ホンダNSX 復活を担う「工房」米オハイオ工場

 ホンダは17日、主要日本車メーカーで唯一ともいえるスーパーカー、新型「NSX」を4月下旬から生産すると発表した。高級車ブランド「アキュラ」の最高級車として、2016年春に米国で発売する。日本での発売時期は未定。米国での販売状況を見極め次第、「ホンダ」ブランドで売り出す計画だ。約10年ぶりに復活するホンダのフラッグシップ車の生産は米オハイオ州の新工場が担う。


 オハイオ州メアリーズビル。新型NSX専用の生産工場へ通じる自動ドアには「夢」という大きな文字がひときわ目立つ。ホンダの創業者である本田宗一郎が好んだ言葉だ。二輪車でスタートとしたホンダの「夢」ともいえるNSX復活の準備が進む。

 新型NSXの生産拠点となる「PMC(パフォーマンス・マニファクチュアリング・センター)」。足を踏み入れると、車のボディーを台車に乗せて2人がかりで引く姿が目に入った。一般の乗用車生産のように流れ作業で組み立てるラインは見当たらず、各工程ごとに分かれたスペースで従業員が身を寄せ合って作業しているのが印象的だ。さながら家具や民芸品の工房のような落ち着きを醸し出す。

 NSX復活は伊東孝紳前社長の存在抜きには語れない。伊東氏は初代NSXの最大の特長だったオールアルミの「モノコック」ボディーの開発者だった。初代NSXは2005年12月末に生産を終了。日本でのアキュラブランド展開に伴い、水面下で10気筒エンジンの開発が検討されていたものの、08年の金融危機で頓挫した。今回のNSX復活は09年に社長に就任した伊東氏が12年1月、米デトロイト・モーターショーで宣言した。

 新型NSXは6気筒ツインターボ・エンジンで馬力は500超と初代モデルの2倍。「フェラーリ」「ポルシェ」と十分に戦える仕様となった。初代モデルの実績がある日本国内の工場に代わり、新型NSXの生産拠点に選ばれたのはオハイオの新工場だった。スポーツカーの需要地である米国で生産するほうがコスト面や品質改良面で優位性があるという考えからだ。

 「自分が楽しんで仕事をしろ」。2代目NSX開発責任者のテッド・クラウス氏は15年1月のデトロイト・モーターショーでの取材の際、伊東氏からこんなアドバイスを受けたことを話していた。「自分が楽しむ」。同じ言葉はPMCで製造責任者を務めるクレメント・ズソーザ氏からも聞いた。「現場を見て気付いてくれたと思うけど、いかに我々が情熱を持って、楽しんで仕事に取り組んでいるのかがわかるだろう?」。ホンダの最高級車の生産に携わる米国人エンジニアたちの胸には伊東氏の言葉が深く刻まれている。

 新型NSXは伊東氏が手塩にかけた外板で車体を構成するモノコック構造をやめ、新たにスペースフレーム方式と呼ばれる骨材を組み合わせる方式を採用した。ハンドリングや乗り心地を追求するには軽いボディーが欠かせない。しかし、高速時の振動や揺れを抑えるには外板を厚くするなどしてある程度強度を高める必要がある。二律背反する命題を解くため、あらかじめ軽量なフレーム方式に強度を施すという結論が導き出された。

 フレーム方式でねじれに強い性能を付与するには骨材を結びつける溶接や接合部品の鋳造法などがカギを握る。PMCの生産部隊は技術・ノウハウを移植するために日本から訪れた開発陣に教えを請いながら自らの技量を高めていった。「日本から来たエンジニアの前では、我々はヤングアダルトにすぎない」というズソーザ氏。しかし、PMCにはすでに溶接、鋳造、塗装などで品質に妥協を許さない生産工程ができあがっている。現地社員の技量への信頼、挑戦する意識の共感なども伊東氏がオハイオを新型NSXの生産拠点に選ぶ要因になったと推測される。

 「ありがと、ありがとな」。PMCにほど近いヘリテージ・センター。ホンダがこれまでに生産した主なエンジンやクルマがそろうこの施設の一角に1991年に亡くなった本田宗一郎氏が生前、オハイオの工場群を訪問した際の映像が残る。本田氏と握手したり、一緒に写真を撮ったりする現地従業員の表情は心なし緊張気味だった。

 30年近い歳月が流れた今、新型NSXの生産現場の中核にはかつて創業者を仰ぎ見た米国人がいる。スーパーカー界にあって、フェラーリやポルシェの壁は分厚い。米国発の新型NSXは旋風を巻き起こすことができるだろうか。(米オハイオ州にて、稲井創一)

《追記》
☆本田技研工業情報 「新型「NSX」北米仕様車の量産を4月下旬より開始」ここをクリック

nikkei.com(2016-03-17)