「わだば、ゴッホになる」棟方志功
(「雑学のすすめ」より)

●「わだばゴッホになる」(棟方志功)

  驚いても オドロキキレナイ
  喜んでも ヨロコビキレナイ
  悲しんでも カナシミキレナイ
  愛しても アイシキレナイ

 それが板画です。

●板のいのちを彫り上げるものゆえ、「版画」ではなく「板画」なのだ。また自分の描く画は「大和絵」ではなく「倭画(やまとぐわ)」なのであると言い放った棟方志功。青森に生れ、1903年から1975年の生涯を送った。ちょうど今年が生誕百周年となり、各地でイベントが開かれる模様である。

●17才の時、給仕として雇われる。仕事のない日には早朝に公園に出ては写生をし、絵の勉強をした。小野忠明先生からゴッホの「ヒマワリ」の複製をプレゼントされ、深い感銘を受けたのもその頃。絵の仲間達と会を作り、共同で展覧会を開くなどして絵描きで生きてゆく決心を固めている。

●21才で上京。東北本線の車中にある若者の胸中には、「わだばゴッホになる」の思いしかなかったに違いない。この言葉には、いろいろな意味が込められているのだろう。

  ・わだばゴッホのような絵を描きたい
  ・わだばゴッホのように絵で成功したい
  ・わだばゴッホのような情熱を持ちたい
  ・わだばゴッホのような独創性を持ちたい
  ・わだばゴッホのような魂を持ちたい
  ・わだばゴッホのような生涯を送りたい

 事実、志功のお墓は青森市三内霊園にあり、ゴッホの墓と同じ形に作られ、「驚異モ歓喜モマシテ悲愛ヲ盡シ得ス」という彼の言葉を板画にしたものがブロンズではめ込まれている。

  驚いても オドロキキレナイ
  喜んでも ヨロコビキレナイ
  悲しんでも カナシミキレナイ
  愛しても アイシキレナイ

 なのである。

●家が貧しかったこともあり、絵の学校を出ていない。それゆえ芸術の伝統的な技法や様式、常識などの約束事に対して、まるで頓着しない。むしろそうした取り決めに対して敢然と挑んでいるかのように、おのれの独創性を尊重した。自らの表現の才能を信じ、古い枠に納まることを拒否するがために、「版画」を「板画」、「大和絵」を「倭画(やまとぐわ)」であると主張したのだろう。

●わだばゴッホになる。
 何とわかりやすい目標宣言か。他人にわかりやすいということは、自分にもわかりやすい。志功は、志がくじけそうになるとこの目標宣言を思い出したことだろう。

記:木田橋 義之(2003-01-23)