真のパートナーを見つけたホンダ。
トロロッソとの絆で掴んだ4位入賞。

 57周のレースを終えたバーレーンGPのピットレーンで、ドライバーを胴上げするチームがあった。4位でフィニッシュしたピエール・ガスリーとトロロッソだ。

 その輪の中に、普段はあまり表に出てこないホンダのスタッフの姿があった。

 4位にもかかわらず、彼らが歓喜の渦の中に入っていったのには理由がある。

 2015年にF1に復帰したホンダが、過去3年間で獲得した最高位は5位だった。'15年のハンガリーGP、'16年のモナコGP、そして'16年のアメリカGPだ。

 いずれもフェルナンド・アロンソによるもので、元世界チャンピオンの卓越した技術によって得た5位とされ、ホンダが評価されることはなかった。また、パートナーを組んでいたマクラーレンはチャンピオンに何度も輝いた名門チーム。5位で喜びを爆発させる雰囲気などなかった。

「優勝は1回」という共通項。

 ホンダにも、レースの世界では勝者以外は皆、敗者だという考えはある。だが、'08年にF1を撤退し、7年間の空白を経て復帰したホンダがいきなり優勝できるほど、F1の世界は甘くはない。なにしろ、'00年から'08年の9年間のホンダF1第3期活動でも、優勝はわずかに1回。優勝を身近な目標にすることは現実的ではなかった。

 目標を見失いかけていたとき、ホンダに手を差し伸べたのが、トロロッソだった。

 イタリアの弱小チームだったミナルディをレッドブルが買収し、トロロッソ(イタリア語で赤い牛)と改名してスタートしたのが'06年。過去12年間で彼らが勝利したのは、'08年のイタリアGPの1回だけだった。

 しかも、このレースは雨が味方した勝利で、ドライバーものちに世界チャンピオンとなるセバスチャン・ベッテル。トロロッソが評価されることはなかった。

「マクラーレン・ホンダ」は幻想になった。

‘15年にホンダがマクラーレンとタッグを組んでF1に復帰する際、彼らは16戦15勝した1988年をはじめとして、'80年代から'90年代前半にF1界を席巻した、あの「マクラーレン・ホンダ」のイメージを前面に打ち出したが、それは幻想に過ぎなかった。

 結局'00年から'17年までの参戦12年間で優勝1回のホンダにとって、'06年から'17年までの12年間で1回しか優勝していないトロロッソは、同じ歩調でレースができる真のパートナーだったのだ。

 過去の成績以外にも、ホンダとトロロッソには共通点があった。それは置かれていた状況だ。

 ホンダは昨年、マクラーレンから三行半を突きつけられる形で提携解消を迫られ、F1活動を継続することすら危ぶまれた時期を経験している。

 一方、トロロッソは昨年限りで契約が切れるルノーから、シーズン終盤に冷たい仕打ちを受けた。パワーユニットのトラブルが相次ぎ、最後の2戦は新しいパワーユニットの供給を受けることができず、中古で急場をしのいだ。

 どちらも、ここ数年は不遇のシーズンが続いていた。だが、その経験によって、ホンダもトロロッソも謙虚さを身につけ、相手をリスペクトすることがいかに大切かを学ぶきっかけとなった。

「同じゴールを目指して一緒に歩んでいける関係」

 ホンダの山本雅史モータースポーツ部長は、マクラーレンとの提携を解消し、トロロッソと組むことになったとき、両者の違いを次のように語った。

「マクラーレンと組んでみてわかりましたが、企業の規模が大きいと、とてもシステマチックになります。もちろん、それが大きな強みであることは間違いないのですが、同時に変化に適応していくことは難しくなります。

 その点、トロロッソはまだ成長途上にある企業です。同じゴールを目指して一緒に歩んでいける関係であることが重要です。いいコミュニケーションをとりながら仕事ができることを、本当に楽しみにしています」

日本文化のセミナーまで開いたトロロッソ。

 トロロッソのテクニカルディレクター、ジェームス・キーもホンダとのコラボレーションを楽しみにしていた。

「私たちの2017年もホンダ同様、難しい1年だった。望むような終わり方ができなかったのかという点で、私たちには多くの共通点があった。結果として、ホンダとトロロッソのどちらもが、2018年をより実りあるシーズンにしたいという強い願いを持つことができた。共通のゴールや野望といったものが、私たちの間にいま強く根付き始めている」

 トロロッソがいかにホンダを大切にしているのかは、彼らがイタリアのファクトリーで日本人を理解するためのセミナーを、講師を呼んで開いていたことでもわかる。

「日本とヨーロッパでは文化が違うので、考え方の違いで、仕事にズレが起きないようにしなければならない。そこで、われわれのファクトリーで働いている人たちに、日本の人たちがどういう風な考え方をしているかを学んでもらう必要があると思った」と語るのはトロロッソのチーム代表のフランツ・トストだ。

元ラルフ・シューマッハのマネージャー。

 彼は'90年代にラルフ・シューマッハのマネージャーとして日本で過ごした経験があり、日本人にはヨーロッパと違うメンタリティがあることを知っていた。

「日本人を理解するうえで最も重要なことは、イエス・ノーをはっきりと言わないという習慣があること。

 例えば、仕事でメールを送るとき、われわれはできないときはできないとはっきりと書くが、日本人に『できない』とはっきりと書くと傷つけてしまうことがある。

 また、日本人から『できるかもしれません』とメールがきたら、だいたいできないということを理解しておいたほうがいい」(トスト)

ドライバーも日本のレース経験者。

 トロロッソ・ホンダの初代ドライバーとなったピエール・ガスリーも、昨年1年間、日本でスーパーフォーミュラを走らせた経験があり、ホンダのスタッフとの仕事を楽しみにしていた。

 だから、開幕戦でいきなりパワーユニットのMGU-H(熱回生エネルギーシステム)がトラブルに見舞われてリタイアしても、ホンダを非難することはなかった。

「起こってしまったことは残念だけど、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。まだ1回だ。毎レース起きているというわけじゃない。重要なことは起きた問題の原因を正確に理解し、改善することだ」(ガスリー)

フェラーリ、メルセデスより上位でゴール!

 ホンダもその期待に応えた。

 開幕戦でトラブルが起きた原因を徹底的に解析し、対策を施した仕様をバーレーンGPに投入。

 予選でガスリーが自身初、トロロッソ・ホンダとしても初めてのQ3に進出し、みごと予選6位の座を手にした。

 その走りは決勝レースでさらに輝きを増した。

 ライバル勢が、マシントラブルを発生させたり、ドライバーが接触事故を起こしたり、メカニックがピットストップ作業でミスを犯したりする中、トロロッソ・ホンダとガスリーは、パワーユニット、チーム、ドライバーいずれも完璧な仕事をこなして、フェラーリ、メルセデスというビッグチームに次ぐ4位でチェッカーフラッグを受けた。

かつての1勝と同じくらい価値があった4位入賞。

「レッドブルの2台が不運にも止まってしまい、(フェラーリのキミ)ライコネンがリタイアした後、チームから『4位フィニッシュのチャンスがある』って知らされてからは、全力で走り続けた。

 ホンダが対策を施した新しいMGU-Hはまったく問題なかった。今日も予選のときと同じように全開でプッシュできた。

 ここにいるホンダのスタッフと日本のHRD Sakuraのみんなに感謝したい」(ガスリー)

 悔し涙を流し続けた男たちが自信を取り戻すことができた4位入賞。それは、彼らがかつて手にした1勝にも負けないくらい価値のある結果だった。

《追記》
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msn.com(2018-04-11)