平成27年度 スキー同好会(WSA)活動総括&秘話

総括

 今年は、長期天気予報では暖冬であると言っていた。一時、全国的に大荒れの天気となり、関東、沖縄でも雪を観測したので戸隠以降を期待したが、相変わらず雪不足に悩まされ、平年の1/3か半分の積雪量で、予報はあったってしまった。結局消化不良のシーズンであった。

 戸隠では雪不足で3コースしかオープンしなかった。志賀も笹のブッシュが多く雪の少なさが目立った。蔵王では樹氷も溶けて本来の姿ではなくなっていた。八方ではリフトが止まりスキーより温泉でビールという人もいた。

 平均年齢75才とまた一つ年齢を重ねた同好会である。要するに後期高齢者集団でスキーをやっているのである。確かにシーズン前のオープニングで写した集合写真には年相応に、頭の白くなっている人、光っている人だらけである。     

 派手なスキーウエア、ヘルメットをかぶれば、年齢は分らない。コスプレをして大胆なふるまいをするギャルと同じ心境になり、進入禁止地区に入ったり、急斜面でぶっ飛ばす暴走族集団になるのである。

 しかしイベント参加常連である、Kaさん、Siさん、Skさん、Mtさん、Nkさん、Idさんが家族の介護、腰痛、体調不良で参加されなかったのは残念である。

 また行事をやるたびに必ず忘れ物があり、誰のものかと問うメールが飛び交う。今年は、時計、アンダーウエア、シャツ、ストック、部屋の鍵でした。忘れた人はぼけが始まっていることを自覚しなければならない。

 来シーズンもスキーを続けるには体力維持と共に頭のトレーニングも必要だ。


写真はオープニングでのWSA会員メンバー東武ホテルにて


1月12日(火)〜15日(金)戸隠スキー場(参加者21名)
                         文:戸隠幹事 山口

 今シーズンは全国的に温暖化で雪不足のスタートで戸隠スキー行事も例外でなく60 pの積雪で実行するか、一週間延期にするか、それとも中止にするか検討、結果としてはこの先、気候的に雪が降る見通しが難しく雪が降ることを期待して苦渋の思いで計画通り実行した。しかし参加者は28名の予定が18名になってしまった。

 スキー場は予測をしていましたが3 コースしか滑れずメノウコースも一部ブッシュが出ていた、半日滑って再度参加者に宿泊日数の調整を行なったが、やむえない事でした。ある人は奥社に3 時間のハイキングを楽しみ、また中社にお参りをした方もいて雪の少ない時は神社巡りも有りかなと感じた。結局3 泊した人は3 名で最終日は新雪をバッチリ滑ってご褒美があった。

 30数年戸隠に毎年きているが、こんなに雪が少ない年は無かった。18日の週に延期との話も出たが18日は関東地方に大雪が降り関越、上信越道はクローズになり結局行けなくなっていただろう。予定通りに実行した決断が吉となった。

 戸隠からの帰りに神告げ温泉に入りそばを食うのがいつものパターンである。今年は雪不足のせいで温泉も我々以外の客もなく、女将も暇を持て余し、神告げ温泉のいわれを話してくれた。役所や地元の人達の非協力的な態度に腹を立てながらも何とかここまで経営してきたという。聞くも涙、語るも涙の人生裏話を聞く。帰りには若女将の実家で作っているというリンゴ1袋買って帰る羽目になった。


2月3日(水)〜5日(金) 志賀高原スキー場(参加者22名)
                          文:志賀幹事 柳沢

 平年の半分くらいの積雪量であったが、まあまあの天気に恵まれた志賀高原スキーであった。

 いつものホテル、ビラ一の瀬のとなりのホテルジャパン志賀が1月28日に火災にあい、その5日後に宿泊することになった。ジャパン志賀の外観は何ともないが、暖房の熱が煙突をふさいだ雪で天井に入り込み燃えたらしい。最上階のみ燃えたようだが消防の水で全館水浸しになり、結局建て直すしかないだろうとのことであった。

 話題作りは2日目に起きた。OSグループで滑っていた4名。

 焼額スキー場で楽しんでいたが、昼飯は奥志賀でということでみんなの待っているレストランへ行く途中、土地勘のあるNkjさんを先頭に林道コースを移動。

 途中に黄色いロープが張られているところがあった。未圧雪で踏み跡はなかったが、雪も少なく平らであるし、ロープをまたげば近道であろうと判断し、くぐってしまった。 最初は平らであったが突然急斜面で雪も深くなる。転べばスキーも外れてしまう可能性があり、必死でもがきながら深雪から脱出を試みる。Nkjさん、雪から抜け出す方向が分り一人で先頭を行く。しかし後の3人(Isさん、Ngさん、Iiさん)ついて行けず雪と格闘しつづける。

 残された3人は Osさん、Nkjさんに電話するも返答なし。

 3人は、Nkjさんが途中で雪に埋もれてしまって電話に出られないのではないかと遭難を心配する。 捜索願を出そうか、ヘリを要請しようかと心配の種は尽きない。一時間の深雪との格闘の末、3人ようやくバスの通る道路を見つけ、汗だくになり何とか脱出できた。

 天気に恵まれていたので道路を見つけられたが、悪天候なら間違いなく遭難。 “元ホンダ経営幹部進入禁止に入り遭難”、“3人凍死、死亡確認”。“滑走禁止のロープをくぐり道に迷う。”などの見出しでTV,新聞を賑わしたことだろう。

 ようやくバス道路へ出ても奥志賀のレストランまでは相当歩かなければならない。歩いている途中バスが来たので乗せてくれるようバスを止めて交渉した。

 本来はスキーヤーを乗せてはいけない急行バスである。

 Ngさん曰く、遭難したから一の瀬までバスにのせてと懇願。最初は運転手「ダメです」と言ってたそうだが、Ngさんヘルメットとゴーグルを取り光り輝く白髪頭を見せたらしぶしぶ乗せてくれ一命を取り留めたそうだ。

 何とか後期高齢者の実力を発揮した形であった。

 ホンダの哲学、“松明は自分の手で”、“踏み跡は自分の足で”を地で行った行動であった。

 また、Osさんの携帯電話はホテルに置き忘れ、不携帯電話になっていた。


話題作りに貢献した3人も写っています。


2月16日(火)〜19日(金) 蔵王スキー場(参加者24名)
                          文:蔵王幹事 永野間

 蔵王スキー場はホンダスキーの原点であり、そしてホテル樹林は個人的に新婚旅行、バッジテストと思い出深い場所である。2006年2月にWSAで10年前に計画実行して以来のイベントである。

 蔵王も温暖化の影響を受け、1日目は2日前に降った雨でゲレンデはコリコリのアイスバーン状態である。樹氷も溶け出し、蔵王名物の、もっこりした形ではなくなったしまった。しかし2日目から冬型の天候となり湿った日本海からの雪であったが新雪も楽しめた。3日目は快晴の天気になり樹氷の復活。志賀や戸隠と違った横に広がるスキーエリアと幅の広いゲレンデで充分楽しんだ。ゴンドラで山頂駅にまで行き、地蔵さんにお参りをし、ざんげ坂を一気に?滑り降りる。何をざんげしたかはその人次第である。

 WSAでいつも行く長野県のスキー場とは距離的には遠いが、電車で行くのも風情がある。2017年には福島−米沢間の高速道路が完成するので雪の多い峠道も楽に通れるようになる。2年に1回くらいは計画に入れようかと思う。

 スキーの楽しみは滑る以外にアフタースキーである。ある部屋に集まり焼酎を飲み、昔話や、くだらない話で盛り上がる。

 幹事部屋に集まった同室のSFさん、KUさんが自分の部屋へ戻ろうとして、部屋のカギをどこへやったか忘れてしまった。 SFさんは鍵をかけたのは覚えているのだが、KUさんが持っていると思って、“早く探してよ!酔っ払っている場合じゃないよ!”とKUさんをののしる。

 部屋に探しに戻る途中、SFさん自分のポケットを触ったら何か硬いものが入ってた。それが部屋のカギだった。結局SFさん自分が持っていたのを忘れKUさんのせいにしていたのだった。SFさん もうボケが始まっていますな。


3月2日(水)〜4日(金) 八方スキー場(参加者13名)
                          文:八方幹事 木村

 昨年から宿が、パイプのけむりに変更となり、参加者は昨年28名、今年は13名でした。

 小雪の心配がありましたが、十分な雪があり問題ありませんでした。

 初日の午前は、ほぼ全リフトが動いていましたが昼前から強風が吹き始め一部リフトが止まり。昼食は2ヶ所に分かれてしまいました。夜はゲストの梅野さんを迎え昔話に花が咲きました。

 2日目は全山強風で下部のリフトしか動かず、ビデオ撮影会となりました。児玉さんの頭にベルトで固定されたカメラで動きのある映像が取れました。途中から梅野さんがカナダ人の友人を連れてきたので一緒に滑りました。下のゲレンデに飽きた面々は昼過ぎ、ウォーキングに又温泉へと出掛けて行きました。ところが、1時半ごろから風がおさまってきて2時にはリフトが動き始めました。元気の残っている2―3人はあわててスキーを履き出掛けて行きました。夜は、幹事部屋で児玉さんが撮ってくれたビデオを見ながら盛り上がりました。

 3日目は、最高の天気になりましたが、滑らず帰る人、岩岳に行く人、八方で滑る人、それぞれ楽しみました。兎平からの景色は最高でした。

 今回は、故障、怪我も無く、無事イベントを終了することが出来ました。

 

記: 伊藤 洋(2016-04-27)