IT駆使し旅館再生、元ホンダ技術者の斬新発想

 神奈川県秦野市の鶴巻温泉で、まもなく創業100年を迎える老舗旅館「陣屋」。3万平方メートルを超える敷地内には日本庭園が広がり、囲碁将棋のタイトル戦など数々の名勝負が開かれてきた。その伝統ある旅館にはもう一つの顔がある。

 着物の従業員が帯から取り出したのはタブレット端末。パートを含めた約60人がそれぞれパソコンやスマートフォンなどで顧客の食事の好みや来店頻度をチェックする。急な要望も瞬時に共有できる。

■女将の智恵共有

 「女将の頭の中に蓄積されてきた顧客情報を、誰でものぞけるようにしました」。陣屋4代目社長、宮崎富夫(38)こそ、勤怠管理から会計処理まで旅館経営を一括管理するIT(情報技術)システム「陣屋コネクト」の開発者なのだ。

 2010年の導入から2年で外部への販売を始め、今では全国の旅館やホテル約170社・団体が導入する。大手企業のシステムを数百万から数千万円かけて導入するのが一般的だった業界にとって、初期費用とライセンス料で月数万〜数十万円で利用できるシステムはすぐに話題になった。

 今でこそ旅館経営で5億円、システム外販で1億円近くを売り上げるが、7年前までは多額の負債を抱え、旅館は破産寸前だった。

 そのとき宮崎はホンダで燃料電池を開発するエンジニアだった。早朝から深夜まで研究に没頭し「家に帰る時間が惜しい」と、職場にキャンピングカーを持ち込んで寝泊まりした。仕事に打ち込んでいたので、家業の旅館を継ごうと思ったことは一度もなかった。

 09年、社長と女将を兼ねていた母から旅館の売却話を打ち明けられた。負債額は10億円。10年間以上、毎年5千万〜7千万円の赤字を垂れ流してきた経営は限界に達していた。

 買収に手を挙げた企業の提示額はたったの1万円。全財産を担保に取られ、失敗すれば当時まだ1歳と2歳の息子にも一生借金を背負わせることになる。それまで実家の旅館経営に無頓着だったことを悔いた。

 安定した職を道半ばで捨てることは簡単ではなかったが「生まれ育った陣屋の立て直しを人任せにしたら後悔する」と、1カ月後にはホンダを辞めていた。

 問題点を見つけ出して改善を繰り返してきたエンジニア出身の宮崎の目に、老舗旅館の経営はずさんに映った。手書きの予約管理や情報共有でミスは多発し、人件費や料理の原価管理もできていない。

 宮崎はすぐに一元管理できる基幹システムの必要性を感じる。既存のものは高価で、使い勝手にも不満があった。「基礎は自分で作りたい」。新たにエンジニアを採用し、自社システムを作り上げた。

 宮崎は周囲からせっかちと評される。起床も朝4時だ。陣屋コネクトの開発から導入までわずか2カ月。急ピッチの改革で人件費を年間3千万円削減した。  若い社長の「とっぴ」な改革は反発も招いた。当時の従業員は現在の2倍の約120人。「炭をおこすだけの従業員が3人いるのが当然とされていた」。急なIT化に70代のベテランは「私に辞めろということか」と陣屋を離れていった。

■異例の休館日

 ホンダ時代からデータを基に改善方法を考える癖が染みついていた。当時売り上げに貢献していた炭火焼きレストランを閉鎖し、婚礼式場へ転換する一大決心もした。「派閥」間の対立があった2つのレストランを一本化し、都心からのアクセスの良さを生かして婚礼需要を取り込んだ。就任から2年で黒字になった。

 15年以上陣屋に勤める江畑真理子(62)は、閉鎖レストランの予約をキャンセルする電話を顧客にかけ続けたことを覚えている。「社長の行動は猪突(ちょとつ)猛進。いつも小走りで来て、次は何を言い出すかどきどきする」。新しいことは宮崎がまず実践する。従業員の小野高子(60)も「できないなんてとても言い出せない」と笑う。

 エンジニア時代から一つのことに没頭すると改善策が次々と浮かぶ。14年から週に原則2日の休館日を導入したのは一例だ。シフト制で従業員をやり繰りする業界では異例だった。陣屋コネクトは12年に販売会社を作り、一気に業界に広げた。 売上高は毎年50%超の伸びで、16年8月期は目標の1億円が射程に入る。

 陣屋は広大な敷地の割に客室は20室と少ない。「むやみな効率追求や規模拡大は本質ではない」。効率化だけでは説明できない、老舗旅館への思いが宮崎を改革に急がせる。着物をまとったエンジニアは常に新たな仕掛けを練っている。
=敬称略
(水口二季)

nikkei.com(2016-04-02)