スピード社が破った常識

「水着は編み物」、日本勢に固定観念

 北京五輪競泳の前哨戦ともされた「ジャパン・オープン」は、日本人選手の日本記録の更新に沸いた。筆頭は、世界記録を約1秒も短縮した男子200m平泳ぎの北島康介選手だろう。

 記録更新の“立役者”となった英スピードの水着「レーザー・レーサー」。日本水泳連盟が選手に着用を認めたメーカーは、デサント、アシックス、ミズノの3社のみだったが、選手がレーザー・レーサーを“試着”したところ16人が日本記録を更新した。

 日本でスピード製品の開発、製造、販売の権利を持つのはゴールドウイン。アスレチックスタイル事業本部の小嶋正年スピード事業部長は「レーザー・レーサーで記録更新ラッシュが起きると、既に宣言していた。今年は水着開発の元年」と誇らしげに語る。
 その自信の背景にはレーザー・レーサーの素材がある。従来の日本製品と一線を画す決定的な違いがあるのだ。

 ミズノとの契約終了が転機に
 2007年5月まで、スピードの水着は、スポーツ用品首位のミズノが42年間にわたってライセンスを保持していた。スピードの水着に変革が起きたのは、この契約が切れる時期と重なる。
 スピードは1914年に、オーストラリアで創業した。水着を主力に成長し、五輪で競泳水着の評価を高めた。世界展開を進める中で、日本では65年にミズノと契約。以来、同社の商品開発の中心にいたのがミズノや東レだ。
 特に、2000年に出た“鮫肌水着”の異名を持つ製品は注目を集めた。鮫の表皮を参考に水着表面に0.1mmの溝をつけて水の抵抗を減らした。
 実はこうした開発が活発になる中でも「競泳水着にはある常識があった」と小嶋氏は言う。それは「きつい」は「遅い」というもの。締めつける水着は泳者の動きを制限し、速さを損なうからだ。だから、スピードを含めて日本で一般的な水着の素材は、糸を編み込んだ「ニット」から成り立っていた。伸縮性が高く、着心地がいいのが特徴だ。
 この常識を破ったのがレーザー・レーサーである。スピードは2004年頃から水着の新素材を、世界中の繊維市場で探していた。その結果、選ばれたのは、無名に近いイタリアの繊維メーカー「メクテックス」の素材だった。

 メクテックスが提供したのは「織物」。「従来の日本の競泳水着の枠から完全にはみ出すものだった」(ゴールドウイン)。編み物が1本の糸をループ状に構成するのに対し、織物は縦糸と横糸を組み合わせて布地を作る。一般的には、Tシャツのように引っ張れば伸びるものが編み物で、背広やYシャツのように伸縮性が乏しいものが織物とイメージすると分かりやすい。 実際、ゴールドウインは、初めて発売した織物製の水着「FS-PRO」の販促資料に、「着やすさを求めるなら、よした方が賢明です」とうたった。
 しかし、その後にこう続く。「速さを求めるなら、賢明な選択です」。

 「日本勢、すぐには作れない」
 「我々の製品を着た選手は必ず『浮いているようだ』と言います。それは織物だからです」と小嶋氏は説明する。
 実際、従来のニット製の水着の場合、生地の重さは1m2当たり約240g、水を含むと2倍近い403gとなる。これに対して、レーザー・レーサーの生地は、通常117gと軽いうえに、水を含んでも、126gとほとんど変化しない。
 こうした特徴から、世界のトップスイマーが、レーザー・レーサーを選んでいる。日本の水着メーカーや繊維メーカーは安閑としていられない。  開発の壁となるのは、日本の“編み物文化”だと小嶋氏は言う。「日本は編み機は世界的にも優れているが、織り機は欧州の方が優れる。レーザー・レーサーの素材がイタリア製なのはそこが関係するだろう。レーザーや超音波を使った加工法などを含め欧州の技術が使われており、現状では日本でレーザー・レーサーは作れない」と話す。
 「水着は編み物」という固定観念を持ったことで、日本勢は大きな代償を払うことになった。     

日経ビジネス2008年6月16日号14ページより