F1復帰のホンダ「予想通り」の惨敗

 F1世界選手権にホンダが2015年、7年ぶりに復帰した。かつての「最強」を知るファンからは、マクラーレンと再度手を組み、ジェンソン・バトン(英国)、フェルナンド・アロンソ(スペイン)というチャンピオン経験者を起用した布陣に、大きな期待が集まった。しかし、結果は19戦で1勝もできず「惨敗」といえる成績だった。だが、ホンダのF1挑戦は、常に惨敗で始まり、そこから技術で 這 は い上がる歴史の繰り返しで、惨敗は「予想通り」といえるものだ。ホンダの惨敗の理由、技術開発へ込めた狙い、他の日本メーカーの動きなどを絡めてモータースポーツジャーナリストの小倉茂徳さんに読み解いてもらった。

ホンダ、4度目のF1挑戦

 ホンダは、1964年から1968年、1983年から1992年、2000年から2008年と、過去3度にわたりF1に挑んできた。そして、1986年と1987年には英国のウィリアムズチームとともに、1988年から1991年まではマクラーレンチームとともに、チームに与えられるコンストラクターズ(製造者)チャンピオンを獲得してきた。とくに、1988年はアイルトン・セナとアラン・プロストというトップドライバーの活躍と、他が追従できないターボエンジンの技術で、年間16戦中15勝という圧倒的な強さを誇った。こうした結果と記憶から、今回のマクラーレン・ホンダの再結成には大きな期待が生まれたのだろう。

初勝利までは苦戦の連続

 反面、初参戦の1964年は一度もゴールできないで終わり、初勝利するまでには1965年の最終戦までほぼ2シーズンの期間を要した。

 1983年のF1復帰も、初年度はエンジンのトラブルが続発し、大惨敗。翌年に1勝できたものの、これは悪コンディション下での生き残り競争でなんとか得られたもの。本格的にライバルと真っ向勝負で勝てるようになったのは1985年の終盤からで、ほぼ3シーズンかかっていた。

 さらに2000年からの挑戦では、途中からエンジンに加えて車体も手がけることになり、より苦戦となった。

 苦戦のなか2008年にホンダが、翌年にはトヨタも相次いでF1から撤退した。当時リーマンショックによる世界的な景気後退と経営環境の悪化によるものといわれた。だが、もうひとつ重要な理由があった。それは、当時のF1は自動車メーカーが技術開発する場としての魅力がなくなっていたからだ。当時のF1は参戦コストを抑制しようとするあまり規制が強化されていた。エンジンについては、一度型式を登録してしまうと、設計変更できないというルールになっていた。これでは、新たな研究開発にはならなかった。

F1は「走る実験室」

―独創技術のためにあえて困難な道を歩む

 ホンダは、創業者の本田宗一郎が社長だった時代から積極的に二輪、四輪で世界の最高峰レースに挑んできた。それは、世界の頂点で競うことで、より高度で新たな技術を創造し、それらをより良い製品として顧客と社会に還元することを使命としてきたからだ。そのため、F1をはじめとするレーシングカーや二輪の最高峰レースのモトGPのオートバイは「走る実験室」とされ、独創的なアイデアと技術を多数投入したものであり続けてきた。

 前例のない独創的なアイデアと技術を投入するということは、あえて自ら困難な道を切り拓ひらくことを選ぶということでもある。結果、ホンダの世界挑戦はいつも惨敗から始まった。

 しかし、この独創的なアイデアと技術を活いかしながら、ときには大胆に自己否定を恐れずに改良しながら、ホンダの技術者たちは緒戦での惨敗から世界の頂点へと上り詰めてきていた。そして、頂点に立ったときには、他が追従できないほどの圧倒的な技術力を実現してきた。

なぜF1復帰を決めた?

 技術開発の場としての魅力を失ったF1だが、それではなぜ、ホンダはF1復帰を決めたのだろうか。それは2014年から導入される新ルールが、自動車メーカーにとって「走る実験室」としての魅力が戻ってくるものになっていたからだ。排気量1600ccの小型のターボエンジンといういわゆるダウンサイジング(小型化)ターボエンジンと、それにシリンダー内燃料直接噴射も導入。これは少ないガソリンからどれだけ効率よくパワーを取り出せるかという、究極のガソリンエンジン技術を問うものだった。さらに、この高効率エンジンに小型高性能なハイブリッド装置と、排ガスの力を利用する小型発電装置もつけるというルールだった。これは、自動車の環境対策技術をふんだんに研究開発できるものであり、そこでホンダは2015年からのF1復帰を決定、発表した。

突然のルール変更

 2013年5月16日にホンダがF1復帰決定を発表した当時、2014年からの新F1ルールでは、エンジン、ハイブリッド装置などをひとまとめにした「パワーユニット」の開発はほぼ自由で、むしろ開発を促進するようになっていた。だからこそ、ホンダは参戦の意義を見いだしてきたのだった。

 ところが、2013年5月のホンダの発表直後、F1のルールを統括するFIA(国際自動車連盟)は、この2014年からの新パワーユニットのルールを大幅に改定してきたのだった。その内容は、コスト抑制を理由に改良を大幅に制限するものになっていた。これは、他よりも1年遅れて実戦参入するホンダにとって、不利になるものでもあった。だが、むしろ制限されたなかでどう開発して戦うかというあらたな技術課題に挑むことになった。

オーバーヒートやテスト制限に苦しむ

 マクラーレンとホンダは2015年の参戦にむけて、「ゼロサイズコンセプト」というパワーユニットをできるかぎり小型軽量にまとめる独創的なアイデアで開発をすすめた。パワーユニットを軽量にすることは、車体の運動性能が高まり、より俊敏に走れる。パワーユニットを小型にできれば、車体後部を細くしぼった形にでき、車体の空気の流れをより効果的に利用できるようになる。まさに、一石二鳥の考えだった。しかし、理想とは異なり、現実は車体後部とパワーユニットをコンパクトにしたことで熱が逃げにくくなり、シーズン開幕前から各部がオーバーヒート(過熱)して壊れるなどさまざまな問題に直面してしまった。

 悪いことに、問題解決と開発のためのテスト走行もコスト抑制の理由で、近年のF1では年間延べ2週間もないほどに制限されてしまっている。かつてマクラーレン・ホンダが最強といわれた四半世紀前にはテスト制限はなく、日本の鈴鹿サーキットや欧州各地のサーキットでふんだんにテスト走行ができて、改良も自由だったのだが。

そもそも上位争いは無理だった

 ホンダのパートナーであるマクラーレンも、チーム立て直しの時期だった。2014年に最強のメルセデスのパワーユニットを得ながら、マクラーレンチームは、一度も優勝できない、低迷期を迎えていた。2015年以降に向けてライバルチームから有能な技術スタッフを引き入れるなど、車体開発の体制と考え方を大きく転換しようとしていた。このような状況の真っただ中だった2015年のマクラーレン・ホンダは、そもそも上位争いができる体制ではなかったのだ。

 では、手っ取り早く成功を求めるためなら、2014年の新ルール導入から圧倒的な強さを誇ったメルセデスのパワーユニットを模倣すればよかったかもしれない。だが、それでは技術挑戦する意味がない。

 復帰開始早々から苦戦と問題点に直面するなか、ホンダの技術者たちは、パワーユニットの改良に制限を加えるコスト抑制ルールに縛られていた。それでも、2015年シーズン後半戦からはパワーユニット交換によるペナルティーを受けても、小改良を導入したパワーユニットを矢継ぎ早に実戦に投入。こうしたことで、ホンダの技術者たちは、実戦のなかで多くの知見を得たはずだ。

成功はまだまだ先に

 2015年の苦戦の中で体得された知見は、2016年のパワーユニットに活かされることになるだろう。だが、ホンダがふたたびF1トップに立つにはまだ3、4年かかるかもしれない。

 これまでもホンダは独創的なことをやることで、勝利まで2年から3年を要していた。しかも、現代はテスト制限、改良制限があるため、かつての手法よりも時間をより必要とする状況だ。

 現状のF1では、メルセデスのパワーユニットが圧倒的に強く、フェラーリもそれに追いつこうとしている。ルノーはこの2社より後れをとっているが、ホンダよりもはるかに状況は良かった。すると、ホンダがこの差を埋めて上位浮上するのはそう簡単ではない。

 しかし、一度挑んだからには、ホンダの技術者たちは結果を出すまでやり続けようとするだろう。それが彼らの伝統だからだ。

「分進時歩」の開発競争が人も鍛える

 レースをやることは、自動車企業にとって競争のなかでより高度な技術を試し、それを鍛え上げることができる。しかも、その開発競争と技術進歩のスピードは「日進月歩」どころか、「時進日歩」か「分進時歩」くらいの極めてめまぐるしいものとなる。競争のなかで、技術者は常にアイデアを出してそれを検証し続けることが求められる。そして、一度その技術が確立されると、より安価に量産する技術もついてくる。

 そのうえ「まったなし」の実戦現場で、常に最善の思考と選択を瞬時に求められることで、技術者たちはより実力のあるものに鍛えられる。その技術者たちは、将来の製品開発の中核となる人材になるのだ。

世界を相手に戦う日本の技術

 世界を相手に戦い、その技術と人をより高めようとしているのは、ホンダだけではない。

 2009年にF1を撤退したトヨタも2012年から世界耐久選手権(WEC)に参戦している。これはF1と並ぶ世界選手権戦で、トヨタはこの選手権シリーズの最高峰クラスであるLMP1−ハイブリッドクラスで、2014年に同シリーズの年間チャンピオンを獲得。このクラスは、F1をはるかにしのぐハイブリッド技術を試して、競うことができ、その開発成果はすでにトヨタとレクサスで市販されている一連のハイブリッド車に活かされている。

 さらに、トヨタはもうひとつの世界選手権戦である世界ラリー選手権(WRC)にも2017年から参戦すると発表している。ラリーは市販車をもとにした競技車両で争われ、より市販車に近い技術を磨くことができる。そして、ここでも技術者やメカニックをより高度な人材に鍛えることができる。

 このほかにも、日産はレース用に改良を施したGT−Rで国内外の主要レースで活躍。また二輪車の競技でも、ホンダ、ヤマハは世界の最高峰レースで活躍し、今年からスズキもそこに参戦している。

安全、環境技術はレースから編み出された

 モータースポーツに参戦して活躍することは、自社ブランドのイメージ向上に良い役割を果たす。

 だがそれにもまして、技術と人を鍛えることでモータースポーツは重要な役割を果たしている。エンジンのなかの燃焼技術を高めることで、より少ないガソリンからより大きなパワーを取り出して、環境とお財布への負荷が少ないクルマを実現。衝突事故の際に、うまく車体の一部をつぶすことで乗員と歩行者の命を守ることも実現。今、市販車に備えられているこうした技術や発想もレースの競争のなかから編み出されてきたものだった。

 F1復帰初年度のホンダは苦戦と惨敗に終わった。だが、その技術者たちはより育ち、より良い技術をみつけるための糸口をつかんだことだろう。世界の最高峰レースであるF1の競争のなかで、すぐにトップは獲とれないだろうが、その頂上へと上る過程のなかで、ユーザーにとって、社会にとって、環境にとって、未来にとって、より良い技術となるものもみつけてくるだろう。2016年シーズン、さらにはその先へ向けた戦いは続く。
< モータースポーツジャーナリスト 小倉茂徳 >

yomiuri.co.jp(2016-01-07)