植林協力ボランティアに参加して

 私にとって始めての中国行きの9月14日になった、早朝5時50分いざスタート!土曜日の為電車は空いている。成田に着いたら既にメンバー揃っており何人かは知人の顔もある。諸手続き後3時間弱で北京着だが瀋陽へのフライトまで2時間以上の待ち時間があり早速セミナー兼自己紹介をする、これでやっと参画メンバーの顔が見えてきた。

 初日は瀋陽に泊まり、夕食は皆で中国料理をいただいてうちとけ、明日からのイベントに心を向ける。

 次の日からカンチカの砂漠である現地に入り植林作業をする。植林地は宿から約20kmくらいの場所で途中の景色をジープから見ると砂漠化地域内だが結構雑草が生えており緑が有るように思われた。後で判ったことだが周辺を家畜から柵で囲っただけでここまできたとのこと、家畜放牧から守ることによる緑化の一端を見た気がした。

 いざ現地での植林の為穴を掘ってみると、掘ると同時に周辺の砂が流れ込み植え付けるための適正な穴にするには結構要領がいる、又松とか楡の苗を植えバケツ一杯の水をかけても瞬時に吸い込まれてしまうので、今回は苗の活着を良くするため三杯の給水を基本の作業にたっぷり吸い込ませ更に周辺を足で踏み固めた、最後に水分の蒸散を防ぐため上から乾いた砂をかけてやっと1本終了だ、あとはこれの繰り返しになるがこの時のバケツ三杯の水運びは何といっても労働だ。日本からのボランティア部隊と地元の小中学生とが協力してのバケツリレーは作業の効率を高めると共にお互い言葉は不自由だが手振りと筆談で意思の疎通がはかれ小さな交流の場にもなった。

 このような現地の人達と交流しながらの植林はこの地の継続的将来を考えると非常に大切なこととおもいます。

 今回植えた植林の間隔は約5mだったが樹種により異なること、木によっては2m位のもあるとの事だ、その要因は木が大きくなった時のお昼の太陽光の入射量でおおよそ決められるとの事、自分の庭木も見直さなくては!
 カンチカでの植林はどちらかと言うと日中の暖かい時間帯で行われた。9月中旬の砂漠は結構暖かくしかも湿度が低いので作業としては大変やり易いものでした、ただし常に風が吹いており作業を終えてみると気になるほどではないが微粉砂が鼻の中に忍び込んでいた。

 そう思いながら烏雲の森に宿泊して自分の甘さを思い知る、真夜中3時頃外に出てみた、天空の星は本当に近くとても美しい、しかし10分も立っていたら身体中が冷え手の指が凍えるほど寒い、今まで聞いてはいたがこれ程温度差があるとは!自然の厳しさを教えられました。

今回のボランテイア活動を通じて感じたこと、
1) 砂漠での植林の必要性がセミナーを通じて理解することが出来た。
* モンゴルに於ける遊放牧、家畜による食害、木材の燃料利用、砂漠化その結果として日本、北京などへの黄砂被害が起こることが系統だって判った。
* その場所に合った植林をする適所適木と言う考え、今回は松と楡の木が適木でした。
2) 継続的な緑化の為現地の人達との交流、教育を大事にしていること。
* 小中学生、との共同植林で緑に対する共通の意識が芽生えた。
* 高級中学でのマンTOマン交流会を通じ手振りと筆談入り混じりの会話でしたが一寸だけ彼等の人が見えてきた。
* 現地の住民達へのノウハウ公開と支援で植林活動が広がってきているようだ。
3) 地理的な理解が深まった。
* 日本にいるときはホルチン砂漠と言われてもあまり意識したことは無かったが今  活動を通じ中国北部で日本ともそんなに遠くない位置であることを認識した。特に気流がある時期には、この地域から日本上空に弧を描きながら流れ副産物の黄砂も運んで来ているようだ。

《 まとめ 》 
 今砂漠ボランテイアに参画し植林と言うハード面だけでなく植生の研究も平行し常に失敗からの反省を生かしていること、一方で子供達も含めた将来への継続と夢を持ちながら教育的観点も入れたソフト面へも力を入れていることでそこに住んでいる人にも大地にも優しさを感じました。特にカンチカの小学生達のきらきら輝く目には自分の心をクリーニングされたような気がします、この子達のこれからの幸せを願っております。
 最後にこの企画、実行に尽力されたホンダ社会活動推進室の方々及び砂漠植林ボランティア協会の方々に深く感謝いたすと共に又の機会に会えることを楽しみにしております。
 ありがとうございました!
                  2002年9月植林ボランテイアDAY

記:貝吹 繁雄(2003-07-23)