==日本の革新者(イノベーター)2014==
マグロに学ぶ「稼ぐ知力」の極意
近畿大学水産研究所長・宮下盛

 2014年、絶滅危惧種に指定された魚の王様、クロマグロ。宮下盛・近畿大学水産研究所所長が卵から人工で育てる「完全養殖」に成功して10年余が経過し、大手商社などとタイアップした事業化も順調に進む。象牙の塔に閉じこもらず、学術研究を社会に役立てる極意は何か。宮下の取り組みから「稼ぐ知力」のヒントが見えてきた。

 「あいつらは商売人。研究者の片隅にも置けない」。1980年代初頭、ある学会に出席した宮下は、他の大学関係者が休憩中のトイレで漏らした一言が今でも忘れられない。

 当時、宮下はマグロの養殖研究を続けるも、卵からふ化しても60日、体長8cmにも満たずに相次いで死んでいった稚魚に頭を抱えていた。82年から11年間は産卵自体が途絶えてしまい、研究は存亡の危機にさらされる。

他大学の研究者は「商売人」と蔑んだ

 国の支援は望めず、当時、関西圏でトップグループの「関関同立」(関西、関西学院、同志社、立命館の4大学)に次ぐ「滑り止め」に甘んじていた近大は財政的にも余裕が乏しい。宮下は研究費を工面するために、自らが養殖したマダイ、ハマチを大阪の水産市場などに自ら売り歩いた。これを他大学の研究者は「商売人」と蔑んだ。

 しかし宮下は、ここで研究を続けるヒントを探し当てる。「私たちが稼いだお金なんだから、逆に言えば胸を張って使っていいんだ」。宮下は高級寿司店などで人気のマダイ、シマアジなどを多く販売する戦略に打って出た。

 宮下が常駐する水産研究所は温暖な和歌山・串本にマグロ用の生け簀がある。「マグロが生まれてこないのは水温が原因ではないのか」。南から黒潮の流れる串本は夏代冬で水温が5度以上開く。こう考えた宮下は相前後して、奄美大島に研究施設を立ち上げる。建設費用は5億円規模。「すべてウチで育てたマダイ、シマアジの稚魚を販売した利益で建てた」。

 稚魚が安定して獲れるようになった6年ほど前、商社や水産業者に協業を呼び掛けた。難色を示す企業が相次ぐ中、社内ベンチャーを通じて稚魚の育成を共同で手掛けることになったのが豊田通商だ。近大単独では年間4万尾程度だったのが、豊通との連携で10万尾体制になった。「規模の経済性」がはたらき、エサ代などのコストを抑えることが可能になった。

 自分の研究費は自ら稼ぐという風土は近大が掲げる「実学の精神」に負うところが大きい。各学部や研究所は大学本部から支給される研究費を受け身で待つのではなく、自らの研究成果を社会に問う。「役立つと評価されれば自然とお金になる。ダメなら一から出直しだ」。

 マグロだけではない。近大付属農場では新品種のマンゴーを栽培し、研究牧場で育った牛や鴨には「近大ブランド」で市場に流通する。3つある付属病院は大学全体の収入の45%を占める。各学部や研究所の「お家芸」が教授や学生の探求心を刺激し、オール近大でユニークな発想や固有の技術を育む土壌になっている。

 こうした発想は、最近、日本企業の間で急速に広がりつつある、組織や事業ごとに費用対効果を重視する「ROIC経営」(ROIC=投下資本利益率)に通じるところがある。大学になぞらえると、一つひとつの学部や研究所を「事業部」とみなし、投下した教職員の人件費や研究費に対して、どれだけ収益を生み出したかを測る。

 確かに利益を生むことが本業ではない大学にとって、ROIC経営のような手法はなじまないかもしれない。ただ少子化の進展により、大学全入時代が到来。施設などの「ハード」、研究・授業の「ソフト」両面で魅力ある大学でなければ競争には勝ち残れない。

志願者数で明大を上回り私学トップに

 近大はマグロ、マンゴーなど大学発の「知」が社会に広く知れ渡り、2014年、志願者数が初めて日本の私立大学でトップに躍り出た。2006年度に5万2000人だった志願者は2014年度に10万5800人と倍増。10万5500人だった明治大学を上回ったのだ。

 志願者が10万人規模に達すると、受験料収入だけで30億円増える。近大は企業の「売上高」に相当する収入が2000億円規模。人件費や研究経費などの経費を差し引き、企業の経常利益に相当する「帰属収支差額」は105億円(2013年度実績、以下同じ)と、同志社大学(54億円)、慶應義塾大学(47億円)を上回る。

 売上高経常利益率に相当する「帰属収支差額比率」は7.9%と、全国平均の6.1%を上回る。宮下ら研究者、教職員の「稼ぐ知力」が大学財政の安定化につながり、さらに教育研究が充実する好循環がうかがえる。

 しかしイメージが先行しがちな大学間競争にはもろさも潜む。学生数という「量」は確保したものの、大学全体でみると文系学部のレベルアップが欠かせない。近大学長の塩崎均も「偏差値と大学の真の実力は異なる。文系ほど世間に評価してもらうことが難しい大学はないが、関関同立に負けている」と話している。2016年度には外国語・国際系学部を新設して、国際分野での教育研究に磨きをかける。

これからは養殖魚も輸出競争力が必要

 マグロの完全養殖に成功した宮下も同じ想いを抱いている。「これからは養殖魚も輸出競争力が必要」と、養殖に必要なコストをより精緻に検討している。

 コストの代表例となるエサ代は1キロ当たり100円程度。マグロが1キロ太るには12キロ(1200円相当)のエサが必要とされる。「近大マグロ」は最低でも40キロ程度で出荷されるから、500キロ近いエサが欠かせない。一方、回転ずしなどで提供されるメキシコ産の天然マグロは1キロ当たり1800円程度が相場。近大マグロの評判が良いとはいえ、コストでは太刀打ちできなくなる可能性がある。

 動物性のエサに植物性の成分を1割程度混ぜるなどして、コストを抑える戦略を描く。「私は研究者というよりも一介の魚飼い。稼ぐことは社会の役に立っている証拠だと思っていますよ」。近大が掲げる「稼ぐ知力」「実学の精神」とは、目先の利益を追うことではない。学術研究を社会に還元する、ひとつの術なのかもしれない。

nikkeibp.co.jp(2014-11-26)