今、改めて問う! ホンダはF1で何がしたいのか?

 第3期F1活動でホンダは何をしたいのか? ウェブサイトに載せるコラムにしては、かなり長くなりそうだが、今回はこの8年間ずーっと抱いてきた疑問と怒りについて、ここで考え直してみたい。今シーズンのホンダの悲惨な状況を云々する以前に、最も大切な「何のためにF1を戦うのか」という部分があまりにも曖昧に思えてならないからだ。

 今回のマレーシアでもまた惨めな成績に終わったホンダF1チーム。予選ではメルボルンに続いてバリチェロが第1ステージで脱落し、辛うじて第2ステージに進んだバトンも15番手が精一杯。決勝レースではバリチェロ11位、バトン12位と、順位だけならまだマシに見えるが、上位陣との差は余りにも大きく、直接のライバルはホンダ自身が支援する「弟分」であるはずのスーパーアグリ……という状況。もちろん、昨年のチャンピオンチームであるルノーですら、ちょっと油断すると今年のように苦戦することもあるのが厳しいF1GPの現実だし、今年のマシンがある意味「失敗作」であることは、開幕戦の時点である程度判っていたのだから、それがたった3週間で大きく改善されるとは思えないのだが、いわゆるメーカー系「ワークスチーム」の中で今年のホンダが際立ってダメなチームであることは紛れも無い事実であり、これはもう一種の非常事態。ちなみにホンダは現在、大幅な改造を加えたマシンを準備中で、これが6月のカナダGP前後には投入されるようだが、少なくともそれまでは多くを期待しないほうがいいだろう。

 ここで、誤解しないで欲しいのだが、僕は今年のホンダの「惨状」そのものに怒りや不満を感じているわけではない。いや、もちろん、個人的にもすごくガッカリはしているし、見るに耐えないほど酷い内容だという点にも異論はない。しかし、開幕前のテストの時点から厳しいシーズンになることはある程度分かっていたので、気持ちでは受け入れがたくても、アタマの中では「想定内」ギリギリの状況(正直に言うと、それより酷いが……)だと言えなくも無いのである。さらに踏み込んだ言い方をすれば「ダメでも当然で、厳しくても通るべき道を通っているだけ」とすら考えている。なぜなら、僕は今年こそがホンダ第3期F1活動の「本当の意味での1年目」だと思っているからだ。

 99年にBARホンダとして参戦を開始して以来、今年で8年目を迎えるホンダ第3期F1だが、最初に掲げた「車体とエンジンの両方をホンダが手がける形で頂点を狙う」という目標とは裏腹に、新たな挑戦の中核であるべきF1の車体開発については、なかなかホンダ側が主体的に開発をリードする体制が作り上げられずに中途半端な状態が続いてきた。その根本的な原因としては、ホンダが当初の「100%ホンダによるワークスチームでの参戦」という計画を変更し、BARという経験も実績も無い新興チームとの共同開発という曖昧かつ中途半端な形で参戦したことが何よりも大きいが。それ以外にも第2期F1でエンジンサプライヤーとして数々のタイトルを獲得したホンダの、自分たちの力に対する「過信」や「おごり」、時代の流れから取り残されていたエンジン開発技術や、F1車体開発に関する明らかな経験や認識の不足が、状況を更に難しくしていたことも事実だ。

 もっと率直に言えばホンダはF1をナメていたのであり、自分たちの力不足を認識するのにすら少なからぬ時間を要したので、何かといえば「パートナー」であるはずのBARを批判し、そんなホンダに対してBAR側も不満を募らせていた。当然、こうした状況では「共同開発」など順調に進むはずもなく、BARホンダから現在に至る歩みは、そんな「不幸な生まれ」によって生じた、それこそ数え切れないほどの問題を少しづつ修正してきた道程あり、その結果、ようやくたどり着いたのが、「ホンダがホンダのやり方でF1マシンを開発して戦う」という現在の体制なのだと僕は思っている。だからこそ、今年のマシンであるRA107は元ウイリアムズのテクニカル・ディレクター、ジェフ・ウィリス主導で進んできた過去数年間の流れから大きく踏み出し「失敗を恐れずにチャレンジする」ホンダスピリットを前面に押し出した攻めデザインを採用したのだ……と。

 残念ながら、こうして「失敗を恐れずに攻めた」マシンであるRA107は結果的に失敗作だったと言わざるを得ないだろう。しかもジェフ・ウィリスがデザインした昨年型のマシン、ホンダRA106の流れをくむ(というより、ほとんど“そのもの”に近い)スーパーアグリSA07が予選でワークスホンダを上回る速さを見せて、その「失敗」を更に目立たせてしまうという皮肉な事態となっている。だが、僕はこうして言い訳の聞かない状況で手痛い失敗を経験することが、今のホンダにとっては何よりも大切であり、だかこそがこれは「本来通るべき道」なのだと考えているのだ。シビアな言い方だが、これだけダメだということは、少なくとも現時点でホンダには「実力が無い」ということであり、その厳しい現実を誰かのせいにするのではなく、まずはホンダ全体が正面から受け止めない限り、絶対に次のステップには進めないだろう。そして、これだけ惨めな姿を晒しながらも、そこから泥臭く這い上がろうと全力を尽くすのが、本当の意味での「ホンダスピリット」なのだと信じている。

 しかし、そんな僕が心配を通り越して「怒り」すら感じるのは、肝心のホンダがそうした挑戦の意味を理解しているのか大いに疑わしく、何よりもホンダ自体に一貫したF1挑戦への姿勢が感じられないことだ。分かりやすく言うなら、冒頭に挙げた「何のためにF1を戦うのか」という根本的な部分がホンダ自身の中ですら明確になっていない気がするのだ。 実際のところ、僕のように「F1参戦の形」や「意味」「目的」なんかを気にしているのは日本のF1ファンの中でもごく一部に過ぎないのだろう。多くのファンはそんな細かい事よりも「日本人ドライバー」や「日本のチーム」(その実体がどうであれ)がF1で活躍してくれさえすれば、それで満足なのであって、まずは「ニッポン・チャチャチャ」の一体感と「結果」が命。その意味で結果がいまひとつ盛り上がらない現状は当然、「不満」以外のナニモノでもなく、何よりも「結果を出して欲しい」すなわち「ともかく勝ってくれ!」いうのが本音なのだ。では、ホンダ自身が今回の第3期F1に求めるものは何なのか? それが多くのファンと同じように単なる「結果」なのだとしたら、今のアプローチは明らかに間違っていると言わざるを得ない。

 フェラーリやマクラーレンと同じように年間500億円近い予算を投じるのなら「ホンダの技術」「ホンダのやり方」などにこだわらず、フェラーリからロス・ブラウンでも引き抜き、他チームからも経験豊富なF1スペシャリストをかき集めればいい。F1界の裏も表も知り尽くした人物をチームのボスに据えて、人、金、モノをキチンと揃えれば、それこそが成功への最短距離。国際化、無国籍化が進む中での総力戦が現代F1の姿なのだから、むしろこのほうがチームとしては自然な姿だし「日本人主体のチーム運営」とか「ホンダ独自のやり方で……」などという考え方自体がむしろアナクロ的だと言えるぐらいだ。

 第2戦のマレーシアGPが終わった翌日には早くもイギリスのウエブサイトで「ホンダが休職中のロス・ブラウンに接触か?」というウワサが報じられていたが、その真偽はともかくとして「参戦の形」や「意味」よりも結果を重要視するのならば、それは自然な流れであり、むしろチームとしてやらなければならない事なのだと思う。

 だが、本当にそれでいいのか? 第3期ホンダF1が目指したものは単なる結果だけなのか? 今や少数派なのかもしれないが、少なくとも僕はそうではなかったと信じている。なぜなら僕は、基本的にヨーロッパ人の文化であるF1に、日本のメーカーであるホンダが自分たちの技術で正面から立ち向かい、結果として頂点に立つ事でその力を証明する姿が見たいと思い続けてきたからだ。マクラーレンやウイリアムズで活躍した第2期ホンダF1で、エンジンサプライヤーとして文字通り「F1を席巻した」ホンダだが、今でも「日本人にF1の車体は作れないだろう!」というのがヨーロッパ人たちの本音であり、そうした空気は長年、F1の取材をしていても身をもって感じることができる。

 だからこそ、たとえアナクロと言われようと、僕は日本のメーカーが自分たちの技術と力で、自らイニシアチブを取った形でF1マシンを造り上げ、戦い、勝利する日を夢見てきたのだし、60年代の第1期F1でも、そしてエンジンサプライヤーとして参戦した第2期のF1でも、そうした「ホンダ独自のアプローチ」で無謀ともいえる挑戦をしてきた。そしてヨーロッパという「アウエー」での戦いででニッポンの力を証明してきたからこそ、ホンダというメーカーはこの世界で尊敬を集め、僕たちに感動と夢を与えてくれたのではなかったか?

 残念なことに、そうやって我々に夢を与えてくれた「ホンダスピリット」は今やホンダ自身の中でも絶滅寸前の危機にあるようだ。悲しい事だが、第3期F1活動が始まってからこれまで、いろいろな場面で、それを実感せずにはいられなかった。明確な目的や戦略を持たないまま、場当たり的な対応を繰り返したり、問題の責任を押し付けあったり、くだらない派閥間の争いやメンツにこだわり続け、本当に「やらなければならないこと」を放置するホンダの人たちを数多く見てきた。ホンダスピリットを口にしながら、やっていることは正反対の「サラリーマン思考」だったり、素人目に見ても重要な課題がそのまま置き去りになっていたりして、正直、その実情に幻滅したことも少なくない。

 そしてそのたびに僕は「ホンダは一体F1で何がしたいんだろう?」と疑問に思ってきた。もちろん、そんな状況の中でも多くのエンジニアたちは全力で努力を続けてきたことは疑いようがないが、他ならぬホンダ自身が「F1で何をしたいのか」「そのために何をしなければならないのか?」という根本的な部分で明確な方向性を持っていなければ、そうしたひとりひとちの努力も実を結ぶことなく、浪費されてしまうだけだ……。

 ホンダ第3期F1活動でも過去最悪ともいえる、悲惨なシーズン序盤戦を戦う今だからこそ、改めてホンダに問いたい。「ホンダは何のためにF1を戦っているのか?」と。なりふり構わず純粋に「結果」だけを求めるのならば、今のアプローチとは他にやり方があるはずだ。一方、それよりも「ホンダのやり方」という「過程」に拘るのなら、たとえどんなに惨めな姿を晒しても、泥臭く、ここから這い上がる道を求めて全力を尽くすしかない。

 また、単に日本人ドライバーの人気にあやかりたいなら、バリチェロなどすぐにクビにして琢磨をもういちどホンダに乗せればいいし、いっそのことワークスホンダでの参戦をやめて、スーパーアグリの支援に専念したほうが「一般ウケ」という意味ではイイかもしれない。マジメに地球環境の問題に取り組みたいのなら、今すぐF1から撤退して、その予算を別の研究につぎ込むべきだ。そもそも「本家」のホンダワークスがこの有り様なのに、スーパーアグリの支援をする余裕があるのが不思議ではないか? やっていることにあまりに一貫性が無く、しまいには「スーパーアグリは将来のホンダF1撤退に向けたカクレミノか?」という、かなり“うがった見方”すらしたくなってくる。

 多分、同じような問いはホンダだけでなく、我々メディアに関わる人間や「ファン」に向けても向けられているのだと思う。あなたはホンダF1に、いや、もっと大きな意味で「日本のF1」に何を期待し、何が見たくて声援を送るのか? 良くも悪くも無批判な「ニッポン・チャチャチャ」が、F1を見る本当の楽しさなのか? 初めて鈴鹿で日本GPが行われてから20年過ぎた今、我々ももう見つめなおす時期が来ている気がするのだ。もちろん、最悪の序盤戦を戦うホンダに対する評価も、ホンダに何を求めるかによって大きく変わってくるだろう。

 ある人にとっては許しがたい「ゼロ以下」かもしれないし、一方でこれを「避けられない試練」と受け止める人もいるかもしれない。僕自身はと問われれば、この惨めな状況から自分の力で、必死に這い上がるホンダを見たいと、今でも思っている。この挑戦を通じてもう一度日本人としてのプライドや誇りを僕たちに呼び起こして欲しいと。もちろん、他ならぬホンダ自身にその覚悟があれば……のハナシだが。<<川喜田 研(F1ジャーナリスト)>>

nikkansports.com(2007-04-10)