アリの行列から学べ 成田の入国審査、待ち時間半減

進化の扉、バイオミメティクス

 生物の優れた機能を模倣して技術革新に結びつけるバイオミメティクス。まねの対象は形状や構造といった「見た目」だけはない。なぜ魚や虫の大群が、お互いぶつからず、混乱もなく移動できるのか。生物の習性やコミュニケーション手段を研究し、「行動」を模倣する取り組みも活発になっている。

■渋滞の研究応用

 「今の仕事のやり方はアリ以下ですよ」。東京大学の西成活裕教授は企業経営者にそう語ることが多い。製造業や物流業など10社ほどと業務改善の共同研究に取り組んでいる。渋滞のメカニズムを研究するなかで、アリの行動習性に注目。人の働き方などに応用しようと実証を重ねる。

 大きな餌を運ぶために大量のアリが移動しても、行列で渋滞することはない。「アリは地面に付けるフェロモンを使って、伝言ゲームのように情報伝達している。横のつながりが緊密なボトムアップ型の働き方だから、状況に応じて柔軟に対応できる」とみている。

 アリをまねた事例の1つが、成田空港の入国審査場の改善だった。入国する外国人が急増しても、窓口が追いつかずに長時間待たされる。改善策として、入国審査に関わる航空会社、空港会社、法務省の3者の担当部門間で情報をきめ細かく伝達することだった。

 成田行きの国際便が出発した時点で航空会社が搭乗した外国人数を伝えれば、成田到着までに開設窓口を余裕をもって増減できる。西成教授が空港会社などと共同研究し、2015年1月から導入を開始。審査の待ち時間が半減したという。「アリ社会は女王アリの指示を待っていない。人間社会も大規模になるほどボトムアップの意思決定を重視すべきだ」と説く。

■日産「エポロ」、魚の群れに着目

 日産自動車が「ぶつからないクルマ」実現の一里塚として試験開発した小型ロボットカー「エポロ(EPORO)」。高さ48センチメートル、中型犬程度のサイズの7台がまとまって走行しても、障害物にもお互いにもぶつからない。組み込まれたセンサーで障害物を避けながら、通信モジュールで他のエポロとの距離を測って保っているからだ。

 「エポロの動きを発展させていけば、将来は自動運転で群走行ができるかもしれない」。開発を担当した安藤敏之モビリティ・サービス研究所シニアリサーチエンジニアは語る。例えば仲間同士でドライブに行く。いったん赤信号で離れても、いつの間にか近くで走行している――。こんな未来を実現する可能性を秘める。

 そのエポロの動きの手本は魚群だ。魚は、仲間とぶつからないように進行方向を変える「衝突回避」、距離を一定に保つために速度を合わせようとする「並走」、離れすぎると近づこうとする「接近」という3つのルールに従って動きを変化させ、群れで泳いでいる。

 魚が持つ衝突回避の「側線感覚」をセンサーで、並走や接近のための視覚を通信モジュールで代用した。安藤氏は「この仕組みで道路を走る全員がなめらかに衝突を回避したり減速したりすれば、渋滞緩和につながる可能性もある」という。

 生物学者が持つ様々な知見は、あらゆる製品やサービスに化ける可能性がある。一方で、その知見と企業をつなぐツールがないのが、目下の日本の課題だ。日産が参考にした魚群の例は「一般的に知られていて研究が進んでいた」(安藤氏)。まだ生物学者しか知らない様々な自然の知恵に、工学者が出会うにはどうしたらいいのか。

 「生物学者にとっては当たり前でも、工学者にとっては驚き、ということはたくさんある」。北陸先端科学技術大学院大学の溝口理一郎教授は話す。実は約2年前から、工学者が求める機能を持つ昆虫や魚類などの生物を見つけ出すためのデータベース作りを主導している。お互いの専門領域に閉じこもりがちな異なる学問の間で「欲しい機能」と「持っている機能」をつなぐのが目的だ。

 生物が持っていて人間が工業製品に持たせたい機能を、「接着」「撥水性」「親水性」などの一般的な概念に抽象化。昆虫、魚類、鳥類のそれぞれの専門家の協力を得て、概念化した機能を持つ生物の情報をデータベースに入力してきた。それを共通項にして、求める機能を持つ生物にたどり着けるようにする。

 例えば「防汚、抗菌塗料」と目指す開発品のキーワードを選ぶと、防汚や抗菌に関連した「親水」や「防吸着」といった機能と、「バラの花」「モルフォチョウ」などそれを持つ生物の例が複数出てくる。これを工学者がヒントにして開発を進められるようになる。

■データ蓄積カギ

 データベースへの産業界の視線は熱い。ナノテクノロジービジネス推進協議会(東京・千代田)の中で清水建設や島津製作所、日本化薬、リコーなど16社が参加して昨年発足した「バイオミメティクス分科会」。日立製作所の宮内昭浩氏は「企業の研究者は生物から突破口を得たいと強く思っている。充実したデータベースがあれば、ほとんど知られていない生物の機能をいち早く取り込める」と期待を込める。

 バイオミメティクスの活用は世界的に広がっており、国際標準化機構(ISO)は15年、「定義」と「最適化の手法」を規格化した。さらに現在、データベース構築手法の規格化に向けて動き出している。日本は溝口教授らが開発したこの手法を昨年秋に提案し、採用を目指す。データベースの規格を主導できれば、実際の製品開発や海外への製品売り込みなどの際、日本勢が優位に立てる可能性が出てくる。

 現在までに溝口教授がデータベースとして整理した機能数は100、生物の数は1000種類弱。かなりの数字に見えるが、地球に生息する生き物の数から比べると「全然足りない」。裏返せば、生物の知恵はまだ大量に埋もれており、企業が宝を掘り当て革新的な製品やサービスを生み出す可能性も無尽蔵にある。

(榊原健、庄司容子)

[日経産業新聞2016年6月28日付]

nikkei.com(2016-06-28)