革新力失った自動車業界、挑戦のエンジン 今いずこ

近代組織の典型であり、花形企業――。経営学者のピーター・ドラッカー氏がそう呼んで研究対象としたのは米ゼネラル・モーターズ(GM)だった。成果をまとめた1946年の著書は教科書のように読まれ、分権制(事業部制)を世界に広げるなど企業経営に影響を与えた。


大量の雇用を生み出す自動車は、経済を支えるリーディング産業の役割を果たし、カーメーカーは各国を代表する企業として存在感を発揮してきた。ホンダが低公害エンジン、トヨタ自動車がハイブリッド車を生むなど技術面でもけん引役だった。

しかし、この10年を振り返れば、そんな輝ける時代も歴史の一ページとなり、ずいぶん遠のいたと感じずにはいられない。

2008年のリーマン・ショックを受け翌年、米クライスラー、GMが破綻した。独フォルクスワーゲン(VW)によるディーゼル車の排ガス不正が発覚したのは15年。日本でも燃費や検査データの改ざんなどが次々と明らかになった。そして先月、日産自動車再建の立役者だったカルロス・ゴーン元会長が金融商品取引法違反容疑で逮捕された。

名門産業の盟主だった風格や使命感とはかけ離れた事態が繰り返されただけではない。この10年は自動運転、電動化、シェアリングなど次のモビリティー社会への重要な助走期間だったが、カーメーカーの影は薄かった。

じっとしていたわけではない。IT(情報技術)大手との提携を急ぎ、異業種から人材も受け入れた。リクルートキャリアによれば、日本の自動車・部品会社へのITエンジニアの転職は09年から17年までに11倍に増えた。

それでも、自動車の将来像を描き、具体化へ波を起こす主役は自動車業界の外側にいたとの評価が正当だろう。私が接した経営者の言葉で記憶に残るものもクルマ村の住人以外から発せられた。

「人間のミスによる交通事故が絶えない。誰も運転すべきではない」。13年、米グーグルの最高財務責任者だったパトリック・ピシェット氏は歯切れ良く語った。同社は14年にはハンドルがなくボタンを押せば目的地に着く独自の試作車を公開した。

16年、米紙にはこんな寄稿が載った。「(自動車は)膨大なお金、場所、天然資源を消費するが、95%の時間は利用されず遊んでいる。もっと効率的に使わないといけない」。筆者はライドシェアで急成長する米ウーバーテクノロジーズの共同創業者だった。

経済学者の宇沢弘文氏がベストセラー「自動車の社会的費用」で交通事故や環境汚染といった自動車がもたらす課題を警告したのは40年以上も前だ。長く解決の決定打を欠くなかで、ひょっとするとこれならと期待させる策は新種の担い手から飛び出した。

「イノベーションを起こせない会社には死が待つ」。7年前、米電気自動車(EV)テスラのイーロン・マスク最高経営責任者から聞いたセリフも、シンプルだが印象的だ。本人の奔放な振るまいがときに経営問題となり、量産体制づくりにも苦労したが、若い人材をひき付ける求心力は強い。同社で働きたい人の応募件数は昨年50万にのぼったという。

伝統的カーメーカーのなかならリーダーシップに定評があったのはゴーン元会長だった。仏ルノーとの提携当初は冷ややかだった日産社員たちがゴーンシンパに変わっていった様子を思い出す。元会長は「電気は新しい燃料」とEV事業も主導した。そんな現代の自動車業界を代表する経営者が、これまでの実績をご破算にしかねない疑いをもたれている。 ボストン・コンサルティング・グループは25年に自家用車の販売が世界で減り始め、EVやシェアリングなどが利益源に育つと分析する。電動の自転車やスクーターのシェアサービスは近距離移動の新潮流だ。21世紀のモビリティーという構図のなかで自動車は大事なピースではあっても「中心」や「頂点」とはいえない。

カーメーカーは発想をリセットし、挑戦者の行動が必要だが、自動車産業にかかわる人びとの意識は、古き良き時代を引きずったままかもしれない。相次ぐスキャンダルは昔ながらの規模追求や成功モデルの温存にきゅうきゅうとする組織の硬直と無縁ではないだろう。日産・ルノーの今後について関係者のエネルギーは連合内の主導権争いに注がれている。

先週、GMが米国4工場の生産停止を打ち出すと、雇用の受け皿を欲するトランプ米大統領は「失望した」と批判した。勝手な言い分と切り捨てるのは簡単だが、「自動車は巨大で頼れる特別な産業」というノスタルジックな思考はトランプ氏に限らず、業界にもまだ残っているのではないか。

PwCの18年調査によると、研究開発費の世界ランキングで自動車のトップはVW。同社は世界販売でも首位に立つが、自動運転の分野では、首脳が「グーグル系のウェイモに先行されている」と認めざるを得ない現実がある。日本の研究開発費はトヨタ、ホンダ、日産の3社が上位を占める。エンジニアを中心に優秀な人材も抱えるはずだが、エリート意識や守りの姿勢が変化への対応を鈍らせるなら、いよいよ危うい。

新しいモビリティーの勢力図に枢要な居場所を見つけられるカーメーカーはそれほど多くなく、業界の再編は苛烈になる。そう予感させる10年が流れた。
<< 本社コメンテーター 村山恵一  >>

nikkei.com(2018-12-05)