指摘せざるを得ません。

 私の知る限り、この組織風土の問題は、昨日今日の話ではありません。トヨタが品質で世界一と国内外で言われるようになった90年代から、自社の品質への過信からくる、傲慢とも受け止められかねない言動が、本社の一部のマネジャー層に残念ながら見られました。

 様々な不満を口にしていたユーザーは、私が知るだけでも少なくありません。これはトヨタ本来の経営哲学や思想からの著しい逸脱であり、直ちに是正されるべきです。

 “傲慢な”対応という落とし穴

 品質問題や事故が起こった時に、「当社のクルマの品質は完璧だ。それは運転者の運転の問題だろう」と主張する傾向が、トヨタ本社の一部には根強かった。他社でも同様の失敗はありますが、品質に自信のある企業が陥りがちな「傲慢な対応」という落とし穴です。



 とはいえ工場などトヨタのモノ作り現場では、この種の「慢心」現象は、少なくとも私はほとんど見ていません。 つまり、今回の問題は、開発を中心とするモノ作り現場の能力構築を超える急激な複雑化と、主に本社に見られた品質過信ゆえの傲慢という風土の問題の複合的な結果と言えなくもない。

 しかし、トヨタの現場を含めた組織能力に全面的な崩壊が起こっているわけではありません。私が頻繁に現場に足を運んで観察する限り、中核の現場の能力は今も健在です。学習能力の高いトヨタが、努力を重ねて迅速に立ち直ることを期待しています。

 非正規従業員増加のインパクトは?

 非正規従業員の比率が高まっていたことが、クルマの品質にマイナスの影響を与えるようになったという見方もあるようですが、私はこう考えています。

 日本の完成車メーカーの非正規従業員の比率は、多くの工場で20〜30%ぐらいで、家電メーカーなどと比べると相対的には低かった。完成車メーカーでは、非正規従業員の増加による現場崩壊はあまり問題になってはいませんでした。

 ここでもむしろ、問題は組織能力の崩壊ではなく製品の複雑性の爆発であり、これに対処するための方策が、「SPS(部品キットの事前配膳方式)」「クオリティゲート(製造部による工程内検査)」「チームリーダー制の復活」などだったと考えています。

 しかし部品メーカーの中には、非正規従業員が60%を超え、標準作業が守れない管理水準にまで陥っているケースもありました。部品メーカーの方が、非正規従業員の多寡が競争力に与えるインパクトは大きかったと推測されますが、この点の調査研究はまだ十分ではありません。

 生産現場の総点検が不可欠

 いずれにせよ、自動車産業では、正社員のチームだから出来ることとは何か、何%ぐらい正社員がいれば現場は回るのかなどについて、製造現場の実態調査が必要です。今はそのチャンスであり、私の研究グループでは、ある自動車メーカーと共同でフィールド研究を始めています。

 例えば、生産ラインにおけるある問題の発生から解決、ラインの復旧までにかかる時間が、多くの場合1分以内だとしましょう。こうした迅速な問題発見・問題解決は、どのように行なわれるのかを検証する。そのプロセスで、正社員だからできることは、具体的に何かを解明することが重要です。

 今は訓練の技術も上がり、非正規従業員でも、標準作業を複数こなせる「普通の多能工」を、数週間で育成できます。もちろん複数工程で、スピーディな異常対応、部下の面倒見、設備点検、継続改善などをこなせる「スーパー多能工」を育成するのは簡単ではありません。育成に数年がかかるので、正社員になる可能性が高いでしょう。日本の製造現場が実力を発揮して生き残るには、作業チーム内の正社員は50%いればいいのか、あるいは70%必要なのかなどを現場で確認しておく必要があります。

 完成車メーカーも部品メーカーも、生産規模の縮小によって、国内の製造現場における正社員の比率が高い今は、生き残りをかけてそうした現場の総点検を実施する千載一遇のチャンスです。

business.nikkeibp.co.jp(2010-02-12)