変わるホンダ 脱・急拡大、シンプルに走れ

 二輪、四輪、小型ジェット機など年間2700万台のエンジン製品を売るホンダ。創業者の故本田宗一郎氏の理念「3つの喜び(買う、売る、つくる)」による独創的な商品で存在感を示してきた。2012年度に打ち出した急拡大の戦略はアジア事業を成長させた半面、主力車種のリコールという影も生んだ。八郷隆弘社長は何を変革するのか。

■現場の不満拾う

 「ムリな販売をやめてブランドを再構築できる」。ホンダの販売会社の間に安堵の声が広がっている。

 理由はホンダが4月の熊本地震後に伝えた16年度の国内販売計画だ。15年度実績より2.6%少ない68万5千台にあえてとどめた。13年の寄居工場(埼玉県寄居町)稼働以来、計画段階で70万台を切るのは初めて。八郷社長は「規模よりもまず質」と説明する。前社長の伊東孝紳氏が掲げた「世界販売600万台、国内販売100万台」という目標は白紙に戻った。

 有力自動車メーカーが世界販売1000万台を目指して躍起になる中、なぜ、白紙にしたのか。

 「現場は疲弊している」「品質問題が起きたらブランドは輝かない」

 15年9月に行われたホンダの関東地区の販売会社首脳との面談。八郷社長は相次ぐ苦言に向き合っていた。面談は予定の時間を大幅に超える3時間近くまで及んだ。

 八郷社長は15年6月に就任すると、全国の販売店や製作所、研究所、部品メーカーなど計100カ所に足を運んだ。現場がどのような課題に直面しているのかを直接見聞きするのが目的だ。

 軽の鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)や二輪の熊本製作所(熊本県大津町)、販売店では「組織が巨大ではなく、皆の気持ちが1つで士気が高い」(八郷社長)。

 半面、本社(東京・港)や約1万人の技術者が集まる栃木研究所(栃木県芳賀町)では、20〜30代を中心に複雑な意思決定プロセスへの不満があがった。「開発工数が急増したのに人手が足りない」「調整や報告の業務が多すぎる」「最終的に誰が決めるのかが分かりにくい」。浮かび上がってきたのは拡大戦略に対する不満だった。

 リーマン・ショックに伴う北米市場の低迷に危機感を抱いた当時の伊東社長は12年9月、16年度の世界販売を11年度比2倍強の600万台にすると発表した。新興国市場テコ入れのため、世界の主要6地域ごとに専用車種を開発・投入した。

 中国1.7倍、インド2.4倍、インドネシア2.2倍――。15年度の販売台数はアジア主要国で12年度から倍増した。アジアの営業利益は3355億円と北米を6割上回った。アジアにおけるホンダのブランド力は急速に高まっている。

 代償も大きかった。日本では07〜15年に計44車種を発売したが、13年にそのうちの10車種が集中。「人手と時間が追いつかないまま突き進んでいた」(中堅技術者)

 その弊害が露呈したのが13年9月に発売した3代目フィットのハイブリッド車だ。当時の世界最高燃費で、受注は発売1カ月で6万台と過去最高だったが、高度な制御システムの検証が足りず、1年間で5度のリコール(回収・無償修理)を起こした。ホンダの幹部は「検証が不十分だったことは否定できない。現場のエンジニアに余裕を持たせて検証時間をしっかり与え、風通しを良くすることが大事」と語る。

  ■責任所在明確に

 本田宗一郎氏は「製品が最大の宣伝者。1台1台が本田技研(ホンダ)の全信用を担う。120%の良品を作らねばならない」と戒めていた。ホンダは品質管理を見直したが、フィットの国内販売はリコール前の6〜7割の水準。原点を外れた傷は深い。

 八郷社長が打った手は組織改革だ。「身の丈を超えた複雑なオペレーションが問題。商品を磨くなど大事なことに集中するシンプルな意思決定にする」。前年度までの新車開発では、本社がコンセプトを考え、それをもとに研究所が開発していた。さらに世界6極の生産統括責任者が意見を出していた。関係する組織と人間が多くなり、責任の所在が不明確になったり、調整に時間がかかったりしていた。

 八郷社長は4月に世界6極の生産統括責任者の役職を廃止した。研究所に企画から新車開発の責任を集中させて「ホンダ」「ホンダスモール」「アキュラ」の商品開発、完成車の走りの評価、「ホンダ」「アキュラ」のデザイン、管理と計7人の責任者を明確にした。

 「世界初の技術を創りたい仲間を求めています」。ホンダは7月30日、埼玉県和光市や名古屋市で自動運転につながる画像認識や制御などに詳しいエンジニアを採用するセミナーを開いた。

 本田技術研究所の技術者が参加者と対話し、「電動パワートレインの設計」「通信・セキュリティ技術」「人工知能(AI)」「エンジン設計」「制御システム」など、研究開発だけで20を超える分野で人材の発掘に力を注ぐ。今年度は同様のイベントを15回ほど開き、すでに前年度の約10回を上回る。8月以降も月に2〜3度開く予定だ。

 毎月開く経営会議。専務以上の執行役員6人らが参加する場に昼食がつくようになった。ホンダの伝統であるざっくばらんに議論する「ワイガヤ」を意識する。「普段から飯を食ったり、飲んだりして意思統一するように変えれば、事前の調整が減る」(八郷社長)

 八郷社長が「グローバルで唯一無二の存在」と位置付ける日本の生産現場。稼働率を維持するために国内販売を無理に伸ばすのではなく、輸出を増やすようにした。狭山工場(埼玉県狭山市)では5月、新たに北米向けに左ハンドルの中型セダン「アコードハイブリッド」の生産を開始。小型車を含め1〜6月の日本からの輸出は6万7千台で、前年同期比で5・6倍になった。14年に3万台だった輸出を20年をめどに20万台前後にする。

 経営難だった1958年に発売した二輪「スーパーカブ」、73年に米国排ガス規制をクリアしたCVCCエンジンの「シビック」、不振の国内販売を回復させた94年のミニバン「オデッセイ」、2001年の世界戦略車「フィット」――。ホンダは危機や低迷を独創的な商品で乗り越えてきた。

 自らを「中小企業」と称するホンダ。社員が大きくなった組織への依頼心を排し、創業理念に基づいた商品開発に取り組めるようになるか。成長へのカギはここにある。

(企業報道部 工藤正晃)

■台数追わず、新工場は不要 ――就任1年、八郷社長に聞く

 ――「世界トップ3(トヨタ自動車・独フォルクスワーゲン・米ゼネラル・モーターズ)」が1千万台規模の収益で争う中、ホンダは経営で何を優先しますか。

 「我々の規模は500万台前後。現在の生産能力に見合うだけの販売を目指すが、当面は新工場はいらない。規模は追わずに、ひとつひとつの商品の質を上げることに集中する。台数を追うとラインアップがあれもこれもとなる」

 「世界6極体制で地域専用車が強みになり、地域の力が伸びた。ただ各地の要望が積み重なり、日本の研究所や事業本部が調整に疲れてしまう課題もあった。次は世界を束ねてリソースを最適に配分する時期。ブランドを再構築して商品、現場が生き生きするように舵(かじ)を切り直す。4月から日本の研究所が商品企画も含め、責任を持つ体制に変えた。技術者が思いを込めたグローバル車種を作り続けないと生き残れない」

 ――環境規制やIT(情報技術)で自動車業界が激変しつつあります。

 「日米欧、中国といった北半球は環境対応で電動化を進める。だが、地域ごとに好き勝手に開発すると、リソースが足りなくなる。(新興国が多い)南半球は今後、10年では全部電動化にならない。我々の拠点が1つになって強いグローバル機種を作り、それをベースにガソリンエンジンの商品群を準備する」

 「ITの進化で、所有ではない、新しいビジネスが広がっている。(今のビジネスモデルのままで)2030年に向けて生き残れるかどうか。日米でのカーシェリングは勉強中だ」

 ――新領域の人材は足りていますか。

 「電動化のキーとなる車全体の制御系の技術者はもっともっと増やす。自動運転に必要なAIなど新しい技術分野の人と付き合うことも増えている。9月に東京・赤坂に研究拠点を新設する。外部からも人を集めたい」

 ――北米にかかわっていた人が就任することが多かった副社長職に、アジア経験の長い倉石誠司氏を選びました。

 「若い頃からホンダらしい現場をグローバルで経験してきたかどうかが重要だ。倉石副社長は中国をはじめとするアジアでの勤務が長いが、米国も含めて色々な経験をしている。グローバルな感覚を持っており、ホンダが目指しているオペレーションができる人材だ」

 ――30年の理想像は。

 「世界6極に二輪、四輪、汎用がある。バラバラになった瞬間、ホンダではなくなる。マトリクス経営で1個に束ねるためにオペレーションを進化し、ホンダらしい商品をつくる。年間2700万台の二・四・汎の強みを生かして新しい価値を提供したい」

[日経産業新聞8月1日付]

nikkei.com(2016-08-01)