210億円の根拠は
北米トヨタのセクハラ疑惑から学ぶリスク管理

 「ピュニティブダメージ」。原告側の弁護士は本誌の取材に対し、この言葉を繰り返した。

 トヨタ自動車の北米統括会社、北米トヨタで起きたセクハラ(性的嫌がらせ)訴訟。注目を集めたのは1億9000万ドル(約212億円)という損害賠償請求額の大きさである。

 金額の根拠について、原告側の弁護士であるクリストファー・ブレナン氏に尋ねたところ、冒頭の言葉が返ってきた。ピュニティブダメージとは、一般に懲罰的賠償と訳される。許容できない行為に対して制裁を与え、以後、同じような行為をしないように抑止することを目的として、加害者に巨額な賠償金を課す制度である。

 数億円ではダメージ与えられない

 今回のセクハラ疑惑は北米トヨタの元社長秘書である日本人女性が、社長である大高英昭社長(5月8日付で辞任)から性的嫌がらせを受けたとして、大高氏、北米トヨタ、トヨタ自動車の3者を訴えたもの。この件で原告は補償的賠償に加え、懲罰的賠償を要求したことで請求額が巨額に上った。

 弁護士のブレナン氏は「トヨタの売上高や資産を考慮すれば、数億円程度の請求では適当なダメージを与えることはできない。再発防止を促すには、相応の金額を要求する必要があった」と強調する。

 日本ではピュニティブダメージという考えは認められていないが、米国では加害者が大企業である場合には、社会的な強者とみなされ、この考えが適用されるケースがある。分かりやすい例としては、日本でも過去に話題となった米マクドナルドのやけど訴訟がある。

 1992年、マクドナルドのドライブスルーでコーヒーを受け取った老齢の女性客が、発進後にこぼしてやけどを負ったとして訴訟を起こした。この時には、コーヒー売上高の2日間分に相当する270万ドルを懲罰的損害賠償額として、支払いを命じる評決が下された。最終的には補償的な賠償を含めて64万ドルに減額されたものの、大企業に対して、懲罰的な賠償が可能であることを世間に知らしめる結果となった。また、セクハラ関連の訴訟でも、過去に米大手法律事務所がピュニティブダメージを適用され、支払いを命じられたことがある。

 全世界の売上高と資産がベース

 もっとも最近では、高額化した賠償金が企業活動に支障を与えることを避けるために、懲罰的賠償に歯止めをかける動きが顕著になっている。州によっては懲罰的賠償は本来の補償的賠償額の数倍までといった制限を設けるところもある。既に連邦法には、ピュニティブダメージの請求額に制限があるが、原告は今回、北米トヨタのオフィスがあるニューヨーク州の最高裁判所に提訴した。ブレナン弁護士によれば、「ニューヨークの州法には、ピュニティブダメージに関する制限はない」。これが請求額が巨額となった理由の1つだ。

 ちなみに今回、ブレナン氏が請求額の根拠にしたのは、北米の売上高でなく、全世界のトヨタの売上高や資産だという。「原告がセクハラの相談を持ちかけた時に、トヨタは適切な対応や調査をしなかった。だから、今回は北米トヨタやトヨタ本社も訴訟の対象にしている。当然、トヨタの世界全体の企業価値が計算の基準になる」

 クリントン政権の労働長官が調査委の長に

 一方のトヨタは問題が表面化して以降、矢継ぎ早に対策を打ってきた。表面化してから1週間後の5月8日には、米国トヨタ自動車販売(TMS)の布野幸利会長兼CEO(最高経営責任者)を北米トヨタの会長兼CEOに、米国トヨタ販売のジム・プレス社長兼COO(最高業務責任者)を北米トヨタの社長とする人事を発表した。また、それと同時にクリントン政権で労働長官を務めたアレクシス・ハーマン氏をトップとする調査委員会を設置した。トヨタの渡辺捷昭社長は「当社ではいかなるセクハラや差別も許容することはできない。必要かつ適切なすべての手段を用いて、これに取り組んでいる」とコメントした。

 同日付で辞任した大高氏は「トヨタと私に対して提訴がなされたことについて、身の潔白が証明されると思っている。しかし、遺憾なことだが、私が現職を続けることは業務に支障を来し、会社のためにならないという結論に達した」とトヨタを介してコメントを寄せた。

 セクハラの有無や、損害賠償額の妥当性については、最終的には裁判所の判断に委ねられる。訴訟中である以上、裁判の行方を見守るしかない。とはいえ、米国における社会貢献活動を率先して推進してきた北米トヨタのトップがセクハラで訴えられたことは、その事実そのものがトヨタブランドのイメージダウンにつながる。日本のグローバル企業にとって、今回のケースは「訴訟社会」米国におけるビジネス展開のリスクを改めて浮き彫りにした格好だ。 (ニューヨーク支局 山川 龍雄)

business.nikkeibp.co.jp(2006-05-11)