自動車業界が消滅しかねない地殻変動、
トヨタに残された時間は?

 「Start Your Impossible(不可能のチャレンジへ一歩踏み出そう)」。今年初めに、米ラスベガスで開かれた家電見本市「CES」の壇上でこう高らかに宣言したのは、シリコンバレーのIT企業トップではなく、トヨタ自動車の豊田章男社長だった。

 豊田氏はカーレーサーとあって、有名なF1レース「インディ500」のレース直前にアナウンスされる“Start Your Engines!”をもじったのであろう。

 このスピーチは、これからの自動車産業が激変することを指し、そしてトヨタがその“激変レース”に参戦するという意思表示であった。豊田氏は続ける。

 「私はトヨタを、車会社を超え、人々のさまざまな移動を助ける会社、モビリティーカンパニーへと変革することを決意しました。(中略)私たちの競争相手はもはや自動車会社だけではなく、米国のグーグルやアップルあるいはフェイスブックといった企業です。自動運転車やさまざまなコネクティッドサービスに必要なモビリティーサービスプラットホームをつくる会社になります」

 自動車産業は、電気自動車やネットワーク化、自動運転、シェアリングの波により、近い将来全く違う産業になる。この説に異論を唱える人はいないであろう。

 電気自動車は部品点数がガソリン自動車より1桁少ないので、誰でも生産できるようになる。パソコンがそうであったように、単独で動いていた自動車がネットワークにつながる。AI・ロボットの急激な進化によって、自動運転が可能になり、自動車を保有せずとも、多様なモビリティーサービスを受けられるようになる時代を迎えるのだ。

 つまり、自動車業界の産業基盤そのものがひっくり返ることは確実だ。その「Xデー」をいつ迎えるのかは分からない。だが、見えないところで確実に「地殻変動」が進んでいるのである。

 しかし、自動車業界の人はそう言われても半信半疑かもしれない。「自分の職場がなくなるかもしれない」。そんな不都合な現実からは目をそむけたくなるだろう。そのような人々の気持ちはよく分かる。なぜなら、私自身がその地殻変動を実際に経験したからだ。

パラダイムシフトを体験

 私は、ちょうど40年前に写真フィルムの製造企業である小西六写真工業(現コニカミノルタ)に入社し、銀塩写真フィルムのエンジニアとして働いていた。

 超精密化学技術により作られた銀塩写真フィルムは寡占産業であった。世界には米コダック、独アグフア・ゲバルト、富士写真フイルム(現富士フイルム)、小西六の4社しかなかった。弱小だった小西六を「世界一にする」と意気込んで入社し、研究開発に没頭していた。

 それが、1981年にソニーが発表したフィルムの要らない電子カメラ「マビカ」を見て人生が一変した。100年以上の歴史がある銀塩写真技術をデジタル写真技術が追い越すのではないか、そう感じたのだ。

 ちょうどそのころ、会社の講演会で外部講師の話を聞いた。デジタル技術というのは化学と違って、性能が倍々で進化していくという。フィルムのような化学の世界は大きな発明、発見がない限り、連続的な進化を遂げ、その伸びもなだらかだ。一方で、デジタル技術の進化は指数関数的に伸びていくというのだ(これを「ムーアの法則」ともいう)。デジタル技術の破壊的な力に胸が震えた。

残された時間を知る方法

 専門的になるがお付き合いいただきたい。横軸が時間軸、縦軸が進化を表す図にして、縦軸の目盛りを「対数」にする。すると、化学技術の進化はほぼ時間軸に対して水平になっていた。これに対してデジタル技術は右肩上がりの直線を示していた。

 つまり、デジタル技術の進化は化学技術に追い付き、追い越すことを意味していた。一体、銀塩写真の性能にデジタル技術の性能はいつ追い付くのか。私なりにあれこれ計算してみると結論は「約30年後」と出た。

 30年! これは、自分のサラリーマン人生の間に「Xデー」を迎えることを意味していた。これがきっかけとなり、私は91年にデジタル技術によるイノベーションの震源地であるシリコンバレーに移住した。

 当時の日本といえばバブル絶頂期で、多くの人から「シリコンバレーだって? 今、米国から学ぶことなんてあるの?」と言われたものだった。だが「デジタル技術により世の中がひっくり返る」という直感を信じていた。

 その後の展開は読者の知るところだろう。程なくデジタルカメラが開発され、95年にはカシオ計算機が消費者に手の届くデジタルカメラを発売し、デジタルカメラ市場が一気に拡大した。さらに、2000年に「写メール」が登場し、気軽に携帯電話で撮影ができるようになると消費者の行動が大きく変容したのだ。

 95年からのインターネットの普及に伴い、写真をプリントする人は激減し、写真をネット上で共有する文化が定着した。とうとう06年には私の古巣であるコニカ(当時)が写真事業から完全撤退したのである。

 私は、産業の変化の姿を具体的に予想したわけではない。ただ振り返ってみると、写真産業は大地震を繰り返しながら、当時とは全く異なる「地形」になった。「今、地殻変動が起きている」と心から信じるかどうか。それが分かれ道だったのだろう。

 私の実体験を重ね合わせるのはおこがましいが、豊田氏の「不可能へのチャレンジ宣言」は、自動車産業も地殻変動が起きていると心から信じた証しだ。

 電子カメラが初めて試験的に実用で使われたのが84年で、それからコニカの写真事業撤退まで22年。米テスラが最初の電気自動車を発売したのが08年であるから、その22年後は30年である。

 自動車業界に与えられた時間は決して長くはない。

*「週刊ダイヤモンド」2018年2月17日号からの転載です

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