中国バブル経済の余命

 2006年の7月に、米国連邦議会合同経済委員会(上下両院の議員で構成)が、「中国が持続可能な経済成長のために克服すべき五つの課題:"Five Challenges That China Must Overcome To Sustain Economic Growth"」というレポートをまとめました。この中で中国の課題として、偏った人口分布、国営・準国営企業の赤字、金融システムの欠陥、国際収支の不均衡、腐敗と不十分な法の支配、の5つを挙げています。
 アメリカに指摘されるまでもなく、温家宝首相は全人代の政府活動報告(2006年3月)で、中国の経済的課題として、次の四つを挙げていました。さすがに自国のことだけあって、うまく現状の問題点を言い当てていると思います。

 農業問題
 地上げや開発区の乱立で耕地が減っており、食糧輸入が増加しています。皆さんも是非、北京に行かれた時は郊外(長城の付近)の農村を見てください。土はやせており、ほとんど機械は導入されておりません。見ただけで、生産性の低さが容易に想像できます。

 消費の中間層不在
 前項とも関係しますが、人口の6割を占める農村部の生産性向上が進んでいないため、消費の裾野が広がっていないのです。中国の富裕層が活発に消費している様子がよく報道されますが、これは一部の光景に過ぎないのです。山東省を訪問した際、車で郊外の農村にも出かけてみました。そこで見せられたのはレンガ造りの貧しそうな家ばかり。やっと電気が入ったばかりでテレビもない家も少なくないと聞きしました。都市である済南は非常に繁栄しており、高層ビルが立ち並んでいるのですが、車で1時間ほど郊外に走れば、このような農村風景が広がっているのです。

 金融問題
 工業製品は生産過剰で価格が下落しており、このことが企業収益を圧迫しています。こうした状況が続けば、企業の不良債権問題が表面化しているでしょう。すでに、中国四大銀行が実施している貸付のうち、26%が不良債権となっているという話もあります。

 高騰する教育費や医療費に対する国民の不満拡大
 教育費に関していえば、中国の青少年発展基金会が発表した調査があります。これによると、北京周辺地域の平均年収は4700元(約7万円)ですが、子供を大学に入れるには、平均年収より多い年間6700元(約11万円)が必要だということです。高学歴なものが重要なポジションにつき、多くの収入を得るという「学歴社会」の構図は、中国でも変わりません。つまり、富めるものは子女に高等教育を受けさせることができさらに富む。貧しいものはそれもできず、ますます貧困から立ち上がるのが難しくなるということでしょう。厳しい言い方をすれば、貧富の拡大が進み、しかも敗者復活が難しい社会になっているのです。これでは、国民の不満が高まるのも無理からぬことでしょう。

 こうした問題を眺めてみると、どれも一朝一夕に解決する問題とは思えません。個人的な見解ではありますが、私は上海万博(2010年)までに中国の経済が停滞に転ずる可能性が高いと思っています。上の四つに加え、さらにいくつか「危険の芽」となるものを挙げてみましょう。

 一つは、人民元がドルとの交換レートをほぼ固定(ペッグ制)していることです。この恩恵を受け、現在は中国にとって有利な為替レートで貿易を行っていますが、このレートが変動する可能性があります。経済評論家の山崎養世氏が指摘されていますが、ペッグ制の下で米国の金利が上昇すれば、中国の金利も上がります。中国経済がこの金利上昇に耐えられなくなる可能性もあります。

 「住民の抗議運動」の問題もあります。現状でもこうした抗議運動が多発しているようで、前述の米レポートによれば、2005年の1年間だけでも10万件に達したようです。経済が一度停滞に転ずれば、このような住民運動も増加するでしょう。そのことが、さらなる停滞につながる可能性があります。

 そして、不動産バブルの崩壊です。山東省で地上げ王といわれる人にお会いしたことがあります。彼が山間部の地図を指さしながら「端から端まで自分の土地だ」と自慢げに話す姿は、まさに「バブル」でした。土地の価格は常に上がり続けると信じて疑わない彼の姿は、バブル崩壊を経験したことがある日本人からすれば、相当に違和感があります。現在、固定資産投資の約1/4が土地に流れています。この投資比率が高ければ高いほど、土地バブルの崩壊による影響は大きくなります。

 最後に、私が一番懸念するのが「北朝鮮リスク」です。北朝鮮が紛争状況になるようなことになれば、その影響を一番受けるのが中国でしょう。それが、経済崩壊の引き金になる可能性は十分にあると、私は思っています。

 金融の専門家でない私が、中国経済の未来を予想することは相応しくないかもしれません。ただ、これだけは言えるのは、「最悪のシナリオを想定した経営が必要だ」ということです。西洋のことわざに、こんなものがあります。

「最善を期待しろ。しかし、最悪に備えよ」

nikkeibp.co.jp(2006-12-21)