日本の翼を支える「町工場連合」を作った男

 日本の航空機産業がいよいよ離陸の時を迎えている。超小型機ホンダジェットは昨年末に納入が始まり、米国の工場では量産が本格化した。スケジュールの遅れが相次いだ三菱航空機の国産ジェット旅客機「MRJ」も、2018年の実用化を目指す。そんな新産業を支える異色の町工場連合がある。築き上げたのは、あるOB技術者の情熱だ。

■「航空機やります」

 青森県五戸町。周囲を田んぼに囲まれた小さな工場に怒声が響いた。「どうしてこんないいかげんな作業書になってるんだ!」

 声の主は五十嵐健(67)。だがこの工場の経営者ではない。アドバイザーとして工場の品質管理に目を光らせる。工作機が数台並ぶだけの橘機工という町工場で作るのは航空機の「足」であるランディングギアに使う金属部品だ。五十嵐が書類に目を通したところ、不良品のひとつがどこで保管されているのか書かれていない。結局、社員の机の引き出しから発見されたが、五十嵐は畳みかけた。

 「その気持ちのゆるみひとつで俺らの部品は信用されなくなる。厳しい品質管理が世界で戦う武器になるんだ。よく覚えておけ」

 もとは木工屋だった橘機工。二代目の橘賢志(42)を支える工場長は高校の同級生。経理を仕切るのは実の姉。典型的な家族経営の町工場だ。そんな木工工場がなぜ航空機部品を作っているのか。きっかけとなった五十嵐との出会いは偶然だった。

 橘は地元自治体の紹介で11年に仙台で開かれた航空ショーに訪れた。そこで出会ったのが五十嵐だった。聞けば関西に地盤を持つ航空機部品の名門、住友精密工業のOBで、航空機産業への進出を目指す中小企業の指導を手弁当で行っているという。折しも木工の仕事は東南アジアに移り、その後に始めた金属加工も伸び悩んでいた。航空機と聞くと尻込みしてしまうが、五十嵐は橘の関心を見逃さなかった。

 「やる気があれば大丈夫だ。まずは酒でも飲みながら俺の話を聞け」。五十嵐の熱弁を聞いているうちにその気になってきた。販売や工程管理の品質をこのOB技術者が求めるレベルに高めれば、ひょっとすると金属加工で世界で戦える中小企業になれるかもしれない。「航空機やります」。橘はその場で五十嵐に伝えた。4千万円かけて最新の工作機3台を購入した。ようやく軌道に乗り始め、今夏には新工場を建てる計画だ。

 実は五十嵐はもとは技術者ではない。早稲田大学商学部を出て1972年に住友精密に入社。当初は管理畑や調達部門など文系職場を歩んだが、航空宇宙機器部で生産に携わるようになって独力で技術を学び始めた。勉強を重ねるうちに痛感したのが、日本の航空機産業の存在感の小ささだ。

■名門、住友精密でさえ孫請け

 日本は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指示で飛行機の生産や開発など一切を禁じられた。いわゆる「空白の7年間」だ。その間に世界の航空機産業から取り残され、もの作り大国ニッポンは自動車と電機というふたつの原動力に支えられて急成長していく。

 航空機は防衛庁(当時)向けに納める以外は米ボーイングの下請けでしかなかった。かつて零戦のプロペラを作った住友精密でさえ、航空機ではランディングギアの「孫請け」の地位に甘んじていた。

■町工場1000軒回る

 「このままでいいのか……」。50代後半となり定年が近づいたころ、五十嵐は自問自答を繰り返していた。元来、現場でモノを考えるタイプだ。住友精密に在職中の09年ごろから町工場の全国行脚を始めた。住友精密での仕事を通じて日本のもの作りの底力は見てきたつもりだ。

 「強力なサプライヤー網を作れば、日本企業だけではなく欧米からも欲しいと思ってもらえる製品を作れるはずだ」。これまでに訪れた町工場はゆうに1000カ所を超える。サプライヤー網構想は徐々に形になってきた。熱処理、非破壊検査、メッキ、研磨――。それぞれの腕利きを集めれば海外にも負けない航空機部品を作れるのではないか。

 そんな五十嵐と意気投合したのが、大阪市のねじ問屋、由良産商の会長、由良豊一(73)だ。常時5万種類のねじやナットを扱う由良も、地元関西では町工場を知り尽くしたヌシのような存在だ。若いころに米国の航空機用ねじのメーカーに修行に出された由良にとっても航空機は「いつかやってみたい仕事だった」。五十嵐とは「昼も夜も航空機を語り合う仲になった」と言う。

 2人の航空機サプライヤー構想は行政も動かした。近畿経済産業局の西野聡(55)(現在は独立行政法人・製品評価技術基盤機構で勤務)は由良を通じて航空機産業への参入を目指す中小企業を募る活動を始めた。講師役に据えたのが五十嵐だ。名付けて「ケンちゃんプロジェクト」。決起集会は大阪市内のうどん屋の2階で開いた。ただ、航空機の参入障壁は高い。手を挙げた中小企業のほとんどが脱落していった。

 だが五十嵐はお構いなしだ。「メード・イン・ジャパンなんて聞こえのいい言葉だけで戦えるほど、世界の航空機業界は甘くない」が持論。中小企業の経営者にも「片手間でできると思うな」と覚悟を迫る。

 まずは経営者と酒を飲みながらとことん話し合うのが五十嵐流だ。西野は「五十嵐さんほどの“ひとたらし”はおらんよ」と評する。胸襟を開いて本気度を探るようでいてその実、相手を本気にさせていく。町工場1000カ所踏破の五十嵐の経験と情熱があってこその話術と言えるだろう。

■ホンダジェットに足がかり

 3人の思いは一つの形になる。13年、航空機部品のジャパンエアロネットワーク(JAN、大阪市)を結成した。最高経営責任者(CEO)には由良が就任。五十嵐は住友精密を飛び出して最高執行責任者(COO)に就いた。由良産商を除けば当初は五十嵐がえりすぐった3社から始めた。その1社である深田熱処理工業(石川県小松市)社長の深田健(55)は「まさか自分が航空機をやるとは思わなかった」と振り返る。その後、橘機工なども加わり、いまやJANは約30社の中小をまとめる工場連合に成長した。

 JANの主力はランディングギア。五十嵐の出身である住友精密に納入している。原動力となったのが小型ビジネスジェットのホンダジェットだ。住友精密が試作段階から協力し、06年に事業化が決まるとホンダは住友精密に製造を任せた。ただし、試作品と違って品質もコストも要求水準が高い。

 「御社は部品を安く買えるところをちゃんと探していない」。ホンダジェットの生みの親、藤野道格(55)からダメ出しを受けた住友精密専務取締役(現在)の田岡良夫(61)は調達先の再考を迫られた。浮かび上がったのが先輩である五十嵐が作った町工場連合、つまりJANだ。

 ホンダジェットの要求をパスすると、今度はさらに大型の商談が舞い込んだ。MRJだ。高い品質と仕事ぶりを見込まれ、やはりランディングギアの供給を打診された。三菱航空機社長の森本浩通(62)も「国産ジェットとして(住友精密には)大いに期待している」と語る。実は国産と言ってもMRJの部品の6割は米国など海外製。数少ない日本製部品として選ばれたのが住友精密と、同社を支えるJANだ。

 住友精密と町工場連合の挑戦には続きがある。住友精密は独ドルニエ・シーウイングスから水上機シースターCD2の脚部を300機分受注した。10年分に相当する。実は住友精密は海外の航空機メーカー相手では初めて直接、部品を納める1次サプライヤーとして扱ってもらった。ホンダジェットとMRJでの実績が評価されたようだ。常々「もっと世界へ販路を広げたい」と語る五十嵐の野望が実現したとも言える。

 2月半ば、大阪市のホテルで開いたJANの結成3周年パーティー。全国から集まった中小企業の社長や自治体の関係者、住友精密の幹部ら200人が代わる代わる五十嵐健の持つグラスに持参した地酒を注いだ。「酒のうまい地域の中小企業ばかり選んだんだ」と冗談を飛ばす五十嵐。うどん屋から始まったJANは、今や航空機業界に欠かせない存在となりつつある。

=敬称略

(企業報道部=大西綾、杉本貴司)

nikkei.com(2016-05-23)