ホンダ、覚悟の四輪「大手術」 異例の能力1割削減

ホンダが存亡をかけて「モデルチェンジ」に取り組んでいる。最大の課題は、2019年1〜3月期に部門損益が赤字に転落した四輪車事業の立て直しだ。得意とした北米で稼げなくなり、新興国などで拡大する路線をとったが失敗。後遺症は今も残る。「失われた10年」を克服すべく体質改善を急ぐ。

ホンダの歴史を支えた日米の主力2工場が今夏、転機を迎えた。

北米最大の規模を誇るメアリズビル工場(オハイオ州)。ホンダは2000年代半ばまで全社の営業利益の半分近くを米国で稼いだ。その「良き時代」を支えた拠点だ。8月、2本あるラインのうち1つの稼働時間を半分にし、主力セダン「アコード」などの在庫調整を始めた。08年のリーマン危機以後では初の無期限の減産だ。

日本では同社初の四輪車専用工場、狭山工場(埼玉県狭山市)の閉鎖準備が本格化する。ミニバン「フリード」などの生産を他工場に移管し、9日から減産。21年度に完全停止する。タイやブラジル、英国などでも工場閉鎖やライン停止を進め、能力は555万台から22年までに1割減らす。

四輪事業の状況は厳しい。販売台数は2019年3月期に532万台と過去最高になった一方、同部門の営業利益率は1.9%と最盛期の4分の1まで低下。売上高以上に人件費や減価償却費が膨張し、1台当たりの利益はトヨタ自動車の2割以下だ。八郷隆弘社長は「改革をやり切らないと

なぜここまで悪化したのか。一つは米国での収益悪化だ。大型車人気でホンダが得意とするセダン市場が縮小。韓国車の台頭も販売減の一因になった。ただ、これは日本車に共通の逆境だ。ホンダ特有の問題点として、ナカニシ自動車産業リサーチの中西孝樹代表は「非効率を抱えたまま拡大路線に走ったのが大きい」と指摘する。

例えば開発の考え方だ。ホンダでは長らく新車を開発する度に全部品を設計し直すのが技術者の美徳とされた。惰性に流されるのを戒める「前例・前任否定主義」によるものだ。「同じ車台なのに工場ごとにねじの種類が違うこともあった」との証言もある。好調時は目立たなかったが、弱点は蓄積されていた。

08年のリーマン・ショックで米国需要が3割縮小すると、ホンダはアジアなど新興国市場の開拓に活路を求めた。伊東孝紳前社長は12年に世界販売を「16年度までに600万台」と4年で5割増やす方針を表明。工場の新増設を進めた。

ただ、出先が求めるままに現地専用車を投入した結果、車種数は16年度時点で52と10年で1.7倍になった。開発費は3割増、内製にかかる投資も倍増した。中国販売の躍進など成果もあったが、全体としては効率の悪化につながった。

車種数は他社でも増加傾向だが同時にコスト抑制も進めた。代表例が、複数の車種で車台や基幹部品を共通にする新たな設計手法だ。独フォルクスワーゲン(VW)は12年、トヨタは15年に取り入れた。一方、ホンダは20年の一部導入にようやくめどをつけた段階だ。

15年就任の八郷社長が効率化に向けてまず着手したのが余剰生産能力の整理だ。1948年の創業以来、初めて自らの身を縮める取り組みだ。1割という削減幅は経営の混乱に苦しむ日産自動車の7%を上回る。「アコード」など5車種で数千まで増えた色や装備のバリエーションは25年度までに3分の1にする。

三菱UFJモルガン・スタンレー証券の竹内克弥氏は「一連の改革で年1千億円の収益押し上げが見込める」と話す。ただ、これらは「止血」にすぎず成長力を取り戻すには意識改革が必要だ。

18年4月、八郷社長が全社員に異様な冊子を配った。真っ赤なページに白い文字で「部門最適は命取り」「血を入れ替える気持ちで」「このままでは老衰してしまう」。危機感を喚起するため過激な言葉を並べた。

「これまでの物差しは壊してくれ」。19年7月1日、商品開発を担う本田技術研究所の三部敏宏社長は1万人を超える技術陣に訴えた。40年以上続いた開発品の評価・チェック体制を刷新。設計各部門に権限を移管し、開発のスピードを上げる。4年に1度という従来ペースではもう遅い。中国の電気自動車(EV)ベンチャーなどは1〜2年で新車を出すからだ。

自動車業界の変化はかつてなく早い。ようやく目覚めたホンダに勝機はあるのか。

nikkei.com(2019-09-03)