これが日本の原風景だ 唱歌「故郷(ふるさと)」



 戦後まもなく、長野県の田園地帯を歩く一人の日本画家がいました。ふと心引かれたのは、川が流れる平凡な風景です。そのとき頭に浮かんだのが、小学校で歌った「故郷」の歌詞でした。

 彼の生まれは横浜で、記憶にある故郷は港や船のはずです。でも「きれいな水の流れる青い山の風景」こそ、より根元的な故郷と思えました。その風景を描いた作品「郷愁」を1948年の日展に出品し、無鑑査出品の資格を得ました。画家の名は東山魁夷と言います。

 唱歌「故郷」に歌われた風景は、同じ長野県の永江村(現・中野市)だそうです。作詞した国文学者の高野辰之(1876〜1947)が幼いころを過ごした土地です。だから歌詞に山や川はあっても、海は出てこないのです。

 新幹線の長野駅でJR飯山線に乗りかえ、中野市へ向かい、替佐駅から車で15分ほど走った山中に、高野の生家があります。そこから5分ほどのところの橋から、北を見ると大平山と大持山がそびえています。「これが『かの山』です」と、高野辰之記念館の高野源・元館長が断言しました。

 橋のそばの真宝寺のわきに小川が流れています。斑川です。「これが『かの川』です」と高野元館長が言います。幅3メートルほどの清流で、千曲川に注いでいます。辰之が子どものころはカジカやヤマメなど、清流にしか棲まない川魚がたくさんいたといいます。

 高野は、「故郷」のほかに「春が来た」「春の小川」「朧月夜」「紅葉」なども作詞しました。いずれも作曲は岡野貞一(1878〜1941)です。日本人が心に描く日本の原風景はほとんど、この2人のコンビで作られたといっても過言ではないでしょう。

 明治時代の教科書は、最初は自由発行でしたが、1904(明治37)年発行の修身などから国定教科書が作られ始めました。高野は1909年に文部省小学校唱歌教科書編纂委員を嘱託され、教科書に載せるためにこれらの歌を作ったのでした。

 このうち「故郷」は第2次大戦のころを除き、現在まで小学校の共通教材になっています。こうして、辰之にとっての故郷、長野の景色が、日本人の「故郷」の共通イメージとなったのです。

asahi.com.(2009-10-22)