刻まれたロッキードの流儀 ホンダジェットの革新(4)

 ホンダ入社3年目に米国に派遣され、航空機開発の研究を始めた藤野道格氏(54)。当初は研究というより機械加工など地味な作業が多かった。だが今思えば、当時の経験と恩師との出会いが、その後の「ホンダジェット」開発のバックボーンとなったと振り返る。

■「こんなことやってていいのかな」

 ホンダグループのモータースポーツ施設、ツインリンクもてぎ(栃木県茂木町)にあるテーマ館「ファンファンラボ」を訪ねると、シュールな飛行機にお目にかかれる。ホンダが1990年代に独自開発した6人乗りの小型ジェット機「MH02」。今のホンダジェットにつながる実験機だ。

 ホンダは1986年、社員5人を米ミシシッピ州立大に派遣し、航空機の研究に当たらせた。入社3年目だった藤野道格(現・米ホンダエアクラフトカンパニー社長)はメンバーの一人。東大工学部航空学科を出た藤野は最先端の飛行制御技術を学んでこいと言われたが、米国に着くとガレージのようなところで材料にやすりをかけるなど手作業で飛行機をつくる日々。「こんなことやっていていいのかな」と思い、夜は航空機設計を独学していたという。

 MH02はそうした渡米メンバーが設計・開発し、1992年に完成させた。翼が胴体の上部にあり、やや前方に向いた独特のスタイル。エンジンは翼の付け根の上に置いた。構造部材をすべて複合材にするなど、当時の先進技術を数多く取り入れる意欲的な試みをしている。1993年に初飛行に成功し、1996年まで170時間の飛行試験を続けた。

 実用化に道を開く機体ではなかったが、藤野は「今思えば、手作業で飛行機をつくったことが、設計者として非常に貴重な経験になっている」と振り返る。航空機の世界では専門分野が細分化され、設計者が飛行機をつくる経験はなかなかできない。ホンダジェットのプロジェクトリーダーとして航空機開発の全体を見渡す立場になってからは、このときに積んだ経験が大いに役立っているという。

 とりわけ渡米後の10年間で藤野が最も大きな財産になったと話すのは、米国で航空機の世界を開拓してきたトップエンジニアとの交流だ。なかでも米ロッキード(現ロッキード・マーチン)で軍事用巨大輸送機「C5」のチーフエンジニアだったレオン・トルベに学んだ経験が、藤野のその後の運命を大きく左右した。

■巨大輸送機のチーフエンジニアに学ぶ

 トルベは当時70代。航空機研究のコンサルタントとして、MH02の開発などを指導する。「最初は距離を置かれていた」と藤野は感じた。トルベは自分の部下たちのことを「キッズ」と呼んでいたが、「我々はキッズ以下のベイビー。飛行機のことをほとんど知らない日本の自動車メーカーの人間と見られていたのだろう」。

 だが仕事を一緒にするうちに距離は縮まっていく。「すべて言われたことはきちんとやった。明日までこの仕事をしろと言われれば、徹夜してでもやるようにした。やり直せと言われればすべてやり直す。とにかく信頼を得られるようにした」。のちに航空機開発の世界はリーダーの権限が絶対との話をトルベから聞かされるが、藤野は知らないうちにロッキード流の開発手法を学んでいた。

 トルベの自宅はミシシッピから約400キロ離れたアトランタにあり、藤野は出張して指導を受けていた。MH02の設計などで問題が発生すると泊まりがけが続く。トルベがあるとき「自分の家に泊まっていい」と藤野に告げた。アトランタに行くと問題が解決するまで何カ月も家族のように生活を共にした。「1年のうち半年はアトランタにいた」

 トルベは若い藤野のことを弟子として認めたのだろう。航空機業界のことを色々と教えてくれるようになった。ロッキード時代のこと、巨大輸送機「C5」の設計時に判断したこと、エンジニアとしての倫理観など。「通常の人には話さないようなエピソードも語ってくれ、初めて飛行機を設計することがどういうことかが分かった気がする」と藤野は言う。飛行機を設計するうえで必要な基礎的技術や倫理観をたたき込まれた。

 時が過ぎて2003年12月、藤野らが開発したホンダジェットが初めて空を飛んだ日のことだ。偶然、トルベから電話がかかってきた。「今日、ファーストフライトをしました」。藤野が報告すると自分のことのように喜んでくれ、「ぜひ機体を見たい」と話したという。残念ながらそれから半年ほど後に、トルベは亡くなった。実際の機体を見てもらう機会はなかったが、藤野は亡くなる前に恩師を訪ね、ホンダジェットのビデオを見せた。「本当によくここまでやったね」との言葉が藤野の心に染みた。

 「今、誰に会いたいかと言われれば、トルベさんに会いたい」。藤野は恩師に学んだ航空機開発のノウハウや現場感覚を刻み込み、ホンダジェットの開発と事業化に突き進む。=敬称略
(映像報道部 松永高幸)

nikkei.com(2014-10-27)