ソフトバンクとホンダ提携 孫・宗一郎、30年前の邂逅

■孫氏「クルマはIoTの起爆剤」

 ソフトバンクグループが21日に開いた法人顧客向けのイベント。孫正義社長に続いて登壇したホンダの開発部門、本田技術研究所の松本宣之社長が紹介したビデオクリップは、ちょっと感動的な内容だった。

 思春期の少女が旧式の車に乗り込むと、車が語りかけてくる。「こんな日にはヴィヴァルディの『春』はどうでしょう」。少女の感情を瞬時に判断して曲を流し始める。

 最初はどこかぎこちない「しゃべる車」は月日をへるにつれ少女の性格を把握し、相棒のような存在になっていく。ボーイフレンドが仕掛けたサプライズ・パーティーにも一役買って少女との絆を深めていく。

 やがて少女は大人になり、ボーイフレンドだった伴侶と家を出る。旧式のしゃべる車と別れを告げ、ピカピカの新車で走り出す。しばらくの沈黙の後に突然、車内にヴィヴァルディが流れ、ピカピカの車が、旧型車と同じいつもの口調で語りかけてくる。相棒の姿は変わっても「心」は変わっていなかったのだ。

 あくまでイメージ映像にすぎないが、ホンダがソフトバンクの協力を得て開発する感情エンジンを搭載した車は、1980年代に日本でも大人気となった米テレビドラマ「ナイトライダー」を思い出させるものだった。

 「クルマは走るスマートロボットになる」と言う孫氏。3兆3000億円の巨費を投じる英半導体設計、アーム・ホールディングスの買収で描く次のターゲットは、あらゆるモノがインターネットにつながるIoTだ。半導体がモノの頭脳になるためだ。

 「あらゆるモノ」の中でも世界で年に9000万台も売られる自動車は、IoT普及の起爆剤になるとの期待が大きい。自動運転となれば相当数の半導体が搭載されることになるだろう。

 だが孫氏はロボットに求めるものが、便利さの他にもう一つあると言う。それが感情だ。

■シンギュラリティの次に来る「感情」

 孫氏が最近、講演などで頻繁に口にするのが「シンギュラリティ」という言葉だ。技術的特異点と訳されることもあるが、AIの知能が人類の知性の総和を超える「超知性」が誕生する日のことを指す。

 アーム買収もその日を見据えたもので、「囲碁で言えば素人には理解できない50手先のための一手」だと言い切る。超知性が幅を利かせるIoTのネット社会に不可欠な半導体の根本技術を握るのがアームだと見る。もっとも、孫氏はアーム買収を前に「その日」に備え始めていた。

 「人類の知性はいずれ、どうやったってAIに勝てなくなる。その時にどんな存在として近くに居て欲しいか。僕なりの答えが感情を持つロボット。つまりペッパーだ」

 AIが人類をしのぐ日を見据えた感情を持つロボット。それを可能にするアームの半導体――。孫氏の頭の中では、遠い未来にそれらがつながってくるというわけだ。

 「ロボットは当分、カネにはならない。事業家としてはぜいたくなことだが、ぜいたくができるようになって初めて未来の事業に手を付けられる。ちょうど、戦前にトヨタ自動車が(当時花形産業だった)織機の会社から生まれたように」

 とはいえ、便利でなければ市場は広がらないことは理解している。そこで孫氏が接近していたのが、他でもないホンダだった。

■幻の提携話

 ペッパーの開発が始まったころのことだ。1986年に極秘裏に二足歩行ロボットの研究を始め、いまや「アシモ」で有名なホンダには一日の長がある。そこでソフトバンクはホンダにロボット事業での提携を持ちかけた。ソフトバンクの「感情」にホンダの「メカ」を掛け合わせれば、よりヒトに近いロボットを作れるのではないか。

 結局、両社の思惑が一致しない部分もあったようで、ホンダとソフトバンクのロボット事業での提携話は幻に終わった。だが、幻の提携は違った形で実を結ぶ。それが今回の「感情を持つクルマ」の共同開発だ。1年ほど前から検討を重ねて合意に達した。実はホンダにとっても「感情」はクルマ作りの根底に流れる発想と言えるからだ。

 「“感情AI”はホンダのフィロソフィー(哲学)とも近い」。ホンダの技術陣を率いる松本氏は21日の講演でこう話した。使い手に寄り添うクルマには創業者、本田宗一郎氏がこだわり続けた「技術は人間のため」という哲学と合致するという意味だ。

 実は孫氏にとって宗一郎氏はあこがれの存在だった。今でも「日本の経営者で一番好きなのは本田宗一郎さん」と語る孫氏は、若かりし日の出会いを今でも鮮明に覚えている。30年ほど前のことだ。

 孫氏は当時、宗一郎氏が同じ歯医者に通院していると聞いて一計を案じた。医者に相談して宗一郎氏の誕生日に、直後に予約を入れてもらい、ケーキを持って宗一郎氏の前に現れた。簡単な自己紹介を済ませると、当時はパソコン用ソフトの卸商だった孫氏の話に聞き入り、宗一郎氏は「俺の家でアユ釣りをやるから、君も来なさい」と言った。11月のことだ。

■宗一郎氏「あの時の君か」

 年が明けて半年ほどたった時、本当にアユ釣りの誘いが届いた。東京・西落合の自宅で宗一郎氏が年に一度開く恒例のアユ釣りパーティーは政財界の重鎮が集まるサロンだった。そこに当時は無名の孫氏が現れると宗一郎氏が「あの時の君か!」と歩み寄ってくる。「CPU(中央演算処理装置)ってなんだ」「それが進化したらどうなるんだ」。重鎮たちをそっちのけで、若き起業家の言葉に耳を傾ける宗一郎氏。

 「あ、ホンダが伸びた理由はこれだと思ったよ。あんな姿を見たら誰だって『このオヤジを喜ばせたい』って思うじゃない」

 「賢いだけでは人は動かせない」という経営者としての心構えを、孫氏は宗一郎氏の姿勢から学んでいた。その宗一郎氏が最も大事にした「技術は人間のため」という発想を、孫氏は著名経営者となってからも受け継いでいたわけだ。

 もっとも、両社の経営哲学には大きな違いもある。孫氏は創業以来、数々の大型M&A(合併・買収)を繰り返してのし上がってきた。言ってみれば他人が作ったビジネスを買い取り、それを育てる手法だ。それに対してホンダはあくまで独力にこだわってきた。宗一郎氏は社員の前でこんな演説をぶっている。

 「買った物はあくまで買った物なんです。どんなに苦労してもよろしい。みんなで本当に、自分で考え出したものこそ尊いんだ」

 その言葉通り、ホンダは自動車業界の再編の歴史に背を向け続け、独自路線を守り通してきた。だが、ここに来てそれも変わりつつある。環境技術やAIの開発には巨額の費用がかかる上、かつてないスピードが求められる。13年には米ゼネラル・モーターズ(GM)と燃料電池車の開発で提携した。AIもやはり独力では難しい分野だった。このタイミングでのソフトバンクとの歩み寄りは、自然な流れだったと言えるだろう。

 あこがれのスター経営者との出会い、幻の提携、そしてビジネスを取り巻く環境の変化――。ホンダとソフトバンクの握手の裏には、人と会社が織りなす長い物語があった。

(杉本貴司)

nikkei.com(2016-07-22)