Hondaがトヨタ降し13年ぶり優勝

 第80回都市対抗野球大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)は最終日の1日、東京ドームで決勝戦を行い、狭山市代表のHonda(ホンダ)が、豊田市代表のトヨタ自動車との接戦を4−2で制し、和光市代表として優勝した67回大会(96年)以来13年ぶり2回目の優勝を果たした。日本選手権2連覇中のトヨタ自動車は、14回目の出場で悲願の黒獅子旗獲得はならなかった。

○Honda(ホンダ、狭山市)4−2トヨタ自動車(豊田市)●

 狭山市が、序盤の連打で挙げた得点を、継投で守り切った。

 三回、2死から小手川の四球と落合の中前打で一、二塁とし、川戸が三塁線を破る適時二塁打を放って1点を先取。続く長野の中前適時打で2者を迎え入れ、この回3点を奪った。1点リードで迎えた九回には、先頭の多幡が左中間へソロ本塁打を放った。

 豊田市は五回、藤原の右越え2ランで1点差に詰め寄り、八回には1死二、三塁、九回にも1死一、二塁と攻めたが、あと1本が出なかった。

 狭山市先発の筑川は変化球の制球がよく、五回に本塁打を含む2安打を許した以外は安定した投球。七回からは坂本、須田とつなぎ、再三のピンチをしのいだ。【黒尾透】

 ▽狭山市・安藤強監督 三回に川戸がなんとかしようというバッティングで、長野につないでくれた。八回のピンチも、(補強の)須田君がよく乗り越えてくれた。

 ▽豊田市・間瀬啓介監督 4安打では勝てない。大谷も出してはいけない四球を出して打たれた。でも、初めて決勝に来られたのは収穫だ。

 ▽朝比奈豊・毎日新聞社社長の閉会の言葉 優勝した狭山市は複数の強打者をそろえた打線が迫力満点でした。準優勝の豊田市も投打ともひけをとらない力がありました。日本政治の新体制が決まり、経済、地域の再生が課題です。都市対抗野球も90回、100回に向け、たゆまぬ努力を続けていきます。

 ○…狭山市の須田が八回無死一、二塁のピンチに登板。送りバントの後、二ゴロと空振り三振に仕留める見事な火消し役を務めた。JFE東日本から補強された新人として、「ホンダの先輩たちにかわいがってもらい、楽しく投げられた」。決勝でも切れのある速球を武器に、ピンチにも動じない強心臓ぶりを発揮。早大時代に1年先輩の主将だった田中が豊田市の5番打者だったが、田中は途中で交代したため、早大対決はならず。「投げたくなかったので、助かりました」とホッとしていた。

 ○…九回に一発を浴びた豊田市・佐伯は「あれで試合が決まってしまった。申し訳なく思っています」と力無く言った。先頭打者の5番・多幡に対し、初球のスライダーが高めに浮き、豪快に左中間席に運ばれて差を2点に広げられた。今大会は大垣市・西濃運輸からの補強選手として出場。右横手から直球、変化球で打者のタイミングを外す投球で好投を続けてきたが、決勝の舞台で、まさかの本塁打を許した。「最後の最後で打たれてしまって……」。一球の怖さを改めて知らされた社会人4年目の26歳は、この経験を今後の糧にしていくつもりだ。

 ◇狭山市・ホンダ

 1960年に本田技研の名称で創部。01年に和光市から狭山市に本拠地を移し、ホンダと改称。都市対抗は、和光市代表として出場した第67回大会(96年)で初優勝した。日本選手権大会は85年に優勝している。

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ライバル同士が激突、社長も応援 決勝戦

 1日に東京ドームで行われた第80回都市対抗野球の決勝戦は、トヨタ自動車(愛知県豊田市)とホンダ(埼玉県狭山市)というハイブリッド車(HV)の販売競争を繰り広げるライバル同士の対決となった。スタンドには、豊田章男トヨタ社長と伊東孝紳ホンダ社長の両トップも陣取り、熱い声援を送った。

 13年ぶり2回目の優勝を果たしたホンダの伊東社長は三塁側スタンドで社員や選手の家族と応援。「相手がトヨタで正直燃えた。自動車産業が暗い中で非常にうれしい勝利。社員や地域も元気付けられたと思う」と喜びを語った。

 初めて決勝に進出したトヨタの一塁側スタンドでは豊田社長も応援団に交じり、声援を送った。悲願の優勝はならなかったが、豊田社長は「今までベスト8が最高だったが、ここまでよく頑張った」と選手をねぎらった。

 HV市場では、トヨタが「プリウス」、ホンダが「インサイト」を看板にし烈な競争を展開しており、決勝戦も例年以上の熱気に包まれた。【大久保渉、米川直己】

mainichi.jp(2009-09-02)