ホンダジェットに海軍の技術 米を経由し再び日本に

 先日、休暇で一時帰国した際に「伝説の技術者」とお話しする幸運に恵まれた。元ホンダの井上和雄さん(78)。熱狂的なバイクマニアなら、1983年発売の「CBR400F」に組み込まれた独創的な可変バルブ制御システムの開発者として覚えている人もいるかもしれない。今では社内でも知る人は少ないが、ジェット機開発計画の初代リーダーでもある。

 井上さんは入社3年目の62年に、極秘命令を受けてガスタービンの開発を始めた。これが現在のホンダジェットに搭載される小型エンジンへとつながる。ホンダジェットは創業者、本田宗一郎氏の夢を受け継いだと言われることが多いが、井上さんにとっても半世紀越しの夢の実現だった。

■「ネ20」の技術、クライスラーへ

 ところで、ホンダがガスタービンに目を付けた理由は米国から届いた衝撃的なニュースだった。米クライスラーがガスタービンを動力源にしたジェット自動車の開発に成功したという。「レシプロ」と呼ばれる通常のエンジンより軽量で高出力なため、第2次世界大戦中から開発に取り組んでいた。後発組の井上さんたちも当然、クライスラーを参考にしたという。

 そのクライスラーのジェット車開発を巡って近年、興味深い事実が分かった。日本が終戦間際に開発した国産初のジェットエンジン「ネ20」の技術が反映されていたというのだ。

 ネ20は種子島時休海軍大佐の発案で開発が始まった。同盟国のドイツから入手した資料を載せた潜水艦が撃沈される不運もあったが、海軍航空技術廠が実用化にこぎ着けた。だが、ネ20を積んだ攻撃機「橘花」が12分間の飛行に成功したのは終戦の8日前。実戦に使われることはなかった。

 この話には続きがある。終戦後、米航空技術情報部隊に接収されたネ20が届けられた先の1つがクライスラーだった。元IHIの技術者、石沢和彦さんは著書「ジェットエンジン史の徹底研究」で、「クライスラーが合計22回、12時間近い試験を行い徹底的にネ20を調べ上げた」と指摘している。どの程度参考にしたかは不明だが、ネ20が「意外な貢献をしていた」と言う。

 やや強引かもしれないが、日本海軍が開発した幻の技術が米自動車メーカーに渡り、その魂はホンダに受け継がれたと言えよう。

 ホンダジェットは近く事業化する。思いがけない出会いが紡いだ技術の系譜を翼に乗せて。

ニューヨーク支局 杉本貴司

nikkei.com(2015-06-27)