映画「たそがれ清兵衛」・・・ご存知ですか?

 先日(9/23)、三重県総合文化センター(津市)において、「三重・映画フェステバル」が開催され 女房と一緒に参加して参りました。 三重県出身(松阪市)で映画監督の巨匠・小津安二郎が来年(2003年)生誕100周年を迎えるた め、県内の小津ファンが中心となって開催されたもので、小津作品の最高傑作とも言われている 「秋刀魚の味・・・昭和37年上映」が上映されたました。
 その後、プレイベントとして,同じ松竹大船撮影所の後輩監督で山田洋次監督(男はつらいよ・・・ 寅さんシリーズ)が登壇し、11月2日から上映予定の話題作「たそがれ清兵衛」について舞台挨拶さ れ、作品の紹介と試写会がありました。

 この「たそがれ清兵衛」は、山田監督が初めて時代劇に挑戦した作品として今最も注目されている 映画であり、原作は「藤沢周平」の短編小説を山田監督自らがシナリオを書いた話題作であります。
 今までは、「日本映画」「時代劇」・・・と聞いただけで何故か見る気もしなかった私でありましたが、 山田監督が人気のない時代劇にどう取り組んでどんな映画を造ったのか・・・大変興味があり試写会 に参加しました。
 山田流・時代劇は・・・やはり前評判通りの傑作で大いに感動・感激させられました。

 この映画は、11月2日から全国の映画館で上映されますが、皆様にもぜひご覧戴きたいと思いご案 内させていただきました。

<たそがれ清兵衛>
・五十石のしがない平侍(下級武士)の清兵衛(真田真之)は、痴呆症の老母、小さい娘、そして長患いしている妻の看病のため、いつも仕事が終わる夕方(たそがれ時)には、上司や同僚の誘いを断って即刻帰宅する事から「たそがれ清兵衛」・・・と陰で呼ばれるようになった。  妻を亡くしてからも、ボサボサの頭に薄汚れた着物姿で仕事に出向き、借金を返すために内職するなど、人に何を言われようと生活スタイルを変えない地味で控えめな清兵衛であった。  然し、日々の生活に疲れてはいても清兵衛自身は決して“たそがれ”て生きてはいなかった。  清兵衛は、若い頃剣術を磨き小太刀使いの名手でもあったが、そんな素振りは誰にも見せない地味で目立たない存在であつた。
・ある日突然、清兵衛に対して藩の方針に背いた反逆者を「暗殺すべし」との藩命が下った。  清兵衛は日頃から、ささやかな家庭の幸せこそが大事であり、人殺しなどまっぴらであったが、藩命には逆らえず、可愛い二人の娘や幼馴染で出戻り娘の愛しい人(宮沢りえ)に心を残しながら、暗殺者として敵を討ち取りに出向いて行く事になる。  然し、いざ戦いとなり相手と剣を交えると敵はかなりの達人であり、相手にもそれなりの深い事情がある事が分かり相手を逃がそうとするが、やがて二人は生死を賭けての真剣勝負となった・・・!
 この壮絶な戦いの結末は・・・映画を観てからのお楽しみ!

・「男はつらいよ」をはじめ、心温まる人間信頼の映画を作り続けてきた山田監督が、人間への優しい眼差しをはっきりさせながら、血に染まる現代の世相をも視野に入れて憎しみを持たない人間同士が殺し合をしなければならないとは何かを・・・問い詰めている作品でもあります。
 また山田監督は時代劇を作るに当り、当時の下級武士の苦しい生活や身なりをつぶさに研究し、また 武士同士の生死を賭けた決闘を・・・これまでの時代劇では観られない迫真の演出を考えるなど大変見応えのあるシーンもあり、家族愛をテーマにした奥行きの深い考えさせられる映画でありました。

 ぜひ一度、山田監督の時代劇をご覧下さい。
 
<山田洋次監督>
・山田監督・・・1931生まれで今年71歳、大阪生まれで、少年期は満州で過ごす。戦後山口県に引き上げ東大を卒業後、助監督として松竹に入社。以後、松竹の先輩であった小津監督や黒澤監督に大きな影響を受けて「二回の他人」でデビュー、「馬鹿まるだし」・「なつかしい風来坊」などを経て、1969年に撮った『男はつらいよ』がヒット。  以後シリーズ化され国民映画とまで言われるようになり、寅さん役の渥美清が亡くなるまで48作品を製作、他に「家族」「黄色いハンカチ」「息子」「学校」などがあり、それらの作品の中にはいつも“家族愛”や“人間愛”をテーマにしたものが多く、これらは山田作品として脚光を浴びている。

記:諸岡 忠至(2002-10)