原点に立ち返り、危機と戦う
ホンダ・福井威夫社長

 日米欧のクルマ販売が大幅な落ち込みを示すす中で、2008年10〜12月期はなんとか黒字に踏みとどまったホンダ。しかし今年1〜3月期は大幅な赤字に転落する見通しだ。生き残りをかけ、F1撤退、生産調整、投資の凍結など対応を急いでいる。日経ビジネス1月26日号「リーダーの研究」連動記事の最終回では、福井威夫社長が、危機感とホンダの原点、環境戦略を語った。

問 自動車産業は、大きな危機に直面している。ホンダを含めたあらゆるメーカーは生産調整を急いでおり、非正規社員を中心に雇用への影響も大きくなっている。一方、環境規制は強化されており、環境車の開発は待ったなしだ。経営トップとして、何に最優先で取り組んでいるのか。

答 新しい時代に変わっていく際に最も重要なのは、企業として健全であるかどうかだ。環境は日を追うごとに悪化している。ホンダも今年1〜3月期には大幅な赤字になる見込みだ。2010年3月期は、一番厳しくなるだろう。ここをなんとか水面上で乗り切りたい。そのために必死に努力している。

 危機を乗り越えた上で、その先にある新時代の勝負を分けるのは、やはり低公害で燃費のいいクルマだ。最有力なのはハイブリッド車である。2月6日に発売するハイブリッド専用車の新型「インサイト」にかける期待は大きい。

 しかしその前に、この1年をどうしのぐかが、ものすごく大きな課題だ。いかに思い切って決断し、経営サイドと労働組合サイドが一致してどれだけ変われるのか。従来のやり方にしがみついていると乗り切れない。

問 危機感を象徴するのが、「フォーミュラ・ワン(F1)」からの撤退だ。福井さんはレースがやりたかったから、ホンダに入社した。2000年からのF1再参入も指揮している。F1撤退の意味を、改めて聞きたい。

答 昨年10月、11月に入って販売台数がどんどん落ちてきた。2008年度の下期の見通しは赤字になった。自動車メーカーとして在庫を持つのは命取りだ。工場の稼動率を落とす必要がある。正規以外の社員の雇用に、国内では手をつけ始めている。英国では正規社員に早期退職をお願いし、募集を始めることが決まっていた。

 まず真っ先にやらなきゃいけないのは、我々がどれだけ危機意識を持っているかを全社員に伝えることだ。全員に知ってもらえなければ、誰も何もできない。(雇用に手をつけることを)社会も認めてくれない。

 だから(私にとって)一番大事なF1を切った。ホンダがF1をコスト削減してでも継続して、非正規の従業員をカットすることは私にはできない。同時に役員報酬をカットした。即カットは普通ありえない。通常は、今期の業績に連動して、来年の株主総会で決める。そこまで踏み切っている。

 ただはっきりしているのは、我々は安易に雇用をカットすることを考えていないことだ。雇用削減は、あくまで最後の手段。赤字になるスレスレのところで判断する。そこまでは雇用を頑張る。赤字になるということは、企業が存続するために政府支援を受ける可能性も考えなくてならない。税金を使うことになる。そんなことをして雇用を維持するのは、本末転倒で、ありえない。だから収益をギリギリのところで保ちながら、決断していく。

 F1の位置づけは、ホンダの社員ならみんな分かっている。撤退しなきゃいけないほど、経営が追い込まれているということは、理解してもらえたと思っている。ホンダはグローバル企業であり、ある地域にいる人は、ほかの地域のことは分からない。例えば、国内で四輪車をやっている最前線の人は、海外の状況は知らない。昨年12月初めの時点では、「日本の販売は前年比プラスなのに、どうしてこんなに騒いでいるの」という認識だった。グローバルで全社員の意識を合わせるには、F1撤退が一番有効な手段である。

問 創業者の本田宗一郎氏と藤沢武夫氏の書いたものを最近読み返していると聞く。何を学んだのか。

答 2人の創業者はいろいろな経営危機を乗り越えてきた。創業者はホンダがこんな大きな会社になるとは思っていなくて、まあ「経営なんてばくちだ」と考えていた。最初はそれで済んでいたが、ある時期、経営危機を乗り越えた時に、「社会的な影響が大きくなっている。従業員も増えているし、会社がイチかバチとは言っていられないぞ」という認識を持つようになった。

 その時に創業者が一番すごいなと思ったのは、50年くらい前に、「企業の社会的責任」を考えていたことだ。社内報でこんな風に言っていた。「企業の社会的責任で一番重要なのは、雇用と納税の義務だ。これはものすごく重要だ。納税義務を果たすには、企業がきちんとした健全体質である必要がある。だから利益を出す必要がある。赤字を出したら企業は倒産するので、雇用なんて言っていられなくなる」。

 だから利益を多額に出すために、雇用を切るなんてことは、ホンダではとても考えられない。雇用の義務と納税の義務は両立しなきゃいけない。これを守ることが、企業の社会的責任だということは明快だ。今回のような状況だと、それは一層はっきりしている。

問 福井さんはレース活動などを通じて、本田宗一郎氏に直接触れる機会があった。

答 本田宗一郎とは何度も接点があった。レース活動を担当していた1980年代初めには、結果が出せなくて、激しく怒られたこともあった。怖い人だった。自分の感情が、その場で抑えらない性格で、徹底的に怒ってしまう。

 しかし後からものすごく反省している。怒った相手には、後でフォローしていた。だからみんなが付いてきた。(レースでの)勝ち負けにこだわるとかではなくて、裏のところではすごく人間的な配慮をする人だった。

 徹底的に怒られた時には、「自分たちの努力を全然理解してもらえていない」と思ったので、「いいかげんしろ」と最高顧問室に怒鳴り込んだ。会社を辞める覚悟だったが、話を聞いて、逆にいろいろとなぐさめてくれた。

 信じることはぶつけてみる。ホンダはそういう会社だ。ほかの人もそうだと思う。真実はここにあって、これはずらせないと思うなら、立場がどうであろうと言う。意見がぶつかっても、言わないと(真実に)たどりつけない。

 本田宗一郎はあれやこれや言っていたが、いつも「やりもせんで」と怒っていた。「やりもせんで。自分で確認したか」と。「全部自分でやって、結果はこうなっています」と言うと引き下がる人だった。

問 肩書きや年齢に関係なく、自由闊達に本音で議論するホンダ伝統の「ワイガヤ」文化を、福井さんは今も大事にしている。なぜなのか。

答 ワイガヤをやらないと、企業体が大きくなると、悪い話は言わなくなる。「裸の王様」になってしまう。どの組織でもそうなる。そうなったとたんに破滅に行く。だから昔のいい風土を残していきたい。

 基本的なところではホンダに、ワイガヤ的な文化は残っていると思う。(自分が)裸の王様にならないために、なるべく現場の人たちに情報をもらうよう心がけている。

問 危機の中で、光明があるとすれば環境分野だ。ホンダの環境戦略を聞きたい。

答 環境と一口に言ってもいろいろな変遷がある。有害物質の削減は見えてきて、後は二酸化炭素(CO2)だが、これはものすごく根深い問題だ。CO2という意味で、環境対応をきちんとやったシステムでないと生き残れない。各国政府のいろいろな法規制やインセンティブがあるが、CO2という観点から環境問題に一歩でも二歩でも進んだ商品が生き残ると我々は信じている。だからハイブリッドの新型インサイトが重要になる。

 日本や欧米の環境関連の法規制を考えると、インサイトのようなクルマがないとビジネスができない。企業別平均燃費規制(CAFE)をクリアする必要があり、低公害化、低燃費化を加速したクルマに対する様々な優遇措置も生まれている。インサイトはその恩恵を受けられる。

 だからハイブリッドでは失敗できない。ライバルと戦うには、インセンティブを受けられるクルマが必要だ。欧州の場合も、CO2をたくさん排出するクルマにはペナルティーが課せられる。インサイトは、コストと実用燃費のバランスが優れたクルマだ。逆境ではあるが、これをビジネスベースできちんと販売できるかどうかが、自動車会社としての生き残りのカギを握る。

問 3年くらい前には、中大型車では低公害のディーゼル車に注力する方針を掲げていた。ハイブリッドを小型から中大型まで展開するという新しい戦略は、正直言って「変わり身が早い」という印象もある。

答 当時の方向性は間違いだったとは思っていない。しかしその後、本格的に新型インサイトを開発し始めた。その中で、ハイブリッドのコストポテンシャルが分かってきた。同時にディーゼルもやってきたが、日米の様々な規制への対応や商品としての可能性を改めて評価し直した。結果的に今の段階で、日米でディーゼルを出すリスクは、非常に大きいと再認識した。合理的に考えて、方向転換している。

 欧州ではディーゼルはちゃんと残る。大きいものだけではなく、小さいディーゼルもある。ただ(ハイブリッドと比べた)位置づけは弱くなった。ディーゼル燃料はガソリンと比べて、価格が高騰して、燃費の優位性がない。それでも相変わらずディーゼルの生き残ることができる領域はある。

 ガソリンエンジンとモーターを組み合わせたハイブリッドだけでなく、ディーゼルエンジンとモーターを組み合わせた「ディーゼルハイブリッド」のコンセプトは、今も考えている。ガソリンハイブリッドより(車両価格が)高くなるが、燃費はいい。将来の方向性としては、あるかもしれない。

問 福井さんの父親は、海軍の技術士官であり、終戦後は艦艇研究の第一人者として活躍した福井静夫氏だ。呉の海軍工廠にいたことがあり、戦艦「大和」などの設計にも詳しかった。どのような影響を受けたのか。

答 父の影響があったのは事実だ。技術者という方向性は小学校の頃から考えていた。僕の兄弟はみんな技術系。政治家や経済界に進もうという考えは全くなかった。

 小学校の頃は、素直だから影響を受けやすい。ただ中学校に入って反抗期になると、父親の方向には行きたくないと思うようになった。だから大学では、父親とは違って化学を専攻した。どちらかと言うと(ポーランド出身でノーベル賞を取った化学・物理学者のマリ・)キュリー夫人の方向に行きたかった。

 自分自身は根っからの技術者だと思っているが、今は経営者として意思決定しなくてはならない。現場でレースを担当していた当時は、「赤字でもレースは続けるべきだ」と言っていた。しかし今は世界中でたくさんの従業員を抱える会社の社長として、極めて重い責任がある。(自分にとって)つらい決断でも下さなければならない。

問 危機に直面する中で、福井さんが本質的に一番大事だと考えているのは何か。

答 ホンダには「わが社は世界的な視野に立ち、顧客の要請に応えて、性能の優れた廉価な製品を生産する」という社是がある。これは今も昔も大事で、インサイトはその1つの事例である。

 創業者や2代目の社長である河島喜好の話を聞いても、厳しい時期があった。だから我々も、「危機を乗り越えてやる」という思いでやっている。こういう状況だから、そう言うのは当たり前に聞こえるかもしれないが、2〜3年前に営業利益1兆円が見えてきた時も、「こんなに利益がいっぱい出るのは、いつもそうじゃないぞ」と常に考えてきた。

 ホンダの原点は、様々な危機を乗り越えてきたことにある。とりわけ環境対応は昔も今も変わらないキーワードだ。私自身も技術者として経験している。1970年代に、(厳しい環境規制を乗り越えた)「CVCC(複合過流調整燃焼方式)」エンジンを搭載した「シビック」がヒットした後にも厳しい時期もあった。当時、私は本田技術研究所の研究員だったが、大変だった。それをどうやって克服してきたのかは、自分で分かっている。

 危機を乗り越える際に大事なのは、管理職である部室長や課長など、現場を率いる人たちのリーダーシップだ。時代が変わるといっても、人間の社会だから、基本的なものは変わらない。それは平家物語の時代から同じだ。現場のリーダーだけでなく、みんなが力を合わせて、戦っていくしかない。

nikkeibp.co.jp(2009-02-03)