食料危機は最大の好機――
今こそ作れ、儲かる農業

 「植物工場」の経営に乗り出す企業が増えている。福島県白河市にあるキユーピーの植物工場。ここでは、年に164万株(サラダ菜換算)のレタスやサラダ菜を出荷している。同じく茨城県土浦市や兵庫県三田市の植物工場でレタス類を生産しているJFEライフも、土浦工場の増設を決めた。ベンチャー企業や外食企業の参入も相次いでおり、植物工場普及振興会によれば、全国に30カ所の植物工場が存在するという。

 光や温度、二酸化炭素などを管理し、通年での野菜栽培を可能にする植物工場。路地栽培とは違って天候に左右されないため、年間を通して安定供給が可能だ。さらに、農薬を使わずに無菌状態で野菜を作ることができる。「安心」「安全」「安定供給」を求める外食業界や食品加工業界のニーズは根強い。

 農業関係者が関心を寄せる植物工場。実は、千葉県船橋市に少し変わった工場がある。光や温度を完全制御する大規模工場ではないが、独自に開発した自動化ラインなどによって「ミツバの18期作」を実現している。その生産性の高さは、世界的に見ても競争力があると言われるほど。この工場を作り上げたのは斉藤幹夫氏という一個人だ。資本力のない農家でも、創意工夫で収益を高めることが可能――。斉藤氏の植物工場はそれを体現している。

 30度近くまで気温が上がった6月14日。ニンジン畑に囲まれた温室の中にはむわっとした熱気がこもっている。暑さの中、ペットボトルを片手に数人の女性が額に汗を光らせてきびきびと立ち働いていた。東京から小一時間。千葉県船橋市にある斉藤農園である。

 この斉藤農園、2000坪の温室でミツバを水耕栽培している。1日当たりの出荷量は700〜800ケース。ミツバ農家としては大きな部類だろう。

 水耕ミツバは以下のような手順で栽培される。まず、種子を水洗し、吸水させた後に冷蔵庫に入れて低温処理する。ウレタンボードに処理した種子をまき、10〜14日ほど置く。その後、栽培パネルに定植し、水と肥料が入ったプールベンチに浮かべる。そのまま、溶液の入ったベンチの中でミツバを育成。季節によって異なるが、25〜30日後に出荷となる。

 他を圧倒する「ミツバの18期作」を実現

 栽培方法は温室で水耕ミツバ栽培を手がけるほかの生産者と変わらない。ただ、斉藤氏がほかの農家と違うのは、圧倒的な生産性である。一般的なミツバ農家が年10回程度、ミツバを生産するところ、斉藤氏は最大で年18回、ミツバを作る。回転率は倍近くも違うから驚きだ。

 「ガソリン代や電気代、農業用資材。いろんなコストが上がっている中、利益が出ているのは回転率が高いからでしょう」と園主の斉藤幹夫氏(56歳)は言う。圧倒的な回転率の差。それは、斉藤氏が独自に考案した生産システムによるところが大きい。斉藤氏の工夫。その1つは、独自開発した「移植機」の存在である。

 上述したように、ほとんどの生産者は定植から出荷まで、溶液の入ったプールベンチに苗を植えたウレタンボードを浮かべたままだ。

 それに対して斉藤氏は2段階の手順を取る。定植の段階では120の穴(「8×15列」)が開いたウレタンボードで苗を育てる。そして、10〜14日後、120穴パネルから64穴パネル(「8×8列」)に移し替える。

 初期の育苗段階では、穴の密度が高い120穴パネルを使う方が数多くの苗を育てられるため効率的だ。ただ、ある程度生育が進むと、120穴パネルでは穴の間隔が狭すぎて生育に悪影響を与えてしまう。そのため、途中で穴の間隔が広いウレタンボードに移し替える必要があるが、実際は手作業でやらなければならず手間とコストがかかる。斉藤氏は、この移植を自動的に行う機械を独自に開発した。

 仕組み自体はさして複雑なものではない。1列に植えられたミツバを機械がつまみ、64穴ボードに移植するだけ。使う機械も食品工場の製造ラインなどで普通に見かけるものだ。ただ、ミツバには長く、柔らかい根があり、穴に通そうとしてもすべての根がうまく通るとは限らない。針に糸を通すのが難しいのと同じ話だ。

 「移植機を作れば生産性は上がる」。斉藤氏はこう確信していたが、機械ではミツバの根をきれいに穴に通せない。さて、どうしようか。頭を巡らせた斉藤氏は水流を利用するというアイデアを思いついた。ミツバを移し替える際に根の部分に水をかけ水流の勢いを借りて根を穴に通すという発想だ。このアイデアを基に、機械メーカーと作り上げた。

 次に、移動プールベンチの導入である。これは、ウレタンボードが浮かんでいる細長いベンチのことだ。手で押せばレールの上をゴロゴロと簡単に動く。農園では、パートの女性がベンチを手で押して移動させる光景があちこちで見られる。ベンチにはICチップが付いており、何日前に植えられたミツバか、すべて把握できるようになっている。

 このベンチ、オランダの農家が花卉生産で使用しているものだという。それを購入し、ミツバ栽培に利用したのは15年ほど前のことだ。

 人でなく作物が動く農業を実現

 移動ベンチを導入する少し前、斉藤氏は視察で徳島県の大塚製薬を訪れた。この時の目的は肥料工場の視察だったが、ちょっとした手違いで肥料工場を見ることができず、代わりに「オロナミンC」の製造ラインを見た。初めて、飲料の製造ラインを見た斉藤氏は驚いた。「瓶が動いているッ」。飲料工場では、充填機や包装機ではなく、瓶がものすごい早さで動き回る。これが、斉藤氏には新鮮だった。

 水耕栽培の場合、ベンチは固定式で人が動き回ることが多い。オロナミンCの瓶のように、作物が人の方に来れば、仕事が楽になるはずだ――。若い頃から腰痛に悩まされていた斉藤氏は「作物が動く農業」を実現するため、移動ベンチの導入を決断した。

 移動ベンチを導入したことで、従業員1人当たりの生産性は向上した。斉藤農園で作業に当たる従業員は約20人。ほかのミツバ農家に比べて半分程度の人数だ。しかも、体調を壊している斉藤氏は最近、ほとんど農園には出てきていない。パートの女性に任せきりにしても、作業が滞りなく回っているのは、移植機や移動ベンチなどで作業を効率化しているためだ。

 収穫したミツバを箱詰めするまでの最終工程も自動化した。最終工程は、ミツバの根を切り取り、下葉を毛羽立たせ、下葉を刈り取り、洗浄した後に脱水する――という5つの工程からなる。すべてが1つのラインで自動化されており、随所に斉藤氏のアイデアが光っている(1ページ目の動画をご覧ください)。

 安全で身近な材料を使って機械を工夫

 例えば、ミツバの根を切り取る際に用いているのは輪ゴムである。実際に機械を見ると、ピンと張った輪ゴムを高速回転させて根を切り取っていた。初めは丸鋸の歯を使っていたが、これだと手入れをする時に怪我をしかねない。輪ゴムなら指を入れても輪ゴムが切れるだけ。安全性を考えて、輪ゴムに替えた。

 下葉を刈り取る「自動下葉取り機」も斉藤氏のアイデアのたまものだ。

 ミツバの根本には短く細い下葉が付いている。出荷する際には見栄えをよくするために、この下葉を落とす必要がある。従来は人の手で下葉取りを行っており、膨大な労力がかかっていた。この部分を機械化できれば、作業のコストは大幅に下がる。ただ、機械を使うと、下葉を落とす時、肝心の茎を傷つけてしまう恐れがあった。

 斉藤氏はこの課題を解消するため、ホームセンターで売っているウレタン製のブラシを使った。ブラシを回転させ、その摩擦で下葉を刈り取るのだ。この自動下葉取り機の開発もコスト低減に大きく寄与している。移植機や移動ベンチ、下葉取り機などにかけたコストは1億5000万円以上。機械メーカーと組んで自作した機械も数多く、複数の特許を取得している。

 「ここまで自動化、効率化が進んだ葉菜類の栽培システムは世界的にも際だっている」。千葉大学大学院の丸尾達・准教授は指摘する。創意工夫次第では、農業の生産性は改善する余地がある。水耕ミツバという狭い領域だが、そのことを示す好例だろう。

 親の背中を見て娘夫婦が「跡を継ぎたい」

 そして、斉藤農園は後継者問題にも1つの解を示している。

 独自の生産システムを作り上げた斉藤氏。実は、数年後にこの農園を閉めるつもりだった。56歳とまだ若いが、体調の問題もあり、農業を続けていく気持ちはなかった。また、娘が1人いるが、既に嫁いでおり、跡を継いでくれる人もいない――。ところが、最近になって、娘夫婦が農園を継ぎたいと言い出した。

 「私がある程度、儲けているのを見ていたからだと思いますよ」。笑いながら言う斉藤氏は、こう続けた。「親が稼いでいなければ、子供は絶対に継がない。農業の後継者問題は親の問題でしょう」。

 もともと畑作農家だったが、35年ほど前、当時は手がける人が少なかった水耕ミツバの世界に足を踏み入れた。それ以来、様々な工夫で儲かる農業を実践してきた。その半生は、米価の下落に右往左往するコメ農家と対照的だ。新しい機械の発明、おいしい野菜の栽培、そしてもっと儲かる農業――。今も次から次へとアイデアがわいてくるという。こういう親の後ろ姿を見ていれば、子供が農業を継ごうと考えるのは自然なことだろう。

 実際のところ、どれだけ稼いでいるのか、具体的な金額は教えてくれなかったが、20代の娘夫婦に今の仕事を辞めて跡を継ぎたいと思わせるだけの収入はあるのだろう。世界にも希な生産システムを独力で作り上げた斉藤氏。農業もまだ捨てたものではない。彼の笑顔を見ていてそう感じた。

nikkeibp.co.jp(2008-08-05)