なぜ今のホンダはF1で勝てない?
その根源的な答えが……出たかも。

 伝説の扉が開かれたのは、いまから33年前のことだった。1983年7月14日から開催されたイギリスGPで、ホンダは第2期F1活動を再開させた。'68年に休止して以来、15年ぶりのF1復帰だった。

 復帰から2シーズンは苦しい戦いを強いられたホンダだが、3シーズン目となった'85年から徐々に戦闘力をアップ。4シーズン目の'86年にはついにウイリアムズとともにコンストラクターズチャンピオンに輝いた。

 その後、ホンダはマクラーレンとともに黄金時代を築き、第2期F1活動を休止する'92年までの間に、コンストラクターズ選手権で6回、ドライバーズ選手権でも5度頂点に輝いた。

 アイルトン・セナとアラン・プロストという稀代の名ドライバーを擁して、マクラーレンとともに成し遂げた16戦15勝という最高勝率は、いまなお塗り替えられることがないF1界の金字塔となっている。

「あの強いホンダは、どこへ行ったのか?」

 ホンダは2000年に第3期F1活動を再開。しかし、勝ったのは2006年のハンガリーGPの1勝だけ。2015年に復帰した後は、優勝はおろか表彰台にも上がっていない。

 ホンダが挙げた72勝のうち、69勝がこの第2期に記録されたものである。第2期がホンダだけでなく、F1界にとっても伝説の時代と言われるのは、そのためだ。

「なぜ、ホンダは勝てないのか?」

「あの強いホンダは、どこへ行ったのか?」

 こうした声を日本人だけでなく、海外のモータースポーツファンの間でもよく聞く。

「組んだ相手が悪かった」

「レギュレーションによって、ホンダのアドバンテージがなくなった」

「本田宗一郎と仕事した世代が抜けてしまった」

 答えもじつにさまざまだ。

「(ホンダの)何が第2期と変わってしまったのか?」

 もちろん、勝てない原因はたったひとつではなく、どの答えも間違いではない。

 しかし、時代を俯瞰して見たとき、'80年代に黄金時代を築いたホンダが、2000年以降に1勝しかできない理由には、もっと本質的な理由があるのではないか。

 そして、その答えを知るのは、実際にF1を戦っているホンダのスタッフではないのだろうか。

 あるグランプリで、ホンダのF1プロジェクトの総責任者である長谷川祐介エンジニアに、こんな質問が飛んだ。

「何が第2期と変わってしまったのか?」

 長谷川総責任者は、少し考え込んだ後、こう答えた。

「私は第2期のことはよく知らないので、これはホンダとしてではなく、あくまで個人的な見解ですが、当時('80年代)のF1の技術は必ずしも技術屋から見れば、最高峰というわけではなかったんじゃないでしょうか。だから、ホンダが必死になってやったら、頂点に立てた。あまりいい表現ではないかもしれませんが、村で一番足の速い子が駆けっこに出て勝てた、みたいな感じです。それが、第3期からは駆けっこではなく、完全にオリンピックになっていた」

過去のF1活動をなぞっても、今の勝利につながらない。

 確かにホンダが'80年代に勝ち始めたとき、自動車メーカーで本格的にF1活動を行っていたのは、フェラーリぐらいだった。

 その後、復帰したルノーがホンダの黄金時代にピリオドを打ち、第3期に入ると、ルノーだけでなく、メルセデス、BMWにも、ホンダは後れをとってしまった。

 だが、それを語ってしまっては、第2期の栄光がかすんでしまう。

 伝説はうつくしい記憶のままで残しておきたい。

 そういう気持ちが、ホンダのF1活動を美化する遠因となってしまったのではないだろうか。

「日本製が一番、と言ってたらもう世界で通用しない」

 しかし、もう伝説にすがっている場合ではない。

 現実を見つめなければ、新しい扉を開くことはできない。

 長谷川総責任者の答えには、そんな強い意志が感じられた。

 少なくとも、ホンダの関係者で、ここまで踏み込んだコメントを公式な会見の場で発した人はいなかった。それは、ホンダが再生するには、まず過去の遺産を自ら断ち切ることが重要であると説いているかのようだった。

「もう、日本の製品だから一番だと言っているようでは、世界では通用しない。そして、世界で戦えるホンダでなければ、F1でも勝てないし、グローバルな戦いで勝てないようでは、ホンダとしての価値もない。だから、F1に出て、戦っているんです」

尾張正博

msn.com(2016-07-03)