ホンダの真壁、新天地で飛躍期す ダルの応援励み
 
 宮城・東北高時代、ダルビッシュ有投手(日本ハム)との2枚看板で甲子園を沸かせた真壁賢守投手(23)が今春、東北福祉大から社会人野球の強豪ホンダ(埼玉)に進んだ。期待されながらもリーグ通算7勝にとどまった大学時代の悔しさを晴らそうと、新天地で必死に野球に打ち込む。

 合流して4カ月以上がたち、持ち味をアピールし始めた。4月は練習試合で2度の中継ぎ登板をし、鋭く曲がるシンカーを武器に計7回を無失点。安藤強監督も「打者を打ち取るこつを知っている」と評価する。

 高校時代は春夏通算3度甲子園の舞台に立ち、2003年には全国選手権準優勝に貢献。当時掛けていた黒縁の眼鏡、真壁、ダルビッシュの語呂合わせから「マカベッシュ」「メガネッシュ」の愛称で親しまれた。

 その実績が、大学では重圧となった。「高校以上のピッチングをしなければいけない、という思いが強かった」という。入学直後に二段モーションの指摘を受け、フォームを修正。最速145キロだった球速は10キロ以上も遅くなった。

 リーグ戦では格下相手に勝ち星は挙げたが、不満の投球ばかり。ふがいなさに嫌気が差し、野球への意欲を失った。

 再起のきっかけは、大学3年の秋に新チームの副主将に選ばれたことだった。「それまでを振り返ったら何もなかった。財産を残したかった」。意識が変わり、冬場の走り込みと投げ込みの量は「これまでの5倍以上やった」。

 だが、オーバーワークがたたり、右ひじの靱帯(じんたい)を損傷。4年の春季は棒に振り、秋季は不調で試合には出られなかった。それでも夏に球速143キロを記録するなど、本来の輝きを取り戻し始めた。「濃密で貴重な1年だった」と振り返る。  ダルビッシュとは今も連絡を取り合う仲。3月のワールド・ベースボール・クラシック優勝の際に、お祝いのメールを送ると「お前も頑張れ」と励まされた。「プロで活躍している姿に刺激を受けた。野球を捨てなかったのは、あいつのおかげかもしれない」と感謝する。

 まずは、中継ぎを任されそう。「高校時代がうまくいきすぎだった。新たなスタート。自分を追い込みたい」と語る。(大橋大介)

kahoku.co.jp(2009-05-18)