危機のホンダ、「いい人」が新社長の理由

「チーム八郷」を支えるキーマンの横顔

 小型車「フィットハイブリッド」で異例の5回ものリコール。米国で社会問題へと拡大した、タカタのエアバッグ問題。円安で業績が好調の国内自動車業界にあってひとり業績下方修正。ホンダはここ1年半ほど、悪夢のような時期を過ごしてきた。

 ホンダは伊東孝紳社長の指揮の下、「6極体制」と銘打ったグローバル戦略と600万台という数値目標を掲げ、拡大路線を走ってきた。そのひずみがあらわれたとの指摘は多い。

 危機に直面する中でホンダが下した決断は、トップ交代だった。2月23日に実施した緊急記者会見で、6月に社長の伊東孝紳氏が退任し、常務の八郷隆弘氏が次期社長となる人事を発表している。


 果たして、ホンダは変わるのか。会見では、八郷氏の一挙手一投足に注目が集まった。だが、八郷氏は「革新的な商品や技術を生み出し、世界6極体制をさらに進化させたい」と述べるなど伊東路線を踏襲する無難な答えに終始し、集まった記者は「肩透かし」を食った形となった。

 八郷氏とは、一体いかなる人物か。グローバルで基幹車種となっている「CR-V」の2代目開発責任者を務めたほか、購買業務も担当した。米国、欧州、中国など海外経験も抱負だ。

 「いい人ですよ」。ホンダ社内や取引先企業、誰に聞いても最初に出てくるのはこの言葉だ。八郷氏の人柄の良さと人望の厚さは、折り紙つき。自ら「幅広い経験が強み」と述べるバランス型で、部品会社からは「はっちゃん」と親しまれる。強烈なリーダーシップで知られる歴代のホンダ社長とは明らかにタイプが異なり、ホンダ社長が必ず経験してきた技術開発会社、本田技術研究所(以下、研究所)社長の経験もない。

 グローバル化と拡大路線を推し進めてきた伊東社長は、最後に壁に直面した。危機的状況において、調整型の八郷氏をトップに据えた狙いはどこにあるのか。それは、八郷体制を支えるキーパーソンの顔ぶれから、浮き彫りになる。

「品質の番人」が研究所社長に

 昨年12月、ホンダ社内に衝撃が走った。最高級セダン「レジェンド」の発売を予定より1カ月遅らせ、今年2月にするとの通達があったためだ。

 昨年11月の発表会で伊東社長が自ら「2015年1月22日の発売」と説明したばかり。それすら、「フィットハイブリッド」などのリコールが相次いだ影響で、元々は2014年内だった発売時期を延期したものだった。

 社長が自らお披露目した最高級車での、異例の再延期。決断したのは、福尾幸一専務だ。6月に技術研究所の社長に就任する予定で、最大の危機にある開発体制のテコ入れを託された人物だ。かつて実施した「桁違い品質」と呼ばれる品質向上活動の責任者として成果を上げ、社内では「ミスタークオリティ」と呼ばれる。

 昨年11月、福尾氏はホンダの品質改革担当専務と研究所副社長を兼務することとなった。そしてすぐさま、「品質が万全だと検証できるまでは発売しない」と宣言。これにより、レジェンドのみならず、中型セダン「グレイス」、ミニバン「ジェイド」も発売日が後ろ倒しされた。

 ただでさえ、ホンダは相次ぐリコールを受けて新車投入を延期していた。さらなる遅れは、国内事業に深刻な影響を及ぼす。ホンダが2014年度の初めに見込んでいた今年度の国内販売台数は、前年度比2割増の103万台だった。それが、2度の下方修正によって、前年度実績をも割り込む82万5000台にまで落ち込んでいる。体面や目先の利益より、品質を最重要視するという強烈なメッセージが社内に広がった。

 福尾氏は研究所で「技術評価会」の委員長を務める。このポジションは研究開発工程における「門番」の役割を担う。クルマの企画、開発、生産、検査など各段階で、次のステップに進んで良いかどうかを技術の観点からチェックする。技術評価会という仕組み自体は、以前からあった。だが、「この課題は現時点では積み残して、次の段階で解決しよう」といった判断が下されることも少なくなかったという。福尾氏は「曖昧さを排除し、少しでも不安があれば次の段階に進めさせない」という姿勢を明確にした。

 今、ホンダの社内で、これまで行われなかった取り組みが実施されているのも、福尾氏の指示によるものだ。工場、サービス、研究所といった様々な部門のスタッフが、開発最終段階のクルマを公道で試乗している。従来の試乗は、社内のテストコースが主体だった。考えられる様々な条件で開発中のクルマの走行性能をチェックするためには、テストコースが最適との考えに基づいている。そこには、ホンダ技術陣の強い自信が垣間見える。

 だが、フィットハイブリッドで搭載した新システムではそれが裏目に出た。渋滞時のノロノロ運転のような、断続的に発進と停止を繰り返すような場合、制御システムへの負荷が高くなり、発進不能になる恐れがあることを見逃してしまった。従来のエンジンを積んだクルマの常識からは考えにくいケースだった。

 ただし、福尾氏は「公道での試乗は暫く続ける必要があるが、あくまでも臨時対応」と強調する。現在、オールホンダで懸命に作り直している、品質強化意識を開発プロセスに落としこまねばならないと考えているからだ。

縦割り開発を改める

 今年4月、研究所にある部署が新設される。「統合制御システム室」。クルマの制御システムをハードとソフトの両面から一体開発しようとするもので、ホンダが開発体制を抜本的に変えようとしている象徴だ。

 従来の開発手法は「縦割り」だった。クルマの心臓部を構成するエンジンやトランスミッションといった機構ごとに開発し、最後にまとめ上げていた。個々の機構ごとの完成度を高めるのには向いている体制で、組み合わせる場合の勘所がほぼ分かっている従来のクルマ開発においては合理的な選択だった。

 だが、新ハイブリッドシステムでは通用しなかった。7速DCT(デュアルクラッチトランスミッション)といった新機構を取り入れたのに加えて、それをソフトで複雑に制御する必要があったからだ。

 自動運転技術や電動化など、電子制御の割合は今後ますます増していく。新たな開発体制が必要となるゆえんだ。

 実はフィットハイブリッドでは、発進時のギクシャクさを指摘する声が、開発現場から上がっていた。結果を見れば、そこがリコールの原因を示唆していた。安全性にかかわらない部分と判断し、使い勝手に妥協した部分は、果たしてなかったか。

 現場が、違和感を持たなかったはずはない。それだけに「社員が声を上げられない環境になっていたのかもしれない」と伊東社長は悔やむ。

 「海外の開発拠点を立ち上げるために栃木から人を出すしかない。人手が減ってどんどん忙しさが増した」。ある研究所の社員はこう打ち明ける。海外での開発体制強化を進める中で、海外拠点のサポートや調整などの負荷が想像以上に現場にのしかかり、余裕が失われていった。

 福尾氏は「現場に一回余裕をもたせる必要がある。負荷を2割減らし、余裕の1割を品質確保、1割を将来技術に振り向ける体制を作りたい」と語る。実際に車種グレードなどを2割削減する検討に入った。

 拡大路線に追いつかず、開発部門においてリソース不足と品質問題というひずみを生んだ六極体制。影の部分がクローズアップされるが、もちろん奏功した面もある。

 その体現者が常務の松本宜之氏だ。次期社長候補とも言われていたが、八郷新体制では専務となり、四輪事業の最高責任者、四輪事業本部長に就く。

敗れざる「ミスター6極」

 松本氏の経歴は華麗だ。開発責任者を務めた初代「フィット」は、小型車市場でホンダの地位を確固たるものにした。伊東社長が掲げた600万台の販売計画も、フィットを中心とした小型車で新興国市場を含め一気に数を稼ぐことを前提としたものだ。

 松本氏は2013年4月、開発・生産のアジア統括責任者としてインドに赴任した。インドは二輪こそ高いシェアを誇るが、ホンダの四輪事業にとっては不毛の地。世界で最もコスト競争が激しく、日本で開発したクルマを持って行くだけでは到底戦えない。いかに現地ユーザーの需要を満たし、かつ安く作ることが求められる。6極体制の真価が問われる市場だ。

 インドに赴任後、「あっという間に開発」という合言葉で開発スピードの高速化を宣言。現地のローカル部品メーカーなどを巻き込み、2014年7月に発売した小型3列シート車「モビリオ」では、価格を約60万ルピー(約125万円)からとして現地の関係者を驚かせた。インドで圧倒的シェアを誇るマルチスズキの競合車種とほぼ同程度の価格帯を実現したからだ。

 インドとタイの開発拠点が共同で開発したインド向け小型セダン「アメイズ」に続き、フィットをベースとした「シティ」や「モビリオ」などを次々にヒットさせたことで、ホンダはインドでのシェアを倍増させた。

 ホンダはインドネシアでも「モビリオ」を投入し、その効果もあって2014年のシェアはこちらも13%へとほぼ倍増した。世界6極がそれぞれ自立すると伊東社長が思い描いた構想は、インドやASEAN(東南アジア諸国連合)では実を結び始めている。松本氏はその実績を引っさげ、新体制の中核を担う存在となる。

「需要地生産」を更に進化

 今期、6極体制の確立を急いだマイナス面は、生産部門でも露呈した。品質問題で国内販売が不振に陥り、狭山工場などで生産調整のため操業停止日を増やすなどの対応をとらざるを得なくなったのだ。

 ここ数年、自動車メーカーの業績に最もインパクトを及ぼす要因は「為替変動」だった。その根本的な解決策は「需要地生産」だ。ホンダは日系メーカーの中で最も需要地生産を進めた、為替対策の優等生だった。

 だが、需要地生産を進めるあまり、柔軟性に欠けてしまった面は否めない。日本で需要が減少しても、柔軟に輸出に振り向けられるグローバルな相互補完体制を作っていれば、業績へのインパクトは相当薄らいだはず。折しも円安が進行したタイミングだった。

 「理想は状況に応じて1〜2割を柔軟に輸出に振り向けられる体制だったが、超円高対策に追われて十分でなかった」と現在、生産を統括する専務の山本卓志氏(今年6月に取締役を退任予定)は説明する。

 柔軟性を持つ新たな生産体制の構築を託されたのが、常務の山根庸史氏だ(6月以降は専務)。新たに生産部門の責任者となる。経験は二輪、四輪、中国、日本など担当してきた領域は幅広いが、ほぼ一貫して生産分野を担当してきたスペシャリストだ。

 ホンダは現在、国内の各工場の稼働率を維持するために、車種を相互に融通している。例えばフィットはどの工場でも生産できるため、寄居工場から狭山工場に一定数を移管している。こうした相互補完をよりグローバルに加速させるのが、山根氏の使命となる。

強烈な個性をまとめあげられるか

 拡大路線をとってきたホンダのひずみは、品質問題を契機に同時多発的に噴出した。社長の大号令だけで解決する問題ではなく、本質の部分から改革する必要がある。

 ホンダが重要部門に、それぞれの部門を知り尽くしたエキスパートを配置した理由がここにある。彼らが抜本的にホンダを「作り直す」改革の過程では、当然のことながら様々な軋轢も出てくるはずだ。

 だからこそ、キーパーソンたちの能力を最大限に引き出しまとめ上げる能力が、新たなホンダのトップには求められる。「調整型」の八郷氏がホンダの次期社長となった意味は、そこにあるはずだ。
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nikkeibp.co.jp(2015-03-16)