瞬発力あれど持続せず ホンダの魅力と限界
ナカニシ自動車産業リサーチ代表 中西孝樹

 ホンダが満を持して投入した「フィット・ハイブリッド(HV)」が昨秋から今年にかけ、半年間で3回もリコールを出すという品質問題が発生し、成功の陰に隠れた新技術への挑戦の難しさが浮かび上がっています。品質確保を優先する結果、今年度の新車投入スケジュールにも影響が及び始め、「2016年度世界販売600万台」達成へ疑問の声も聞こえてきます。現在のホンダは最も果敢な挑戦を続けている自動車メーカーの一つだと考えています。しくじるということは新しいことへ挑戦している証拠でもあるのですが、そもそもなぜホンダがここまで高い目標にまい進しているのかを考察してみます。

■リコールの遠因は09年HV戦争敗北

 今回のリコール問題の遠因をたどっていくと、09年のトヨタ自動車との「HV戦争」に行き着きます。フィットHVがリコール騒動のさなかにあった今年2月末、ホンダがHV車「インサイト」の国内向け生産を終了しました。インサイトは09年2月、トヨタの「プリウス」より約2割安い「189万円から」という低価格で登場し、国内市場に強いインパクトを与えました。トヨタが独走していたHV市場を切り崩す可能性を感じさせたホンダの意欲的な挑戦だったのです。

 しかし、この時トヨタは思いもよらぬ大胆な戦略を選択しました。旧型プリウスを一気にインサイトの同等の価格帯に値下げし、同時に新型プリウスの価格設定を当初の計画から20万円以上も引き下げ、「205万円から」という衝撃的な価格設定で登場させたのです。インサイトは価格競争力をそがれ、国内HV車市場はプリウスを中心とするトヨタの独壇場となっていきます。巨額赤字転落から会社再生を託された豊田章男社長は「良品廉価」の第一歩としてプリウスの低価格戦略を打ち出したのです。ホンダの進撃を抑え込むだけに留まらず、日本のHV市場での躍進を導く英断であったと言えるでしょう。

 ホンダは長期に渡って育んできた独自のHVシステム「IMA」から、新しい燃費効率の高いHVシステムを開発することを余儀なくされたのです。ホンダはHVシステムを全面刷新し、小型車向け「1モーター」の「i−DCD」、中型車向け「2モーター」「i−MMD」、スポーツ車用「3モーター」の「SH−AWD」の3種類のHVシステムを僅か4年間で市場に送り出しました。「1モーター」の「i−DCD」HVシステムを搭載したのがフィットHVでした。

 リーマン・ショック後の世界経済の変化は、ホンダの基本戦略を揺るがせた大事でした。ホンダは先進国の成長力を喪失しただけでなく、新興国の自動車事業で決定的に出遅れることになったからです。米国市場の成功体験がホンダの基本戦略を形成し、米国市場中心の商品開発に経営資源は集中投下されてきました。しかし、先進国経済の長期停滞と新興国経済の台頭を受けて、自動車事業は先進国、二輪車事業は新興国に中核を置く戦略が行き詰まります。

 ホンダは根本的な商品と技術の戦略再構築を余儀なくされ、エンジンの刷新、国内軽自動車事業の再強化、新興国戦略車開発、メキシコ工場進出、高級車ブランド「アキュラ」の戦略見直しなどを加速度的に進めることになります。

■国内モデルは3〜6カ月の遅れ

 そんな渦中に、HV戦略の根幹をなす「インサイト」がトヨタの戦略転換で押し潰され、新たにHV開発の負荷も加わります。これだけの開発を同時に進め、成果を刈り取れるホンダのチャレンジ精神と技術力の高さには驚かされますが、開発部隊には相当の負荷がかかっていたはずです。仮にインサイトがトヨタにつぶされていなければ、フィットHVの開発にもっと余裕があったはずです。3回目のリコールの際、伊東孝紳社長が「次は絶対にないぞ」と社内を引き締め、徹底的に問題の洗い出しをしたようです。この影響で、今年の国内販売向け新モデルの投入は3〜6ヵ月程度遅れが発生するようです。国内販売目標の達成のハードルは高くなってきているように映ります。

 そもそも「16年度600万台の世界目標」も相当に高いハードルです。発表した12年秋時点でホンダの世界販売は311万台(11年度)にすぎず、これを4年でほぼ倍増させると宣言したのです。なぜ、ホンダはここまでの成長を追求するのか。ホンダの経営は戦略も規模も「周回遅れ」に陥りかかっていたためであり、生き残りをかけた挽回を是が非でも実現せねばならない局面に立っていたのです。

 韓国・現代自動車と比較するとわかりやすいでしょう。05年ごろ、ホンダと現代自グループの世界販売は300万台半ばでほぼ同じ規模でした。しかし、今では新興国に積極的に進出した現代自が700万台超に対し、ホンダは430万台と大変な差が開いてしまった。

 ホンダは2000年代後半に経営判断を誤ったといわざるを得ません。2000年代のホンダは北米事業が好調のあまり、経営資源の投入も北米事業偏重になっていました。V10ガソリンエンジン、3.5リッター大型クリーン・ディーゼルエンジン、埼玉県・寄居工場の建設計画、新型FR(後輪駆動)プラットフォーム開発、栃木県さくら市の新テストコース−−。いずれも北米中心の「アキュラ」など中・大型車の拡販を主眼としたものです。同時に、全社的な財務効率を高めるため、利幅の低い軽自動車事業は国内関連会社に外注し、新興国は「二輪車で十分だろう」と高をくくっていました。当時、社内の実権を米国子会社アメリカン・ホンダ(通称アメホン)出身者が握っていたことも影響していたでしょう。

 確かに、このクリーン・ディーゼルエンジンはホンダらしい革新性があり、リーマン・ショックがなければ一つの革新的な成功につながったかもしれません。トヨタがディーゼルに強いいすゞ自動車との資本提携を決めた要因のひとつが、ホンダのこのエンジンだったといわれます。しかし、この大型ディーゼルは日の目を見ることはありませんでした。自動車需要の重心は完全に新興国に移行し、急きょ、同地域で不可欠な小型ディーゼルエンジンへ開発は切り替えられたのです。

■周期的に訪れる危機と瞬発力

 先進国中心の商品・技術力、軽自動車市場での競争力低下、新興国での低いシェア、低下したHV競争力−−。ホンダはライバルから大きく取り残されていました。しかし、ホンダというのは不思議な会社で、危機に追い込まれると底力を発揮します。過去には環境性能の高いCVCCエンジン開発、ミニバン「オデッセイ」のヒット、最近では軽自動車「Nシリーズ」。いずれも危機に陥った時に、起死回生のブレイクスルーが誕生しています。

 Nシリーズの成功は伊東社長の大きな功績といえるでしょう。伊東社長の就任以降、国内軽自動車事業の再強化へ方向転換しました。燃料タンクをクルマの中心におく「センタータンクレイアウト」を取り入れて室内スペースを広げると同時に、エンジン性能も強化。軽自動車事業は一気に息を吹き返しました。この効果は、国内生産体制の維持を可能とするだけに留まらず、メキシコ新工場を建設し北米事業構造改革を加速度的に進めることを同時に進めることが可能としました。

 新興国市場はどうか。2011年に投入した新興国向け戦略車「ブリオ」をベースにした派生車種の展開を加速度的に進め、成功を収めています。インドネシアにはMPV(多目的車)「モビリオ」を今年はじめに投入し、順調に販売実績を積み上げています。インドでもセダン「アメイズ」を昨年に発売。全長4メートル未満が税制優遇される小型車市場はスズキの独壇場だったのですが、ホンダも着実にシェアを伸ばしています。

 600万台体制を実現するための最大の課題が「グローバル・スモール・シリーズ」と銘打った「フィット」とその派生車種の世界販売を引き上げることです。「フィット」を皮切りに、セダン「シティ」、SUV「ヴェゼル/HR−V」をグローバルで投入する時期に入っていきます。リーマン以降に大転換した小型車戦略はおおむね成功して進捗しているといえます。

■苦戦の「アキュラ」

 それは誤解を恐れずに言えばまさに「火事場の馬鹿力」。追い込まれたとき、ホンダらしい頑張りと革新性がすさまじい瞬発力を生みだします。日本最後発の自動車メーカーが何度もつまずきながらも、常に成長を続ける秘密がここにあります。自らのテレビCMに用いたコピー「負けるもんか」とは、寝る時間、食う時間を惜しんで新しいことにチャレンジするホンダのスピリットを示したものでしょう。

 ただ、狙い通りの成果を収めきれていないのが「アキュラ」です。リーマン後にアキュラも戦略転換し、2013年以降、新しい技術と価値観を追求した主力車種の入れ替えを進め、再挑戦をはかっているのですが、販売計画は未達気味でインセンティブ(販売奨励金)頼みの販売から抜け出せていません。デザインやコンセプト等、世界のプレミアムブランド水準に追いつくことは容易では無いようです。

■「600万台の先」の不安

 春先にホンダの株価は一時低迷を余儀なくされました。2014年度の利益計画が期待したほどではなかったことに投資家が先行きを不安視したためです。危機時の瞬発力は著しく販売台数を押し上げ始めています。しかし、まだ販売増に利益は追いついていません。先行投資が回収期に入ってくれば利益はいずれついてくるものでしょうが、投資家心理は今でも不安に包まれています。その理由は、危機に際した瞬発力の強さは誰しもが認めるところでも、その持続力に常に疑問をもっているからでしょう。「ちゃんと先行投資を回収するときまで現在の頑張りの持続力、耐久力があるのか」と疑問に思っているのです。それが株価に反映しています。利益の方も「負けるもんか」と願いたいものです。

 もうひとつ、市場がいまひとつホンダに懐疑的なのは、「600万台の先」に不安を感じているからです。16年度に600万台を達成できるかどうかはまだわかりませんが、近い線まではいくでしょうし、戦略の「周回遅れ」は解消できると思います。しかし、「ホンダ」の現在のビジネスモデルのままで、600万台より上のレベルで成長を目指すことができるのか。「小さく生んで大きく育てる」、いいかえると得意領域に経営資源を集中させて、その分野で高いシェアをとっていくまでじっくりと育て続ける戦略が果たしてこの先も有効であるか否か、市場はシビアに見ているわけです。危機時にとんでもない瞬発力を見せるが、持続力に乏しい――。それがホンダの魅力であり、限界かもしれません。

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中西孝樹(なかにし・たかき)
1986年米州立オレゴン大ビジネス学部卒。山一証券、JPモルガン証券、メリルリンチ証券などを経て13年にナカニシ自動車産業リサーチを設立。94年から一貫して自動車産業の調査を担当し、04年から日経ヴェリタス人気アナリストランキング、米インスティテューショナル・インベスター誌自動車セクターでともに6年連続で1位。著書に「トヨタ対VW(フォルクスワーゲン) 2020年の覇者をめざす最強企業」など。 ===============================================================

nikkei.com(2014-06-16)