福岡国際42.195キロ・ウォーキングに挑戦

 昨年から始まった福岡国際マラソンコースを歩くウォーキング大会(第2回福岡国際42.195キロウォーク)に今年は挑戦することにしました。

 とは言っても完歩する自信がなかったので事前の申し込みはせず、調子を見て大会当日受付で参加することしました。

 挑戦することにした目的は、42キロを歩くという大きな目標を立てることにより、日常のウォーキング運動に弾みをつけ、老化が進む一方の体力を維持するためです。それと、40代のころは青梅マラソンやフルマラソンを何度も走りましたが、あれから20数年、現在の自分の体力がどれくらい残っているのか確認したかったからです。

 制限時間は10時間です。途中で昼食もとりますので、完歩するには10キロ2時間(キロ12分)程度のペースで歩かなくてはなりません。結構早足です。

 普段は毎日5キロ程度歩いていますが、その程度では42キロは厳しいので、大会に備えて2ヶ月前から、自宅から大濠公園まで3キロちょっと行って、大濠公園を2週(約4キロ)して帰るまでの10キロを、1時間40分(キロ10分)のペースで歩くことにしました。

 ところが初日に左足の第二指(人差し指)の爪が真っ赤に充血し、死んでしまいました。私の足の指は第二指が一番出ています。このような指の形をギリシャ型というそうです。それで、今まで履いていた安物のスニーカーからナイキのスニーカーに変えました。そうしたところ今度は右足の4指(薬指)の裏側に縦に長く大きな豆ができてしまいました。

 これではとても42キロは無理だと考え、アシックスのシューズ専門店「歩人館」に相談に行きました。

 そこでは足の形を自動測定する機械が置いてあって、その人に合ったシューズを選んでくれます。

 私は今までずっと靴のサイズは25.5と思っていましたが、25.0でそれも右足の方が短めだそうです。また、靴の巾は普通2Eか3Eですが、私は巾が狭くて薄く、CかDが適当だそうです。指に豆ができたのは、靴の中で足が遊んでいるからだということで、お店が選んだのは皮製で見た目にも巾が細いものでした。今まで履いていたのは布製で甲が柔らかく、巾広で履いたときにゆったりとした感じのものでしたので、お店が選んだものは全く異なる感じの靴でちょっと不安がありました。早速履いて歩いてみましたが、底が固いので土踏まずの部分が浮いた感じがして足の裏が疲れるので、土踏まずの測定値に合わせて肉盛した左右の形が異なるインナーソールを作ってもらいました。

 しばらく履いているうちに足になじんできましたので、42キロを歩ける自信がだいぶついてきましたが、靴を新調したのが1週間前でまだ完全に履きなれていなく、また、指の豆も完治してないので完歩できるかどうかはまだ五分五分といったところでした。

 長年ジョギングをやってきましたが、このようなところに豆ができたり、爪が死ぬのは初めてで、ジョギングとウォーキングは足にかかる負担が異なることが分かりました。

 シューズの選定はできました。次は携帯するものです。このような長距離を歩いた経験がないので、リュックを背負うかどうか、服装はどのようなものを着るか、お昼の弁当を持つかどうか、大会事務局に尋ねてみましたが、皆さんいろいろですということで参考になりません。リュックを背負うと負担にならないか、服を着込むと暑くなったときに邪魔にならないか、お昼の弁当は持たずに道中の食堂で食べようかなど悩んだ結果、リュックを背負い、その中に弁当や着たものを脱いだときに入れるようにしました。

 いよいよ大会の日が来ました。朝7時スタートですので5時起きで、お腹が減らないように雑煮でお餅を5個食べました。早朝は寒いので、セーターを着て上にホンダの販売店でもらった薄手のジャンバーを着ることにし、昼食におにぎりを用意して、リュックサックを背負って出かけました。

 外はまだ薄暗く寒々としていました。歩きはじめてまもなく右のふくらはぎに痛みを感じました。最初からこれではとても42キロは無理だなと不安を感じながら地下鉄に乗って会場に到着しました。スタート30分前に会場に着きましたが、仮設の小屋はまだ電気が点いていて、既に多勢のウォーカーでごったがえしていました。そこで当日の登録をしてゼッケンをもらいリュックに止めました。

 小屋の反対側に設けられた舞台で、ウォーキングの注意事項の説明があり、準備体操をしていよいよスタートです。マラソン大会とちがって時間を争う競技ではありませんので、緊張した雰囲気は全然なく皆さん雑談で賑わっていました。

 まだ日が昇らない朝靄の中を大濠公園を3/4周して市内のメイン通りの202号線に出ました。実際のマラソンは平和台競技場がスタートでゴールですからそこだけが違います。

 5キロ地点の地下鉄藤崎駅が我が家から近く、そこで女房に待機してもらって写真を撮ってもらい、ついでにもらった大会関係の資料を少しでもリュックが軽くなるように渡しました。

 17キロでケヤキ通りに出て警固交差点を右折します。朝痛かった右のふくらはぎは歩いているうちに痛みもとれ、キロ10分の快調なペースで歩きます。
 20キロ地点での所要時間と体調によって完歩できるかどうか判断しようと考えていましたが、完治してなかった豆がまたチクチク痛み出し、これ以上悪くならないか心配になりだしました。

 23キロ地点に朝日新聞社のビルの一角に休憩所があり、そこで昼食をとりました。休憩所には私の他は一組の親子だけで、皆さんどこで食べているのでしょう?そこで30分休憩をとる予定でいましたが、女房から朝渡した大会関係の資料の中に飲み物の券が入っているのでこれから届けるというので待っていて出発が予定より10分遅くなりました。

いよいよ後半に入りました。相変わらず足の豆が痛み、右足をかばいながら歩きました。道中方向が変わるところには、標識を持った若い案内の女性が立っていて、頑張って下さいと声を掛けられます。また、10キロ単位で通過を証明するハンコを押すチェックポイントがあって、そこでは多数の係り員が励ましの声を掛けてくれます。

 快晴で風もなく気温も18度と絶好のウォーキング日和でしたが、やはり歩いていると喉がかわきます。水を持つと負担になるので、道中自動販売機で買って15キロと35キロ地点で補給しました。
 博多ではちょうど大相撲九州場所が開催されていて、見かけたおすもうさんが声をかけてくれました。

 福岡国際マラソン放映でいつも映る名島橋を渡って2キロ行ったところで折り返しです。

 マラソンのときは通行止めで道路中央にポールが立っていますが、ウォーキングでは車が通っていますので陸橋を渡ります。ゴールまであと10キロになり、何とか完歩の自信が湧いてきて、豆は相変わらず痛みますが手を大きく振って歩くようにしました。

 歩くのは全コース左側の歩道で、青信号が点滅を始めると一旦停止です。この信号の通過の仕方が疲労にかなり影響します。歩きに余裕があるときは少し手前で信号が変わりそうだったら小走りで渡ります。余裕がないときは急がずに一旦停止して足の屈伸運動をして筋肉の疲労をとります。
 また、私は発明家ですので秘密兵器を用意しました。長距離を歩くとどうしても血が下がって肩が凝ります。それで、リュックの肩ベルトに肩もみ具を取り付け、肩をもみながら歩きました。これが大変効果を発揮して疲れが大分違いました。

 折り返して10キロ付近で那の津通りを左折すると福岡城のお堀に突き当たります。あと2キロでゴールです。

 この時点で右足をかばって歩いたつけが回ってきて、左足のモモに痛みを感じ出しましたが、ここまでくればもう完歩まちがいなしと、紅葉のお堀端を眺めながら大きく腕を振って腕で足を引っ張りながら歩きます。

 いよいよゴール入り口にあるゲートが見えてきました。

 ゴール手前で係員の人達が拍手で迎えてくれました。

 なんとか15時15分にゴールしました。8時間15分の所要時間でした。9時間から10時間の間を予定していましたので、2時間近く早目にゴールできました。ゴールすると「おしるこ」のサービスがありましたが、途中で女房に渡した大会の資料の中に、「おしるこ」の引き換え券が入っていて、券がないので残念ながもらえませんでした。

 42.195キロウォーキングのチャレンジに成功してほっとしたと同時に、まだ42キロを歩く体力があるという喜びを味わいました。42キロ歩ける自分の足に感謝です。来年はもう少し早い時期から歩き込みを始め、豆対策をきちんとやって、もっと快適に歩けるようにしなければと、早速歩人館に行って相談しましたところ、足の先に余裕がありすぎるのが原因だということで、インナーソールの先の方に肉盛をしてもらいました。今回長距離を歩いていてインナーソールの効果をはっきり感じました。「歩人館」ではその人の足に合ったインナーソールを作ってくれて、具合が悪ければ無料で調整してくれます。豆がよくなったら早速長距離を歩いて確かめて見たいと考えているところです。

記:山永 順一(2005-11-25)