消費税22%、払う覚悟ありますか?〜
『フィンランド 豊かさのメソッド』堀内都喜子著
 サウナ、サンタクロース、ムーミン、キシリトール、ノキア、それからシベリウス作曲のフィンランディア……と、私たちが知るフィンランドのキーワードは意外に多い。2006年にはフィンランドの首都、ヘルシンキを舞台にした映画「かもめ食堂」が人気を博したし、インテリア好きの間では、フィンランドも含めた北欧家具が“グッド・センス”の基準にもなっている。

 とはいえ元来は北欧の小国。日本人に限らず、一般には馴染みの薄い国がフィンランドだ。しかし、そんなフィンランドが近年、世界的に注目を集めている。きっかけは、2004年に発表された、経済協力開発機構(OECD)による国際的な学習到達度調査(PISA)。先進国を初めとする世界41ヶ国・地域で実施された調査では、フィンランドが総合1位となり、続く07年発表の同調査でも同じくトップの座に輝いた。

 それだけではない。05年発表の世界経済フォーラム(WEF)による国際競争力ランキングでも4年連続で1位を達成。アメリカのような大国や、その大国の衛星のごとき日本国がどんどんと行き詰る時代に、フィンランドでは次世代型社会への転換が進んでいるのだ。

 一体なぜ? そして、どのように? という興味に応え、フィンランドの大学院に留学し、現地の生活を肌で感じた著者がつづる素顔のフィンランドが本書である。

子どもは塾もお受験もない、大人は残業しない

 学習到達度や国際競争力ランキングでトップに就いて以来、フィンランドには世界からの視察が絶えないという。もちろん日本からも多くの人が行っているだろうが、学校教育や、社会の現場は日本とずいぶん違う。

〈フィンランドには「一生懸命」という言葉があるのだろうかと思うほど、生活はのんびりしていて、職場も学校もリラックスしている。子どもたちは午後一時、二時というと、もう授業が終わり、家路につく。宿題は毎日あっても、それほど時間をかけている様子は見られないし、二カ月の夏休み中はいっさい宿題がない。いったいいつ勉強しているのかと首をかしげずにはいられない〉

 日本にいると、残業帰りのサラリーマンに混じって、塾通いの小学生が暗い夜道を歩いていたりして、いったいいつ遊んでいるのかと心配になるのだが、フィンランドでは塾もお受験ブームもない。非競争的な環境は、大人が働く職場でも同じだ。

〈フィンランドが国際競争力世界一位になったと言うと、よく「じゃあ、フィンランド人はよく働くのか」と聞かれるが、それはまったく違う。たしかにフィンランド人は真面目にものごとに取り組むけれど、休むことも忘れてはいない。平均的な勤務時間は朝八時から午後四時まで。フレキシブルな勤務時間を設けているところが近年多く、九時に行けば五時に仕事が終わり、基本的に労働時間は七時間半。それ以外はあまり残業をしない〉

 そのような記述に接すると、競争激化時代に生き残らねばならぬ、とばかりに勉強に勉強を重ね、残業に次ぐ残業にいそしむ、わが国の子どもと大人って何? と思う。

 世知辛い生き残り競争から人間がまぬかれる社会とは、日本に限らず、成熟化した国が次に目指すべき理想ではある。当然のことながら、フィンランド型の理想的な社会は、自然発生したものではない。

 1990年代にバブル経済の崩壊で、フィンランドは大不況に見舞われた。危機に瀕して、政府と企業は徹底的な「集中と選択」を行い、その結果、失業率は20%まではねあがった。が、一方でIT産業の育成や、国の人材を育てる教育改革には徹底的に力を注いだ。「痛みの伴う改革」は数年で好転し、世界の優等生として表舞台に躍り出る。

 改革は国民に安心、安定を与えると同時に、大きな義務も求めた。すなわち高い税金だ。たとえば、食品は17%、他の商品は22%、たばことお酒はそれ以上の消費税が課され、ガソリンにいたっては値段の60%が税金。しかも所得税は20〜30%。

 ここで私は自問する。教育、医療、福祉が充実し、女性の社会進出が当たり前で、老後の不安に駆られることがない。政治がクリーンで、税金の使途の透明性が高い。そんな社会はぜひ実現したいけれど、ここまで高い税金を払う覚悟は自分にあるか?

 実は、覚悟はある。しかし、払う先として、わが日本の政治は信用に足るか……となると、深いため息をついてしまう。先の社会保険庁の乱脈を引くまでもなく、日本の政治は国民の信用をまったく獲得できていない。このギャップは、ちょっとやそっとの視察では埋めがたいものである。

そのまま真似はできないけれど

 つまり、フィンランドと日本では、両社会を動かす根本的な原理に大きな違いがあるのだ。フィンランド社会の原理は「合理性」。対して日本のそれは「情実」。そして、フィンランドの「合理性」を可能にしている与件とは何かというと、人口密度の低さ。結局は、これに尽きるのである。

〈フィンランドの面積は日本から九州をとったくらいで、そこに約五百万人の人々が暮らしている。それは北海道の総人口より少ない。ちなみに人口密度で見ると、一平方キロメートルあたりの人口は、日本の三百四十人に対し、フィンランドはなんとたった十七人〉

 人間がひしめきあう場所では、どうしても競争原理が先走る。逆に、人間が圧倒的に少ない場所なら、競争よりも、教育や福祉のような“安全装置”を社会に張り巡らせていく方法論が発達するだろう。いわば前者が高度成長期の日本型、後者が成熟後のフィンランド型だ。

 もちろん、どちらか一方が万能なわけではなく、それぞれの過程でおのおのの豊かさもネガティブなことも生じる。一見、理想の極みであるフィンランドでも、深酒でベロベロに酔っ払うフィンランド人の、もう一つの姿が本書には記されている。よって、フィンランド型が成功したからといって、即、同じことを日本で実現するべき、と短絡はしない。

 だが、本書が描き出すフィンランドの生活が、人間にとって知的であることは確か。少子高齢化、地方のますますの過疎や財政の破綻など、日本が抱える課題の解決ヒントもたくさんある。何よりも、素直な筆で描き出されるフィンランドの暮らし方が読んでいて心地いい。 (文/清野由美、企画・編集/須藤輝&連結社)


business.nikkeibp.co.jp(2008-11-18)