「クモの糸」量産へ 車・航空機…素材革命の挑戦

 直径1センチの新繊維で巨大な巣を張れば、離陸中のジャンボ機を無傷で捕獲できる――。こんなSFのような話が、現実になろうとしている。強さとしなやかさを併せ持つ天然のクモの糸に限りなく近い繊維の開発に成功し、工業生産に踏み切ろうとしているのがベンチャー企業のスパイバー(山形県鶴岡市)だ。人工のクモの糸は、米軍も長く開発に取り組みながら成功に至っていない。ベールに包まれたスパイバーの研究開発拠点を訪ねた。


■鉄よりも強く、ナイロンよりも伸縮する

 スパイバーが建設中の新工場は雪深い田園地帯にあった。庄内空港(山形県酒田市)から車で約20分。慶応義塾大学が構える先端生命科学研究所に隣接する敷地で今春から、人工のクモ糸繊維の量産に着手する。基礎研究に多くの時間を費やし、創業から8年でこぎ着けた。世界初の技術の粋が集まる製造工程は極秘で、施設内は厳重な管理下にある。

 それもそのはず。クモの糸は同じ重量の鋼鉄を上回る強靱(きょうじん)さとナイロンより高い伸縮性を持つことから「夢の繊維」と目され、数十年にわたって世界中の研究者が開発競争を繰り広げてきた。しかし工業利用を可能にする量産化に成功したとの報告はない。スパイバ−は2013年5月、世界に先駆けて量産技術を開発したと発表した。

 同社が開発した新素材「QMONOS(クモノス)」はクモ糸に近い弾力性や軽さ、切れにくさを兼ね備え、工業用途での活用が期待されている。ちぎれにくさでは防弾チョッキに使われるアラミド繊維や、飛行機の機体に使われる炭素繊維をしのぐという。

 スパイバーが突き詰めたのは「遺伝子工学的アプローチでクモの糸をつくる」手法。遺伝子組み換え微生物を使って大量生産する技術を確立した。メカニズムはこうだ。

 自然界のクモが吐き出す糸は、たんぱく質からなる。一口にクモ糸といってもクモの種類によっても様々なうえ、1匹のクモも縦糸や横糸、けん引用の糸など複数の種類を使い分けるという。それぞれの物性は20種類のアミノ酸の配列で決まる。その組み合わせは実に20の3000乗ほど。同社は天然のクモ糸の構成に近いアミノ酸の配列をデザインし、それを作り出す遺伝子を微生物に組み込んで培養・発酵させ、目的のたんぱく質を大量につくる。精製して粉末状にした原料を紡糸し、繊維状に加工する。

 現在、従業員数は60人強。研究者が主体で、平均年齢は30歳だ。チームを率いる代表執行役の関山和秀(32)も同世代。関山は起業当時、慶応大大学院で博士課程(先端生命科学)に在籍していた。「研究室ではコンピューターを駆使して膨大なデータを解析していた。ところが、これだという遺伝子を微生物に入れてみても全く目的のたんぱく質を作ってくれなかった」と振り返る。

■ビッグデータ解析から紡糸まで

 2007年に会社を興した関山らは後発。当初は開発競争での勝ち戦を予感させるにはほど遠かった。1990年代から盛んになっていた微生物を使ったアプローチに絞って研究をスタート。動物などに作らせようとしていた他陣営の手法はコスト面から現実的ではないと踏んだ。例えば米軍はヤギの乳腺に遺伝子組み換えを施し、搾乳してクモ糸のたんぱく質を取り出すという手法にこだわっていたが、関山の目には「微生物なら数十分単位で倍、倍に増える特性がある。ヤギではそうはいかない」と映った。

 関山によると、地道に仮説を立て、それに基づき実験と検証を積み重ねることが成功への近道だったという。具体的には、天然のクモの糸が持つアミノ酸配列そのままを再現するのではなく、その一部については微生物が作りやすいようにあえて“細工”をして再設計する――といった仮説に基づいた実証実験を地道に繰り返した。起業から約1年がたったころ、20ミリリットルほどの成分の合成に成功。これと並行して、培養の専門家や紡糸の専門家など、かつて大手企業で働いていた技術者に声をかけ、アドバイザーとして加わってもらった。

 というのも、関山らはバイオ情報のビッグデータ解析にはノウハウがあったが、発酵や精製、紡糸や加工技術に関しては門外漢だったからだ。アミノ酸配列だけでなく、培養や精製の条件も少しずつ変えながら比較し、より効率的な手法を追求した。こうした定量評価、再実験をこつこつと繰り返すことで、現在では「研究開始当初の2500倍の生産効率」(関山)を実現したという。すでに400種類以上の新規分子をデータベース化した。

 関山は技術的な難しさをこう表現する。「クモの糸の開発は、ものすごく分野横断的な研究開発が要求される」。遺伝子工学に加え、発酵や培養といった化学的な知識なども総動員する必要がある。スパイバーは鶴岡市にワンストップで各分野の専門家を集めることで、「分子デザイン→遺伝子合成→培養・発酵→精製→紡糸→評価」という一連のサイクルを1カ月〜1カ月半で行える態勢をつくった。微生物で人工のクモ糸の製造に挑む競合の研究者も少なくないが、多くは複数の国をまたいだ研究機関が共同研究している。国境を越えての研究では同サイクルに半年〜1年以上かかるケースもざらだという。

 資金繰りが尽きそうになったり、技術の壁にぶち当たったりと「困難は数え切れないほどあった」と関山は振り返る。当初目指していた「5年後に黒字化して上場」はかなわなかったが、基礎研究に地道に取り組んだことで、クモの糸だけでなく、たんぱく質をベースにした素材全般の生産というより大きな領域を事業の視野に入れた。

■石油を原料とする素材を代替

 関山の視線の先にあるのは「素材の産業革命」だ。目指すのは、メーカーなどから依頼された強度や伸縮性、色の素材を「オーダーメードで、アミノ酸配列からデザインしてつくり、新素材をどんどん供給していく」こと。例えば人体の臓器にあるゴムのような組織を複製することも分子デザインから始まる一連のプロセスの応用でできるという。「石油を原料とする素材の代替品」を扱うメーカーに脱皮し、自動車や医療分野をはじめとする様々な産業に供給するシナリオを描いている。

 微生物による発酵・培養は、化学繊維と違って原料に石油を使わないため環境負荷も少なくてすむ。もちろん、バラ色の側面だけではない。新素材の短所も見極める必要があり、開発はなお改良の途上にある。それでも微生物を使った新素材は「私たちがやらなくても他の誰かが必ず手がけるだろう。間違いなく、次の時代の基幹素材になる」と関山は断言する。

 これまでに大手ベンチャーキャピタルや金融機関など投資家から約41億円を調達しており、この資金を元手に量産体制の構築を急ぐ。新工場では数年後に年間20トン規模の生産を見込む。工場の運営会社を同社と共同で設立したのは、トヨタ自動車系部品メーカーの小島プレス工業(愛知県豊田市)。新素材をボディーの一部に使えば、ぶつかっても人がけがをしない「未来のクルマ」ができるかもしれない。

 スパイバーには、世界から国籍豊かな人材が集まり始めている。今春には15人の新入社員を迎え入れる予定。2017年には鶴岡市主導でスパイバーなどが入居する敷地を大幅に拡張し、国際研究拠点としてのまちづくりが本格化する。「歴史的に、資源の奪い合いで戦争が起きてきた。この技術が普及すれば、戦争の火種が1つなくなるはず」と関山。真の「革命児」となれるのか。その行く先に世界が注目している。=敬称略
(映像報道部 杉本晶子)

nikkei.com(2015-01-25)