岐路に立つボジョレー・ヌーヴォー

日本人は、“渋さ”を克服した


 毎年11月の第3木曜日に解禁されるボジョレー・ヌーヴォー。今年の輸入量は54万箱(1箱は9リットル)で前年比6.9%減と推定される。2013年の同11.6%減、14年の同10.8%減と、3年連続の前年割れとなった。我が国のワイン消費量は2年連続して過去最高を更新しているだけに、退潮ぶりが際立つ。

 環太平洋経済連携協定(TPP)参加国から輸入するワインに対する関税が撤廃されていくと、カリフォルニア産やオーストラリア産の中高級ワインとの競争も激しくなっていく。

 一方で、1999年以降の輸入量は、50万箱以上を維持し続けている。フランスが輸出するボジョレー・ヌーヴォーの6割近くを、日本が占める構図でもある。

 初冬の風物詩として我が国に定着したボジョレー・ヌーヴォーは、果たしてブランドとして、これからも輝き続けられるのか。岐路に立つ、この仏ブルゴーニュ南部の新酒(ヌーヴォー)赤ワインについて、もう一掘りしてみよう。

80年代のワイン消費拡大をけん引

 ボジョレー・ヌーヴォーは、ブルゴーニュワインの一つに分類される。第二次大戦前はがぶ飲み用だったが、戦後は現地の醸造家が改良を重ねて世界で通用する品質に引き上げ、輸出を始めた。

 使用するぶどうは、ガメという品種。房ごと発酵槽に入れて炭酸ガスにつけ込む特殊な醸造法でつくるため、渋みがほとんど生成されない。白身魚などサッパリした料理との相性に優れ、フレッシュな味わいなのが特徴だ。

 赤ワインは渋みの元となるタンニンを白ワインより多く含むため、一般には冷やさない。冷やすと、渋さが増してしまうためだ。これに対し、新酒でもありタンニンをほとんど含まないボジョレー・ヌーヴォーは、冷やして飲める赤ワインである。渋みのない飲みやすさから、赤のエントリー酒という位置づけでもある。

 日本には1985年に入ってきた。最初は静かな立ち上がりだったが、バブル経済の進展とともに一大ムーブメントとなっていく。キリンホールディングス(HD)傘下のメルシャンの資料によれば、我が国の85年度と90年度のワイン消費量を比較すると約9割も増えている。増加のけん引役になったのが、ボジョレー・ヌーヴォーだった。

 この新酒が受けた理由は、赤ワインでありながら渋くない飲みやすさ。これに、「初鰹」に代表される「初物」への憧憬が重なった。日付変更線の関係から、世界で最初に解禁される一大消費国が日本なのだ。

ボジョレー・ヌーヴォーで誘えばデートがかなう

 いまの20代には信じられないだろうが、当時の20代や30代前半の独身男子の多くは、デートのため“巨費”を遣うことに逡巡しなかった(私は違うが)。11月第3木曜を前に「ボジョレー・ヌーヴォーを飲みに行こう」と女子を誘えばどんな男子でもデートに持ち込める、と記者クラブで分析する新聞記者もいた(もちろん私ではない。給料が安く余裕はなかった)。このため、ボジョレー・ヌーヴォーを扱うレストランは増え、にわかワインバーの開店も都内で相次いだ。ちなみに、当時は“割り勘”という文化はなく、すべてのデート費用を男子が賄うのが一般的だった。

 プラザ合意があった1985年はちょうど戦後40年に当たる。それまで、勤勉を原動力に敗戦からの復興を遂げてきたが、86年末から始まるバブル経済に多くの日本人が踊った。その象徴の一つがボジョレー・ヌーヴォーだったろう。それ以前の日本市場は、米食に合う白ワインの方が人気だったのを、赤ワインが消費量で逆転する。カベルネ・ソーヴィニヨンやメルロー、ピノ・ノワールといった代表的な赤ワインの品種ではなく、ガメの新酒によってだった。当時の若者が主導したのである。

 しかし、90年代に入りバブルは崩壊。ワインの消費も低迷してしまう。が、90年代後半にテレビのワイドショーで「赤ワインに含まれるポリフェノールは、心臓疾病の予防につながる」などと紹介され、消費者の健康志向が赤ワインブームに再び火を付けた。

 これに伴い、ボジョレー・ヌーヴォーも復活。99年から輸入量は50万箱を割っていない。

 特に、「100年に一度の出来」と評価された03年に同22%増の71万7000箱に。さらに03年が品薄となったため翌04年には同104万4000箱が輸入され、100万箱の大台を初めて超えた。だが、100万箱超はこの一度だけで、05年からは減り続けリーマンショック後の09年は50万箱となる。06年からペット容器に入った低価格品が登場して再び上昇したが、13年からは下降局面を迎えている。ワイン全体の消費量が伸びているにもかかわらずだ。

 ボジョレー・ヌーヴォーの小売価格はヴィラージュと呼ばれる高級品を含め、2000円台から3000円台前半。「航空便を使うので、高くなる」(キリン)商材だ。

 あるワイン評論家は、「日本ではワインが身近な酒となっている。チリワインをはじめ上質な赤ワインが安価に流通しているだけに、(ボジョレー・ヌーヴォーは)やはり高い」と指摘する。また、「ワイン市場は業務用7で家庭用3の比率だが、ボジョレー・ヌーヴォーの業務用比率は10%程度」(キリン)と小さい。「そもそも中小の飲食店が、たった一日のために扱うのは難しい」(飲食店関係者)という側面があり、主戦場は家庭である。

今年は「濃密でエレガントなワインに仕上がった」

 ちなみに今年は、「夏の日照量が記録的に多く、降雨量が少なかったため、好ましいコンディションだった。ぶどうの糖度は高く、濃密でエレガントなワインに仕上がった」と輸入量トップのサントリー。「ビールと同じように消費者のプレミアム志向を反映してか、高級なヴィラージュが人気。安価なペット容器入りは減っている。傾向がはっきり分かれた」とキリン。

 輸入量は今のところ推計だが、サントリーは前年比7%増、3位のメルシャンが前年並み、4位のアサヒビールは同1%増。一方、2位であるイオングループのコルドンヴェールは同17%減、5位の徳岡は同16%減と、輸入業者は明暗を分けそうだ。ペット容器入りは2割以上減らしたとみられている。

 ちなみに、日本のワイン消費量全体に占める、ボジョレー・ヌーヴォー輸入量の割合は13年時点で1.78%。また、フランスから輸入されるスティルワイン(非発泡性ワイン。一般の赤、白、ロゼ)に占める、この割合は14年で10.4%だった。

岐路に立つボジョレー・ヌーヴォー

 ボジョレー・ヌーヴォーが日本に入って11月19日で30年を迎える。バブル経済を加速させ、日本人にとっての赤ワイン入門酒としての役割を果たしてきた。バブル期にこの新酒に接した人々は、いまも11月の“旬”を求めて愛飲するケースがあるのではないか。

 しかし、日本の食卓に本格的なワインが普及した今、入門酒はやはり岐路に立っている。多くの日本人は、“渋さ”を克服して、常温の赤ワインを日常的に楽しめるようになったのだ。

 今の20代は最初から家庭でカベルネに接していて、デートの材料にガメの新酒を利用する向きもいないだろう。日本市場における新たな価値の追求とブランディング (ブランドを構築するための組織的かつ長期的な取り組み)が、ボジョレー・ヌーヴォーには求められているのかもしれない。

永井隆(ながい・たかし)
ジャーナリスト。1958年生まれ。群馬県桐生市出身。明治大卒。東京タイムズ記者を経て、92年にフリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動を行う。著書に『サントリー対キリン』(日本経済新聞出版社)、『人事と出世の方程式』(同)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『現場力』(PHP研究所)などがある。

nikkeibp.co.jp(2015-11-19)