航空機の常識を覆す ホンダジェットの革新(2)

 ホンダの小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」は、なぜ航空機の世界であり得ないとされていた独創の機体デザインを実現できたのか。連載の第2回はホンダジェット生みの親、藤野道格氏(54)が業界の“常識”を覆すまでの挑戦を、映像とともに振り返る。

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「ホンダジェット」、航空機の世界の“常識”を覆した開発ストーリー

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■引っ越しの荷物整理でひらめき

 引っ越しの荷物を整理していたときだった。1995年、藤野道格(現・米ホンダエアクラフトカンパニー社長)は1986年からの米国での航空機研究を終え、日本に帰国していた。自宅を転居する際に、荷物から出てきた昔の書籍をたまたま手に取った。1930年代に書かれた空気力学の教科書だ。次の瞬間、藤野にあるアイデアがひらめいた。

 ホンダジェットが登場するまで、主翼の上にエンジンを設置する機体デザインは航空機ではあり得ない設計だった。主翼とエンジンの周りの空気の流れが互いに干渉し合い、抵抗が増えるためだ。「デメリットが多くて、航空機の世界ではタブー視されていた」と藤野。「自分でも色々試して難しいというのは分かっていた。当初は選択肢になかった」という。

 そんな固定観念を覆すヒントを1930年代の教科書に見つけた。まだコンピューターのない時代の教科書で、空気の流れを関数を組み合わせて計算していた。「これを見たときにパッと思いついた。主翼とエンジンの2つの空気の流れを組み合わせてベストな流れになるように計算すれば、デメリットはなくせるのではないかと」

 藤野はアイデアをすぐにスケッチに描き、次の日から計算を始めた。主翼とエンジンの位置と空気の流れや抵抗などをはじき出す。膨大な計算を何カ月も続けているうちに、ほぼピンポイントといえる狭い領域に、抵抗が下がる主翼とエンジンの相対位置があることを見いだした。藤野はその絶妙な場所を「スイートスポット」と呼ぶ。

 しかし、航空機の世界の“常識”を覆すのはそう簡単ではなかった。

 自分のアイデアに手応えを感じた藤野だが、理論計算だけでは百パーセントの確信には至らない。「今までそんな研究論文はなかったし、実験結果もなかった」。藤野は理論が正しいかを実証するため、模型を使った風洞実験に着手する。1998年、米ボーイングの風洞実験施設を借りた。

■専門家の意見で論文投稿ためらう

 動画の中のインタビューで藤野が語っているように、ボーイングの人々は当初、冷ややかに見ていたという。自動車メーカーのホンダは航空機では素人という色眼鏡もあったのだろう。それでも藤野はめげなかった。風洞実験を続けた結果、理論の正しさを示す実験データがでてくる。「ボーイングの専門家も見る目が変わった。ホンダは奇抜だが斬新なことをやっていると感じたのではないか」。藤野自らも「これは航空機開発史の中でも大きな発見ではないか」との気持ちになった。

 だが、学会から理論の正当性を得ようと論文を執筆したときにも、航空機業界の長年の“常識”が壁となった。米航空宇宙局(NASA)にいた知人のアドバイスで、執筆した論文の投稿を半年から1年ほどためらったという。航空機分野で最先端の研究をしているNASAでさえ、これまでにそんな研究成果を出していない。藤野は論文の内容が正しいか、実験結果が合っているのか何度も何度も検証を重ねた。

 「論文を出さなければ次のステップには進めない」。藤野は意を決した。学会で理論の正当性を認めてもらわなければ、これまでにない独特な機体デザインのホンダジェットは市場で受け入れられないとの思いがあった。ホンダ社内でも主翼の上にエンジンを配置した機体のスケッチを初めて見せたときに「こんなの絶対ない。格好悪い」などと拒絶反応が多かったという。

 幸い論文は投稿から程なくして米航空宇宙学会(AIAA)の高い評価を受ける。これまでの“常識”が誤りであり、ホンダジェットが先進的な設計であることが航空機の世界で認められた瞬間だった。お墨付きを得たことで藤野は2003年12月、ホンダジェットの記念すべき初飛行に挑み、成功させた。

 藤野は2012年、航空機設計者にとって世界で最も栄誉ある賞といわれるAIAAの「エアクラフト・デザイン・アワード」を手にした。1969年からの歴史がある賞で、日本人の受賞は初めて。さらに2014年には米国の学術団体が航空機や宇宙船における革新的な設計・開発に貢献した個人に贈る「ケリー・ジョンソン賞」と、国際航空科学会議(ICAS)の「航空工学革新賞」も立て続けに受賞した。

 ホンダジェットの革新性を証明したといえる航空機設計でのトリプル受賞。だが、2003年の初飛行成功後に待ち受けたのは事業化までの高いハードルだった。=敬称略
(映像報道部 松永高幸)

nikkei.com(2014-10-13)