「予定通り」惨敗のホンダF1復帰戦

入社3年目をチームに入れる理由

 3月15日に決勝戦が開催されたフォーミュラ1(F1)世界選手権のオーストラリア・グランプリ。ホンダの7年ぶりの参戦となり注目を集めたが、「マクラーレン・ホンダ」にとっては"予定通り"の結果となった。

 2台のうち1台はエンジントラブルでスタートできず、ジェンソン・バトン選手は最後尾からのスタートで、完走した中で最下位の11位。下馬評通りの強さでワンツーフィニッシュを決めたメルセデスAMGから2周遅れの惨敗である。トップチームとの大きな差を見せつけられた格好となったが、バトン選手は「開発に大変役立つ結果だ」と前向きなコメントを残した。

 ホンダのF1と言えば、1980年代後半から90年代前半にかけての圧倒的な強さが今でも記憶に残る人は多いだろう。伝説的なレーサー、アイルトン・セナを擁し、88年のマクラーレン・ホンダは16戦15勝という偉業を成し遂げた。だからこそホンダにとって、F1は「勝たなければ意味がない」もの。結果が残せなければ、過去の栄光に泥を塗ることになる。

 ただホンダ首脳陣にとって、当面の苦戦はある意味で予定通り。レースの順位という結果以上の参戦意義があるからだ。

 1つが技術の習得にある。2013年にF1への復帰を決断した伊東孝伸社長は「パワーだけのF1だったら復帰はなかった。今のF1が求める環境性能とパワーを両立させる難易度の高いハイブリッド技術は、我々が目指している方向と同じだ」と話す。

 F1の規約(レギュレーション)は頻繁に変更されるが、大きな流れはハイブリッド化にある。2014年から、使用するエンジンが排気量2.4リッターからターボ付きの1.6リッターへと小型化。同時に、エンジンの熱をエネルギーとして蓄えておき、エンジンを補助する動力源に使う「回生システム」の導入も義務付けられた。エンジンとモーター、バッテリー、ターボチャージャーなどを連携させ、燃費とスピードを両立させなくてはならない。

 ここにレース独特の難しさがある。それぞれのコンポーネントを機能させるのはもちろん、それぞれを小型軽量化して最適に配置し、搭載スペースを極小化したF1マシンに収容しなければならない。「配線1本、ビスのつなぎ方1個がダメでも動かなくなる」(伊東社長)という極限の環境で、マシンを仕上げる必要がある。

エンジニアに権限移譲する

 ホンダ以外のチームは2014年シーズンを通してマシンの完成度を高めてきたが、今年から参戦したホンダはこれから。伊東社長が「今年前半は技術を熟成しながら、かつ来期のことを考えなければならないというダブルジョブになる」と言うように、今シーズンはマシンを作り込んである程度の結果を残しつつも、来シーズンに向けてデータを収集することが求められている。

 そう考えれば、冒頭のバトン選手のコメントは理解できる。シーズン前のテスト走行では、トラブルが相次ぎ満足に走行距離を伸ばせなかった。それがレース本番で、最下位とはいえ、1台が完走を果たせたからだ。

 技術の進化に加えて、人材育成の面でもF1復帰の果たす意味は大きい。F1のチームと市販車の開発チームでは、同じエンジニアでも置かれた環境が全く異なる。F1プロジェクト総責任者、新井康久・本田技術研究所専務執行役員は「F1ほど人材を育てるのに適した環境はない」と話す。

 市販車の場合、開発期間は数年単位となり、個々のエンジニアはそのスケジュールに応じて役割が与えられる。もちろん、納期は厳しく管理されるが、予定された開発期間を守りつつ成果を残せば一定の責任は果たせる。

 一方、F1ではシーズン中、短い時は2週間ごとにレースがやって来る。どこかに問題が見つかれば、それを次のレースまでに解決しなければならない。

 F1のチームには主要コンポーネントや技術領域ごとに担当エンジニアが配置されている。それぞれがその担当分野での責任者として、部品や設計の変更などの即断即決が求められる。新井専務は「エンジニアに権限を移譲し、短時間で次々に決断してもらわないとチームは勝てない。失敗しても、それを積み上げることで最善手を選択する訓練ができる」と話す。

 ホンダF1チームの陣容や人数は不明だ。ただ新井専務によると、研究所に所属し過去にレースに参加した経験のあるベテランから、新しいレギュレーションに対応するためにレース経験のない若手まで、幅広い人材を広く集めたと言う。その中には入社3年目もいる。人材を育てるという目的があるからこその布陣だ。

F1村に「住民票を移せ」

 技術の習得と人材の育成と並ぶもう1つのテーマがある。それが、「ホンダはもうF1から撤退しない」というものだ。今回の参戦は「第4期」と呼ばれるように、ホンダは過去、経営状態に応じてF1への参戦と撤退を繰り返してきた。そのサイクルを断ち切り、継続的な参加を目指す。

 伊東社長は責任者の新井専務に対し、「F1村に住民票を移せ」と指示した。これまでは「客」の立場でしかなかったという認識からだ。伊東社長は「毎日F1のことを考え、F1の会話をして、F1の食事をしている人たちの世界がある。そこにホンダの社員が『住民票を下さい』と言っても、『誰だ、お前』となる」と話す。各チームはルールの変更などで振り回される傾向にあるが、それは「村」に参加し切れていないからでもある。

 撤退と参戦の繰り返しでは、社内に断絶が生まれてしまうことになり、ノウハウの継承や人材育成にも支障が出る。2008年、福井威夫・前社長がリーマン・ショック後にF1撤退を決断した以降も、社内ではいつか訪れる復帰に向けて自発的な動きがあった。レギュレーションの変更を調査したり、他のレース活動の成果がF1にどのように応用できるかを想定したりするなど、過去を知るエンジニアはその時を待っていたという。

 その一方で、若いエンジニアの中にはかつての黄金時代を知らない人も出てきており、「レースよりもロボティックス、環境技術をやりたいという人が増えている」(新井専務)。それはそれで時代の流れではあるが、蓄積してきたレースのノウハウが途絶え、社内でレース経験者の層が薄くなることへの危機感もある。

 前回のF1「第3期」では、ホンダはエンジンとシャシー両方を手がけ、チームも運営するフル参戦の形態だった。今回はマクラーレンと組んでエンジン供給だけに留めており、他チームへのエンジン供給も視野に入れる。得意分野に経営資源を集中させ、費用負担を抑えることでなるべく長く続けられる体制にするためだ。

 トヨタ自動車は2002年からF1に参戦したが、優勝することなく2009年に撤退した。豊田章男社長はF1への復帰について、「自分が社長でいる限りない」と断言。そして、2017年から世界ラリー選手権(WRC)へ18年ぶりに参戦することを今年表明した。

 市販の小型車をベースとするWRCでは目下、トヨタの最大のライバルとなる独フォルクスワーゲンが圧倒的な強さを見せている。F1と並ぶモータースポーツの最高峰のうち、トヨタはビジネスに直結する要素が大きいWRCを選択したようにも見える。

 伊東社長はハイブリッドなどクルマの電動化技術を「自動車メーカーにとっての必修科目」と表現し、あくまで世界トップを目指す姿勢を最後まで崩さなかった。ホンダの市販車にF1の成果がもたらされるのは5年先、10年先かもしれない。その時、伊東社長の決断が改めて評価されることになるだろう。
<< 熊野 信一郎:日経ビジネス記者 >>

nikkeibp.co.jp(2015-03-18)