「反日デモ」は氷山の一角に過ぎない

 2005年4月に3週間連続で中国で発生した反日デモ。デモ隊の一部が暴徒化し,日本大使館や日本資本の店舗に投石したり,日本車をひっくり返したりするなどの暴力行為にまで発展した。

 影響は日系メーカーの中国現地工場にも及ぶ。賃金などの待遇の不満を訴える集会がデモに発展し,工場の操業停止に陥った日系メーカーや,店頭から製品を撤去され,販売機会を奪われた日系メーカーもある。

 そして,日本の製造業にとって何よりも重要なことは,この反日デモが一過性のものではないことだ。反日デモはあくまでも中国のローカルリスクである「チャイナリスク」の“氷山の一角”に過ぎない。反日デモが起きる背景を探り,チャイナリスクの中身を十分に把握する。その上で,チャイナリスクに負けない製造現場を築き,さらにそれを乗り越える体質にしていく必要がある。
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 多くの日系メーカーに直接の非がないのに,なぜ,中国でこうした反日デモや「反日スト」が起きるのか。これには日中両国の政治事情のほかにも理由がある。中国の製造業に詳しい日本政策投資銀行新産業創造部課長の木嶋豊氏は「反日デモやストの背景に格差を生む経済政策と,政府関係者の一部で進行する腐敗に対する中国国民の不満がある」と指摘する。この指摘は,早稲田大学アジア太平洋研究センター教授の天児慧氏の見解とも一致する。「反日デモなど一連の動きの背景にあるのは腐敗と貧困への不満だ。共産党だけでなく,公安,裁判官,警察官の腐敗は深刻で,賄賂などが横行している。貧困の問題は内陸部の農村地区だけではない。最近は都市部の貧困も目立ってきた」。

 反日デモ・ストが起きた本当の理由
 木嶋氏が指摘する「格差」と天児氏の「貧困の問題」とは同じものである。今,中国では国民の間に極めて大きな「貧富の差」が生じ,その差は拡大の一途をたどっている。例えば,地域による貧富の差だ。上海や北京,天津といった都市が集中する沿岸部と,農村が広がる内陸部とでは,国民が手にする所得に大きな隔たりがある。例えば,1人当たりのGDPは,2003年の時点で上海が4418米ドル(47万2726円:1米ドル=107円換算)であるのに対し,内陸部にある貴州では420米ドル(4万4940円)を下回る。実に,1人当たりのGDPで10倍以上の格差がついているのである。

 こうした地域による貧富の差を生む“トリガー”となったのは,外資系企業の投資だ。外資系企業の多くは沿岸部に進出し,そこに現地法人を設立してホワイトカラー職に中国人を採用した。そのため,幹部クラスや中堅クラス,技術者などの専門職の社員は高い賃金を手にすることができる。ところが,農村が広がる内陸部には外資系企業による目立った投資はなく,先述した太陽誘電やユニデンの現地工場の従業員のように沿岸部に出稼ぎに来て収入を得ようとする人が圧倒的に多いというのが現実だ。

 これが中国国民の貧富の差を拡大していく。木嶋氏は「中国の上流階級は日本では考えられないほど裕福な生活をしている一方で,出稼ぎで苦労している作業者が手にする月収はせいぜい6000円〜1万円程度」と言う。中国紙は中国での貧富の差について次のように報道したという。資産総額100万米ドル(約1億700万円)を超える富裕層が約30万人以上に上り,同1000万米ドル(約10億7000万円)という富豪も約1万人に達している。都市部での階層分化を見ると,富裕層の上位10%が都市部住民の世帯収入総計の50%を独占。富裕層と貧困層の収入格差は8倍にもなっている。

 根強い反日感情
 貧富の差と一部政府関係者の腐敗だけであれば,中国内部の問題であり,日本メーカーが影響を受けることはない。だが,ここにいわゆる根強い「反日感情」が加わり,事態を難しくしているという。

 中国政府は批判を許さず,インターネットの書き込みも,いわゆる“サイバー警察”や公安当局が取り締まる。つまり,中国国民はいかに不満があっても,それを直接ぶつけることはできない。しかし,反日感情から,日本に対する批判と行動なら許されると中国国民は考える。反日デモの際にデモ隊が叫んだシュプレヒコールの一つ,「愛国無罪」はそれを端的に表している(注:ただし,愛国無罪とは「国を愛するがために主張することや行動することを政府が取り締まるのはおかしい」という,デモ隊から中国政府に向けられた主張。一部日本のマスコミが報じた「愛国をうたえば,何をやっても許される」という意味ではない)。

 ちょうどこのとき,「東シナ海における中国のガス田開発に現れた経済水域の問題」や「日本の国連安全保障理事会常任理事国入りの問題」がわき上がり,日本の歴史教科書の問題や尖閣諸島をめぐる領有権の問題も日中間に現れた。これらがきっかけとなり,反日デモが起こったようだ。

 木嶋氏は続けてこう指摘する。「中国政府に悪意はなく,決して意図的に反日デモを主導したわけではない。しかし,国民の不満のガス抜きをするために日本批判を大目に見ていた。そこで発生してしまったのが,反日デモだ」。

“活断層”の上に建つ日系メーカーの現地工場
 ここまでみてきたように,貧富の差と一部政府関係者の腐敗が解消されない限り,中国国民の不満はくすぶり続ける。しかし,こうした重い課題が直ちに解消するとは考えにくい。

 こうしたことを踏まえると,「中国では反日デモのような暴動のリスクは今後もなくならない」と考える方が自然だろう。たとえ表層的には反日デモが沈静化していても,何かの拍子に再び中国で反日感情が爆発し,暴動に発展する可能性があると日系メーカーは認識していた方がよい。いわば,現状の日系メーカーの中国現地工場は“チャイナリスクの活断層”の上に建っているのである。

 実際,今回の一連の反日デモや,それに関連した一部工場の生産停止は,チャイナリスクのほんの一つの事象に過ぎない。日系メーカーが中国でものづくりを展開する上で考えられる主なチャイナリスクには,ほかにも「原材料の仕入れ停止」「人民元の上昇によるコストアップ」「不安定な政権が与える生産への影響」「日本の製造業の空洞化」──といったものがある。

nikkeibp.jp(2005-05-23)