やはり厳しいタタ「28万円カー」の前途

 1月に開催されるモーターショーは米デトロイトの「北米自動車ショー」が最大だが、今年はこと注目度ではインドの「デリー自動車エキスポ」がリードしたようだ。同国の商用車最大手、タタ・モーターズが10万ルピー(約28万円)の超廉価乗用車「ナノ」を披露したからだ。このクルマ、インドだけでなく世界の新興市場での席捲を狙う戦略車だが、前途は厳しいと見る。

 発表された「ナノ」をテレビや新聞報道で見て、洗練されたデザインに驚かされた。車体は全長3.1メートル、全幅1.5メートルと、ほぼ日本の軽自動車規格(全長3.4メートル、全幅1.48メートル)と同じサイズ。専用に開発したアルミブロックのエンジンは2気筒で排気量623cc、最高出力33馬力。パワーはやや劣るものの、エンジンも軽規格(660cc)並みだ。

 タタは年産能力25万台の専用工場を建設し、今年秋からインド市場に投入する。量をこなさなければこの価格は無理なのだが、25万台の工場という思い切った投資にも圧倒される。年間の販売台数が800万台を超え、世界で中国に次ぐ巨大市場となった2輪車のユーザーを国産マイカーに導くというのがタタの悲願である。

 ダイハツ「ミゼット」との相似性とは
 しかし、モータリゼーションの進展パターンを当てはめると、このクルマは過渡期の比較的短い間に役目を終えるような気がする。微少単位(10億分の1)を示す「ナノ」から連想したのは、英語で「超小型」(=midget)を意味したダイハツ工業の「ミゼット」との相似性である。

 ミゼットは、3輪の貨物車(実際には乗用車用途にも使われた)という「ナノ」との根本的な違いはあるものの、昭和30年代を駆け抜け、その後の4輪軽自動車ブームにつなぐ役割を果たした。ピークの1960(昭和35)年には8万6000台を売り、4輪車を含む自動車市場でベストセラーとなっている。

 当時の価格は、エンジンが初期モデルの249ccから305ccに拡大されていた後期モデルで22万円程度だった。その頃の貨幣価値から見ると高価であったのは間違いないが、60年当時の日本の1人当りGDP(国内総生産)は、すでに現在のインドの4倍程度であったことを勘案すると、国民に「クルマ」を身近に感じさせる価格であったと言える。

 3輪車としてのミゼットは1957年から71年までに約32万台が生産され、うち2万台はアジアを中心に輸出されている。パキスタンではノックダウン(KD)生産も行われ、輸出先には何と米国(800台)も含まれている。日本の自動車産業のグローバル進出の曙光でもあった。「ナノ」もまさに、そうした使命を託されている。

 もっともミゼットのブームは長くなかった。60年代後半になると多くのモデルが投入された軽4輪がマイカーやライトバンの主役となったからだ。ダイハツ自身も「フェロー」や「ハイゼット」に軽の主体を移していった。

 「あわてる必要はない」、スズキは当面は静観の構え
 今後数年のインド市場で、「ナノ」をミゼットに重ね合わせると、ミゼットの市場を奪った軽4輪に相当するのは、最大手のマルチ・スズキ・インディアが生産している「マルチ800」や中古車となるのではないか。

 スズキの軽自動車「アルト」の旧型をベースにしている「マルチ800」は日本円で50万円台からと「ナノ」の倍程度だが、装備や性能を勘案するとそう割高ではない。日本で償却した金型などを使っているので値下げ余地もある。

 スズキの鈴木修会長は「実車を見たうえで、対応策をしっかり考えたい。あわてる必要はない」と、「ナノ」に対し当面は静観の構えだ。一方、マルチ・スズキは今後数年で中古車を含む販売網の拡充に1000億円規模の投資を計画しており、インドでも中古車市場が本格的に立ち上がることになろう。

 ただし、仮に「ナノ」が短命モデルに終わっても、タタには「28万円カー」に挑戦した無形の資産は残る。500人が参画したと言われる技術者たちに蓄積された低コスト車の開発や生産技術のノウハウだ。日本や欧米などの大手メーカーにとっての将来の脅威は、むしろそこにある。

nikkeibp.co.jp(2008-01-29)