登り続けた「優しい猛者」 田部井淳子さん死去

「自分のペースで」「どんな小さな国のどんな低い山でも」

 田部井淳子さんは登山家というような鋭いイメージはなく、これほど優しい人があろうかという“天女”のような方だった。女性で初めてエベレストの頂上に立ち、7大陸最高峰登頂も果たした猛者ではあったが。

 エベレストはシェルパと2人だけの登頂。南峰から頂上への山場は体の半分が中国で、もう半分がネパールというナイフの刃の上の綱渡り。装備も万全ではなく「母が着物下に着ていたネル生地をズボンに加工し、その上にトレーナー姿」の時代。「緊張で頭が変になりそうだった」という。

 芯の強さはあくまで内に秘められていた。「山は自分のゆっくりのペースで登り続ける」。その登山スタイルを守り、講演もユーモアたっぷりで笑わせ続けた。

 2007年に乳がんが見つかり、東日本大震災の翌年の12年にがん性腹膜炎で「余命3カ月」と診断された。「あら、そう」と言ってのけたそうだが、抗がん剤治療の合間も多くの登山者と山を楽しみ、勇気づけた。

 「寝ていると景色は変わらない。今度どこへ行こうかと考えるだけでワクワクしてくる」。福島県三春町出身の田部井さんは「(次の世代の)東北の高校生を富士山に登らせ元気にしたい」と呼びかけ、多くの仲間が応援に駆けつけた。

 5回目となった今年の高校生との富士登山では約100人と登った。「千人登らせたい。18歳の高校生が28歳になれば復興の大きな力となる」。毎回報告のはがきを頂き、頑張りに頭が下がった。その意気込みは最後まで衰えず、また自らも「どんな小さな国のどんな低い山でもその国の世界の最高峰を登り続けたい」と歩みを止めなかった。天に昇り世界の山々を眺め次の登山を楽しみにしていることだろう。
(編集委員 工藤憲雄)

nikkei.com(2016-10-22)